結婚式前⑬~危機感は無い~
薄暗い牢屋の中で、エデルはどうしたものかと途方にくれていた。
ここにいるのは3人だけだ。
エデルとエクルト子爵、それにヴァイオリンに認められた学生。
「いやー、どうしようか」
「冷静だねぇ、君は。しかし、君の友人が一緒にいなくて良かったよ」
「本当ですよね、アイツが一緒にいたら今頃、大騒動ですよ」
「全くだ」
エクルト子爵とエデルは囚われの身のはずなのだが、のんびりとした会話をしていた。エデルと子爵は今回初めて会ったが、その仲介役となったエデルの友人のことを子爵はよく知っていた。
ファーバティ伯爵は王都でも有名な青年だ。ファーバティ伯爵本人は、用事で遅れてやって来るとのことだったので、この騒動に巻き込まれてはいない。彼が巻き込まれていたら今頃、王都から捜索隊が出されて子爵の領内が物騒な事態に陥っていたので、いなくて良かったというところだ。
誘拐されておいて何だが、あまり大事にしたくはない子爵としては、こうして誘拐されたのが自分と吟遊詩人のエデル、それから音楽学校の学生の3人であることは、まだマシな状況だった。
「ごめんなざい、ごめんなざい、ごめんなざいぃぃ」
隅っこで膝を抱えて泣いている学生にエデルは歩み寄った。
「大丈夫だよ。えーっと、ジェシー、じゃなくて、ジェシカさん」
「うぐ、ずびばぜん」
泣き声で言葉が濁ってまともに発音出来ていない少女に、エデルはハンカチを差し出した。
「はいはい、泣き止んで。君だって巻き込まれたんだから、仕方ないよ」
「うぐ、うぐ、えでるざん」
少女、といっても制服は完全に男子用のもので、彼女自身は一応、男装している身だ。なので見た目としては、男3人でここにいることになる。
「大丈夫だよ。ファーバティ伯爵が俺たちのことを探してくれると思うし、それに俺の奥さんもきっと助けに来てくれるから」
「ほう、奥さん?君、結婚してたのか?」
吟遊詩人だと聞いていたので、てっきり旅から旅への根無し草の人間だと思っていた。そういう人間が結婚することは珍しい。いつも旅して家にいない旦那を選ぶ奥さんも珍しい気がする。
「最近、結婚したんです。なので旅は止めて、隣のロードナイトで暮らしてるんですよ」
「ほう、そうか。それは良かったな。ロードナイト領か。辺境伯を見たことはあるかい?」
「あります」
毎朝、見てます。ピアス、お揃いです。息子、います。
……息子は大丈夫かな?実母に続いて、義父まで行方不明になってしまったので、あの子の心にいらん負担をかけたかもしれない。そこは、義母が何とか慰めてほしい。
慰めるどころか、父が帰って来たら一緒にお説教をするという密約が為されたことを、当然ながらエデルは知らない。
「美しい人だろう?辺境伯は。隣の領地とはいえあまり交流はないのだが、彼女の噂は色々と入ってくるんだ。何でも最近は音楽に夢中らしいから、上手くいけば辺境伯の前で演奏するという栄誉を得られるんじゃないか?」
何も知らないエクルト子爵がエデルにそう言ってくれたのだが、エデルはアリアが望む時にはいつでも音楽を奏でているし、新曲が完成した時だってアリアに一番最初に聴いてもらっている。
「そういえば一時、ファーバティ伯爵が辺境伯の婿候補だという話を聞いたことがあったな」
「えぇ、アリ…辺境伯とラファエロが?すっごい美男美女なので、並ぶと圧倒されそうですね」
「間違いないな。私たちみたいな凡人では、後ずさって終了かな」
「その前に眩しすぎて、まともに見れそうにないですよ」
「はは、そうだね」
ぐびぐびして泣き止まなさそうなジェシカを放置して、エクルト子爵とエデルは共通の人物の話題で盛り上がっていた。
友人であるラファエロ・ファーバティ伯爵がアリアに求婚する様を思い浮かべたのだが、エデルの脳内ではアリアが冷笑しながらお断りして終了した。
同性であるエデルから見ても、ラファエロ・ファーバティ伯爵は格好良くて王都一のモテ男の称号を得るのに相応しい人物だった。日々の仕事を効率良く片付けては、女性陣からのひっきりなしのお誘いを片っ端から受けて、誰か一人に決めることなんて出来ないとのたまう人だ。だが、女性関係を除いた友人としては信頼出来る人で、身分が違いすぎるエデルのことも堂々と友人だと言い切る男前な方だ。
「そういえば、君と一緒にいた彼は一般人じゃないよね」
「あー、はい。奥さんが心配して付けてくれたんです。なので、今頃、ラファエロよりも先にうちの奥さんが動き出してるかもしれません」
自分の夫が行方不明になって黙っている女性じゃない。ただ、出来れば本人はおとなしく城で待っていてほしい。テオドールが頑張ってくれないだろうか。アリアが自ら来たら、さすがに誤魔化しきれない。
エクルト子爵に辺境伯の夫を誘拐された、なんて不名誉な事を押しつけたくない。
アリアとエデルの結婚はまだ知られていないだけで事実だし、エデルの身分は辺境伯の伴侶だ。
ただし今回はこっちがその身分で来ていなくて、ただのファーバティ伯爵の友人枠でもぐり込んだのがまずかった。辺境伯の伴侶として思いっきり護衛を引き連れて来ていれば、誘拐騒動に巻き込まれることもなかったのに。
「うぐ、本当にすみません。わ、私があのヴァイオリンに触っちゃったから」
ようやく泣き止んだジェシカが、エクルト子爵とエデルに謝った。
