結婚式前⑮~囚われの身??~
囚われの身とはいえ食事はちゃんと持ってきてくれるし、特に何かされることもなかったので、エデルとエクルト子爵、それにジェシカは何となくおしゃべりをしながら事態が動くのを待っていた。
そして、ようやく来た相手を見てエクルト子爵は意外そうな顔をした。
「おや、珍しい方が来たものだね。ホロー男爵、君が音楽に興味を持っているとは思わなかったよ」
ホロー男爵と呼ばれた男性は、苦々しい感じのしかめっ面をしていた。
「儂だとて好きでお前たちを誘拐したわけじゃない。そのヴァイオリンを欲しがってる方がいてな。弦が持ち主しか張れないのなら持ち主ごと売り渡すしかなかろう」
ヴァイオリンの付属として売られると聞いて、ジェシカが引きつった顔をした。というか、これは立派な人身売買で、もちろん法に違反している。人身売買は重罪だ。
「何か、すぐにバレて捕まりそうじゃない?」
エデルが素直にそう言うと、ホロー男爵がエデルを睨み付けた。
「何だ、お前は」
「巻き込まれた一般人です」
「彼はファーバティ伯爵の友人だよ。ホロー男爵、彼を無事に帰さないと、ファーバティ伯爵の怒りを買うことになるよ。ただでさえ、彼を誘拐したことで伯爵の怒りを買っていそうなのに、そこにさらに燃料を投下する勇気はないだろう?」
エデルに傷でも付けた日には、ファーバティ伯爵の怒りがさらに増しそうだ。今ならホロー男爵一人の罪で許してくれるかもしれないが、エデルの状況次第では、一族郎党まとめて潰される。生きているかも怪しいものだ。そう思ってエクルト子爵は忠告したのだが、実際にはさらにそこにロードナイト辺境伯からの報復がプラスされるので、誘拐だけでも一族郎党の命が危ういことをエデルは秘密にした。それはアリアが決めることでエデルは関知しないことだ。下手にエデルが助命した結果、後々ロードナイト辺境伯家に害を為す存在にでもなられたら困る。貴族間のアレコレが分からないエデルとしては、この件に関してはアリアに求められない限り関わらないと決めている。
「チッ。誰だこんな面倒くさいヤツまで誘拐してきたのは!」
「そっちのミスなのに、こっちに怒鳴られても困るんだけど」
エデルまで誘拐したのはホロー男爵の手の者だ。誘拐犯に面倒くさいヤツとか言われるこっちの身にもなれ。
「ヴァイオリンの件は分からないでもないが、なぜ私まで誘拐したのかね?」
田舎に引っ込んでいるとはいえ、エクルト子爵は貴族の当主だ。その彼が行方不明ともなれば、領地の人間の他にも、中央の者たちが動く。それが分かっていながら、誘拐したということはそれなりに逃げ切る自信があるのだろう。
「ふん、あんたを欲しいっていう人もいるのさ」
「つまり私をペットとして飼いたい、と?」
「どういう風に扱われるのかは知らんが、大金をはたいてでも欲しいんだとさ」
吐き捨てるようにホロー男爵が言った。確かにエクルト子爵は、大人の魅力に溢れた男性だ。普段は後ろになでつけられている髪が今は乱れている様も、口元の髭もよく似合っている。穏やかな風貌と何事にも動じなさそうな性格も相まって、女性人気は高そうだ。
「似合いそうですねー」
「そうかな?エデル君も似合うと思うよ」
「似合いますかねぇ?」
この場合、飼い主はアリアになるのだろうか。でも、そうなると今とあまり変わらない気がする。アリアは束縛系ではなくて、放牧してくれそうだし。アリアに養われている身としては、とりあえず無事に帰りたい。
「まあいい。バレなきゃいいんだ。よく見たらそれなりに見目もいいしな。お前みたいな若い男を欲しがる男も多い」
男?あ、そっち系?それは遠慮したい。それに若いと言われたが……
「俺、これでも三十路いってんだけど……」
「え?君、そんな年齢なの?童顔って言われない?」
「最近、言われるようになりました」
三十路オーバー発言にエクルト子爵が驚いているが、エデルだって出来ればエクルト子爵のようなダンディーな感じになりたかった。だが、適当に切ってまとめていた髪をきちんと整えて綺麗に艶が出るまで梳かれ、くたびれていたお肌をしっかり磨きあげられた辺りから年齢不詳感が出てきて、最終的には「童顔」の一言で落ち着いた。
アリアの方が年下なのだが、あっちはあっちで大迫力の女帝なので、一緒に並ぶとどうがんばっても主導権を握っているのがアリアだと丸わかりになる。握れるとも思ってはいないけれど、城の者たちからは「ちょうどいい」と言われて歓迎されているのが悲しい。
「……好みは人それぞれだし、君の奥方は私のような人間より、君みたいな顔立ちの方が好みだったんだろう」
「俺が売りに出されたら、うちの奥さんが買ってくれそー」
