結婚式前⑫~アリア、出ます~
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アリアは、その知らせを執務室で聞いた。
いつも通りの朝。エデルはいないが、クロノスは今日は剣を教えてもらうのだと嬉しそうに言っていた。辺境伯の跡取りなので取りあえずは正統派の剣術を習い、そこから実戦系の勝ってなんぼの技術を教えてもらうのだと嬉しそうに言っていた。
実戦系は絶対、第二軍団長のショーンが師匠になると確信している。あれだと技術というか何というか、実戦系だけあって、まず間違いなく問答無用でダンジョンとかに放り込まれるのだが、即死でもしない限りはまぁ大丈夫だろう。
いつも通り朝食後にクロノスと分かれて執務室で書類を見ていた時、エデルに付けた御者兼護衛のデヴィットが駆け込んできた。
「アリア様!申し訳ございません!!エデル様が行方不明になりました!!」
開口一番デヴィットが放った言葉にその場が凍り付いた。その場には何人かいたのだが、全員が手を止めてデヴィットを見て、それからアリアの方を見た。
「……エデルが行方不明?どういうことだ?テオドールはどうしたのだ?」
声を荒げることもなく冷静な口調でアリアは聞いたが、その手に持っていたペンが折れている。
「テオドールは今、あちらに残ってエデル様の捜索をしています」
「何があった?」
いつの間に部屋に入ってきたのか、財務局の長官であるリチャードがデヴィットに尋ねた。執務室には第二軍のショーン軍団長も入ってきていた。
「は、はい。エデル様はあちらで、今回の騒動の元になったヴァイオリンの所有者となった学生と知り合われたのですが、三日前の夜、エクルト子爵家に滞在していた彼を訪ねて行って、そのまま行方不明になられました。テオドールは部屋に入るまでは確認したのですが、中々出てこず、妙に部屋が静かになったので室内を確認したら誰もいなかったそうです。行方不明になっているのはエデル様とジェシーという名の学生、それからエクルト子爵本人です」
「エクルト子爵も行方不明なのか?」
「はい。エデル様とジェシーがいなくなったので、屋敷内をその場にいた者たちで調べたところ、その3名がいなくなっていました」
エクルト子爵はヴァイオリンが発見されたダンジョンの管理をしていて、ジェシーはそのヴァイオリンの所有者となった学生なので、もしこの2人だけが失踪していたのならそれ絡みなのかと疑うところだが、そこにエデルが絡んでいるとよく分からなくなる。
「ふむ、エデル殿は何の関係もないように思えるがな」
「いらんものでも見ちまったのかな?それとも、エデル殿本人に用があったとか?」
「ショーン、エデル殿のことはあまり知られてはいないが、別に隠してもいない。その場合、エデル殿か我が辺境伯家か、どちらに用があったのだろうな」
「もし、うちに用があるのなら、そろそろ何かしらの接触があるよな。デヴィットがここに戻ってきているのを確認していないとも思えない。デヴィット、道中、付けてくるような気配はあったか?」
ショーンの言葉にデヴィットは即座に首を横に振った。
「急いでおりましたが、周りには気を付けていました。誰かが後を付けてくる様子はありませんでした」
「じゃ、うち関係じゃねぇな。エクルト子爵は温厚な方だ。周囲の反感を買うとも思えない。そうなるとヴァイオリン関係だと考えるのが一番しっくりくるんだが……」
やっぱりエデルまで行方不明なのが謎すぎて分からない。
「巻き込まれたと考えるべきだろうな。アリア様、どうなさいますか?」
ずっと無言で何かを考えるような素振りをしていたアリアにリチャードが尋ねた。
「決まっている。私の夫だ。どこの誰が連れて行ったのかは知らんが、迎えに行くぞ」
アリアの言葉にショーンがにやりと笑った。
「全く仕方のない夫だな。妻である私はいつでも真っ直ぐ帰って来ているというのに、エデルは私が迎えに行かねば迷子のままだ」
「ははは、仕方ないですよ。お嬢の旦那は、けっこう人たらしだ。あちこちで可愛いヤツラに捕まっちまうんですよ。本人にそんな気はないんでしょうけど」
この城にもあっという間に溶け込んだし、気が付くとあちらこちらに出没して謎の交友関係を広げている。子爵家とはいえ、貴族であるエクルト家で催されたお披露目会の招待状を手に入れられる友人とやらもいる。それに個人的にヴァイオリンの持ち主となったジェシーという名の学生に会いにも行っている。
こうなるとエデル自身が何者なのか、という疑問も湧いてくる。
アリアとの婚姻に際して調べた結果は本人の申告通り、今まで吟遊詩人としてあちこちをふらふらしていた、というごくありきたりな生活だった。特に怪しい点はなかったが、唯一気になったのが、定期的にどこかの貴族の家に呼ばれていたことくらいだった。だがそれも同じ貴族ではなく、国も派閥もバラバラだったのでたまたまだろうと思ったのだが、ひょっとしたらその辺りに何かしらの秘密が隠れていたのかもしれない。
だがすでにアリアとエデルは婚姻関係にあるし、アリアに気に入られたように他の貴族にも気に入られていただけという可能性もある。どちらにせよ、帰ってきたら一度、エデルの交友関係も詳しく聞いておこう。
「やれやれ、私の夫は大人気だな」
「人気者の旦那さんを持つと大変ですな」
「全くだ。ショーン、付き合え」
「了解しました。少数精鋭で活きの良いヤツラを連れて行きます」
後のことはリチャードに任せて、エデルを迎えに行く為にアリアは立ち上がった。
結婚式の為に誰もが忙しく動いているというのに、肝心の夫が行方不明のままではお話にならない。
まぁ、確かに素人のアリアが聴いても、エデルは優しくて繊細な音を出す奏者だ。それでいて英雄譚のような曲になれば力強く雄々しい音を出す。音に情景をのせるのが上手いというか何というか、聴いているだけで脳裏にその情景が思い浮かぶ。
そして同時に、あの音が欲しい、と思ってしまったのだ。あの音を、あの音を出す奏者が欲しい、そんな欲求に駆られた。とはいえ、アリアが初めてエデルの演奏を聴いたのは結婚してからだったので、そんな欲求が渦巻いても何の問題もなかった。アリアの夫であるエデルが彼女の為だけに奏でる音は、ただただ心地良いだけだった。
だが、他にもそんな衝動に駆られた人間がいたとしても驚きはしない。
今回の犯人がそういう人間だったとしても、アリアは納得出来るだろう。
「ふふ、こうして夫に振り回されるのも悪くはないな」
だがそれも夫が無事でいることが絶対条件だ。
アリアが仕度の為に部屋に戻る途中で、クロノスが不安そうな顔をして待っていた。
どうやらエデルのことを聞いたらしい。
「お母様、お父さんは……」
「大丈夫だ。私が絶対に連れて帰ってくる。帰ってきたら、少しお父様を叱ろう。あまり迷子になるようなら、外出も私かクロノスと一緒でなければ許可が出せないぞ、とな」
「はい!お母様。絶対、お父さんを叱ってやって下さい」
「うむ。任せておけ」
息子との約束の為にも、絶対にエデルは連れて帰る。