「ジェシカさんは悪くないよ。巻き込まれたから聞いておきたいんだけど、まず、どうして男装してるのかな?」
ジェシカはずっと男装をしていて、エクルト子爵も男性だと思っていた。男性が女装したり、女性が男装した劇を見慣れていたエデルが指摘して初めて女性だと告白したくらい、誰にも気付かれていなかった。
「……私は、特別枠で入れてもらえた学生です。マクウェル教授が推薦してくれて、授業料なども免除してもらっているんですが、その、初めて教授に会った時に男装していて、そのまま男性だと誤解されてしまって……今さら言い出せなくて……」
「うーん、ひょっとして、酒場かどっかで会った?」
「え?どうして分かったんですか?」
ジェシカのヴァイオリンの曲を聴いて、普通の貴族だと教えてもらわないはずの庶民の曲、正確には、酒場で酔っ払ったおっちゃんたちが肩を組んで合唱するような曲が入っていたので、あれ?とは思っていたのだ。酒場にうら若い女性の奏者がいたら、確実にちょっかいをかけられる。そういう意味ではジェシカの男装は正解だ。
ちなみにエデルは逆で、女装で劇に出てそのままの姿で酒場で演奏していたら、当然のようにちょっかいをかけられた。なので目の前で詰め物出してぺったんこになった胸を触らせたら、男たちは跪いてうなだれていた。「神よ……!」と祈っている男もいたが、祈ったところでエデルは女性にはならない。
「私には、これくらいしかお金を稼ぐ手段がなかったので」
「良い腕だよ。誰に習ったの?」
「母です。もう亡くなってしまったんですが、楽器は母に習いました。いつも使っているヴァイオリンも母が残してくれた物なんです」
「そっか、お母さんに習ったその腕前があったから、あのヴァイオリン、『暁』も君を選んだんだね」
鳴らないヴァイオリンはエクルト子爵によって『暁』という名が与えられていた。
ジェシカによって初めて演奏された曲が夜明けを告げる曲だったのと、このヴァイオリンの始まりを祝して名付けられた。
「で、でも、私が暁に触らなかったら、あの子は違う人をきっと選んで……」
「んー、無理じゃないかな。そもそも、他の人が触っても演奏どころか弦だってまともに張れなかったんでしょう? エクルト子爵だって張ろうとしたんでしょう?」
「もちろんだとも。弦を張った瞬間にすぐに切れたね。意地になってやってる人たちもいたけど、弦を張れたのもジェシカだけだ。まして演奏するなんて、君以外やれないよ」
暁が選んだのは、ジェシカただ一人だ。男だろうが女だろうが関係なく、ジェシカという一人の演奏家を暁は選んだ。だがそれを面白く思わない人物もいるわけで。今こうして誘拐されたのは、それに巻き込まれたからだ。
「子爵は何で誘拐されたんです?」
「一応、あのヴァイオリンの持ち主は私だからねぇ。ジェシカ嬢には、貸し出しという形で渡すことになるね。亡くなったり、演奏家を止めた時には我が家に返してもらうことになるかな」
貴族が所有する銘がある楽器は、所有者から演奏家に貸し出しが行われている。同時にそれは所有する貴族が演奏家の後ろ盾になるという意味も含まれている。演奏家にとっては良い楽器も弾けて生活などの保障もしてもらえるので、そこを目指す者も多い。中には王族が後ろ盾になっている人物もいる。
ただ、暁のように気難しく自分で弾く人間を選ぶ楽器もあるので、そう簡単になれるものでもない。
暁に選ばれたことでジェシカは、エクルト子爵が後ろ盾となった。子爵で解決出来ないようなもめ事が起きた場合は、子爵からより高位の貴族に働きかけることも出来る。
王国の穀物庫とも呼ばれる領地を持つ子爵は裕福なので、ジェシカの一生は安泰だろう。
「ジェシカ嬢が暁のことを辞退したとしても、私の許可がなくては暁には触れないし、彼らもそれなりに必死なんだろうね」
ははは、と笑っている子爵に危機感は一切ない。
「えー、巻き込まれた俺が一番やばそうじゃないですか?」
「大丈夫だろう。エデル君はファーバティ伯爵の招待状持ちだからね。君に何かあったら彼の怒りを買ってしまうことはさすがに分かっているだろう」
「だったら一緒に誘拐しなけりゃよかったのに」
「そこは、ま、偶然居合わせてしまったから仕方なく、ってやつかな」
本当に偶然だったのだ。何で男装しているのか気になって会いに行ったら、たまたま誘拐が実行されるタイミングに出くわしてそのまま連れてこられてしまった。
「いやー、我が家が隠された抜け道だらけなのは、戦争時代からの名残だから仕方ないにしても、それを調べて誘拐に使う執念はすごいね」
戦争が多かった時代に建てられた子爵の屋敷は、逃げるための抜け道だらけだった。子爵自身もその全てを把握しているわけではないようなのだが、今回はその道を使われた。
おかげで扉の外にいたテオドールに気付かれずに誘拐されてしまった。
アリアさんに怒られてないといいなぁ。せっかく仲良くなったのに、他の人に替えられても困る。
「どちらにせよ、もうすぐ助けがくるか、犯人たちが交渉にくるかのどちらかだから、もうしばらくは大人しくしていようね」
やっぱり危機感のない感じでエクルト子爵はそう言った。
「……助けかぁ。地味、希望」
アリアもラファエロも、助け方が派手な気がしてならないエデルだった。