もしエデルが売りに出されたら、どんな手を使ってでもアリアがその場に登場しそうだ。優雅に座って当然の様にエデルを落札して、「お前は私のものだろう?」とか言いながら連れ帰ってくれそうだ。
その時のふふふと笑う様子まで想像出来る。ついでにその後の、人身販売者たちの末路も想像出来る。
色々な意味でその場に阿鼻叫喚を起こしそうな頼もしい奥様だ。
「その時は、私も一緒に買ってくれるように君の奥方を説得してくれると嬉しいかな。ところでそうなると我が家はどうなるのかね?」
楽しそうな想像をしてエデルと話していたが、エクルト子爵はホロー男爵の存在を思い出して聞いてみた。
「そんな態度も今のうちだけだ。あんたの爵位は、あんたの息子が継ぐ。ただし、ワシの操り人形としてだがな」
ぐふふふふ、と楽しそうにホロー男爵が笑ったが、エクルト子爵の方はやれやれ、という感じで肩をすくめた。
「息子はとうの昔に廃嫡してあるから、アイツでは爵位を継げないよ。そこはちゃんと陛下にも申し出てあるからね。何があろうともアレに爵位はいかない」
「はぁ!?あんたの息子は次の子爵は自分だって言っていたんだぞ!」
「言ったところで無理なものは無理だよ。陛下が認めないからね。そうだねぇ、私がいなくなったら、一時的に爵位と領地は陛下の預かりになって、後に一族の誰か、もしくは陛下が新しい子爵を任命することになるかな」
件の馬鹿息子はすでに勘当して、廃嫡もしてある。今は次代を誰にするか一族の中から選んでいる最中なのだが、該当者がいなければ、一族の血を引いていない人間が次のエクルト子爵になっても構わないと思っている。
皇帝陛下にもそう申し出をしていて、陛下からは好きにしてよいという許可は出してもらった。
国としては、皇帝に忠実でこの豊かな子爵領をさらに発展させてくれる人間ならば誰でも構わないというところだろう。
息子ではだめだ。あの子は王都に行ってから、いつの間にか一部の人間たちの考え方である中央寄りの、それも自分たち貴族のみが得をすればいいという考えに染まっている。子爵領に住む住民たちの生活のことなど一切考えず、搾取する側として、搾り取れるだけ搾り取ろうという考え方をしていた。何度訂正をしようとも、そんなのは田舎貴族の考え方だと言って聞く耳を持たなかったので、廃嫡にした。子爵領を治める者として、そこに住む者たちのことを考えられない人間に爵位は譲れない。
どうやら子爵位を継ぎたい息子と、ホロー男爵の思惑が一致した結果、こうして誘拐騒動にまで発展したようだ。
「やれやれ、もう少し裏があるのかと思ったら、案外そうでもないようだね」
陰謀めいたものがあるのかと期待していたが、実に単純な事態だった。さて、どう収拾を付けたものか、と悩みどころだ。当然ながら息子のことは諦めた。せっかく廃嫡で済ませたのに、このままではその命さえも危ういだろう。だが、こうして犯罪にまで加担した以上、もはや仕方ない。妻は……誇り高き帝国貴族として激怒するだろう。宥めるのが大変だが、きっと落ち着いたら花を持って息子の墓参りくらいはしてくれる。
それと、息子をそう育ててしまったけじめを付けるために、早期に子爵位を譲らなくてはならない。そうなると候補の中からさっさと次の子爵を決めなければ。
エクルト子爵はすでに息子を亡き者として、犯罪者となった息子を育てたけじめの付け方まで考えていた。
「あ、あの私はどうなるんでしょうか……?」
恐る恐るジェシカが聞いた。ヴァイオリンの付属品みたいな扱いでジェシカは誰かしらに引き渡されそうな感じになっているが、その相手はどこの誰なのか知りたい。
「ああ、安心しろ。お前とヴァイオリンが本命だからな。依頼人に引き渡すまでは、きちんとした扱いをしてやる」
「依頼人って誰ですか?」
「ふん、会えば分かるさ」
ホロー男爵は依頼人に名前までは明かさなかった。だが、ジェシカが酷い目に合うとかはなさそうだ。
「あ、もう一つ疑問なんだけど、エクルト子爵の館の隠し通路を何で知ってたの?」
あまり交流が無さそうなのに、なぜホロー男爵があの家の面倒くさい隠し通路を知っていたのか疑問だったので、エデルは本人に直接確認することにした。
「あの家は戦時中、一時、軍の駐屯地になっていた。その時に描かれた絵図面が残っていたんだよ」
どうやら軍の関係者から屋敷の絵図面が流れていたらしい。そうなるとあの家を壊して新しく建て直し、隠し通路を全て無くさないと、誰でも出入り自由なセキュリティがばがば屋敷になってしまう。
エクルト子爵がさらなる仕事の増加にうんざりしかけていた頃、アリアが自身の領のお隣さんにあるこの迷路屋敷を壊そうと思い、夫が誘拐されたという大義名分のもと、配下の者たちに怪しいところは破壊してオッケーの許可を出していたのだった。