結婚式前⑪~エデルの新曲~
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静かな月夜に美しい弦の調べが響いていた。
領主夫婦の私室から聞こえるその曲は、穏やかな夜に相応しい一曲だった。
エデルが作ったその曲は、穏やかで美しい調べに合わせるように、その歌声も歌い上げるというよりは語りかけるような静けさを伴っていた。
聴いているアリアは、ソファーに身を預けながら、口元にうっすらと笑みを浮かべて目を閉じていた。
偶然出会った男女の恋物語を綴った曲は、その終わりに相応しい流れるような旋律で終了した。
「……美しい曲だったな。歌詞も物騒な言葉は一切使わずに、綺麗な言葉だけで纏めていた。うむ、見事だったぞ」
「ありがとうございます。アリアさんが喜んでくれるのが一番嬉しいです」
鉱山の視察とついでの山賊退治だったので、帰って来た奥さんの心を癒やせるような曲を作りたくて一生懸命作った曲だ。
酒場で聞いた話を元にいかに美しく終わるかを追求した曲だった。元ネタは、残念ながら冒険者の方が詐欺にあって、やけ酒かっくらって寝てダンジョンに潜ったらうっかり罠にはまって死にかけた、という本人的には鉄板の笑い話だったらしく、周りの方がもう飽きたネタだと言っていた話だ。
ただ、出会い方やその冒険者が語った女性像が綺麗な感じがしたので、そこから想像力を働かせて綺麗なイメージのままで作り上げた。
これがあの時、聞かせてもらった話から出来た曲だと言っても信じて貰えない可能性の方が高い。
「曲名は何というのだ?」
「決めてないんです。これを聴いてくれたのも、アリアさんが初めてなので。よければ決めてくれませんか?」
「私が?」
「はい」
エデルの言葉にアリアの目が大きく開いた。
曲名を決めてくれと言われたのは人生で初めての出来事だ。
そっち方面の才能はないと早々に諦めて、聴く専になっていたので、曲の名前など考えたこともない。アリアが今まで聴いてきたものはすでに多くの人間が知っている有名な曲ばかりだったので、当然曲名だって付いているものばかりだ。
アリアの夫は、彼女の為だけに曲を作り、その名付けをしろと迫ってきた。
ここは妻として、何としてもこの曲に相応しい名を考えなければ。
アリアが真剣に捉えていることなどつゆ知らず、エデルはただにこにこと微笑んでいた。
奥さんの為に作った曲に彼女が大変満足している様子だったので、作って良かった、神様、俺にこの才能をくれてありがとう、と心の底からお礼を申し上げた。
エデル自身、元ネタはともかく、出来上がった曲に関しては満足していた。曲名を考えた時に、奥さんの為に初めて作った曲なので、奥さんに曲名を付けて貰えると嬉しいな、という考えが浮かんできたのだ。
エデルは割とすぐに曲名が浮かぶタイプだったので、まさかアリアが心の中で葛藤するとは思ってもみなかった。
一方のアリアは、考えを言葉に出しながら曲名を考えていた。
「一の型、は武術の型だし却下だ。可愛らしい動物名でも入れればいいのか?」
わりと絶望的な言葉がエデルに聞こえてきた。
エデルが作ったこの曲は男女の恋物語なので間違っても戦わないし、修行もしない。武術を極めて極意とかも授からない。それに歌詞の中で動物は一切出てこないので、曲名に急に動物が入ってきても困ってしまう。曲名詐欺だ。
「えーっと、この曲は、元ネタが男女の恋愛を描いたものなので、その気持ちを素直に出していただければ……」
「そうか、その、すまないが、しばらく考えさせてくれ」
辺境伯は、楽器も苦手だが、こうしたロマンティックな名付けも苦手だった。
「はい、よろしくお願いします。あ、そうだアリアさん、俺、少し出かけて来てもいいですか?ちょっと泊まりになるんですが」
「泊まり?どこに行くのだ?」
「隣のエクルト子爵領です。アリアさん、エクルト子爵領にあるダンジョンから古いヴァイオリンが発見されたのはご存じですか?」
そういえば、そんな話を聞いた覚えがある。エクルト子爵領には深いダンジョンがあり、まだその全ては攻略されていない。去年だったか、一昨年だったか、新たに発見された部屋からヴァイオリンが見つかった。木で出来ているが腐食はしておらず、見た目にも美しいヴァイオリンだという話だった。
「そのヴァイオリンがどうしたのだ?」
「何でもそのヴァイオリン、弦を張ってもすぐに切れてしまうらしくて、まだ誰もその音を確認したことがなかったんですよ。どうも所有者を選ぶタイプの楽器だったらしくて、多くの音楽家が弦張りに挑戦したらしいです。で、ついにそのヴァイオリンに弦を張れる者が現れたんです」
「ほう、ではその音が聞けるのか」
「はい、今度、お披露目があるんです。友人がその招待状を手に入れたので俺を誘ってくれたんですよ」
にこにこと嬉しそうに楽器について話すエデルを見て、アリアはエクルト子爵領について思い出していた。エクルト子爵領は、その楽器が出てきたダンジョン以外は主に農村が広がる穀倉地帯だ。領主一家も権力闘争とは無縁の穏やかな人たちで、間違っても辺境伯の夫に危害を加えるタイプの人間ではない。
「ふむ、いいだろう。ただし、テオドールは連れて行ってくれ。それから子爵領に行くのに、乗り合い馬車で行くのは止めてくれ」
「え?ダメですか?それにテオドールさんにも悪い気がするんですが……」
思った通り、エデルは1人で乗り合い馬車で行くつもりだったらしい。それにその友人とやらはどうやってエデルを誘ったのだ?この屋敷にはエデル宛ての手紙など届いていないというのに。
「エデル、テオドールはお前の護衛だ。どこに行こうとも必ず連れて行ってくれ。それから、その友人はどうやってエデルを誘ったのだ?手紙などは届いていないはずなのだが」
「あ、酒場に俺宛の手紙が届くようになってるんです。俺たちみたいな吟遊詩人は、ふらふらとすぐにどこかにいっちゃいますからね。しばらく滞在する街では、主に活動拠点にさせてもらう酒場に手紙が届くように指定するんです。だいたい冒険者ギルド経由で酒場に届くんですよ」
吟遊詩人には、吟遊詩人なりのルールというものが存在しているらしい。確かに旅をしている者を捕まえるのはなかなか難しい。冒険者たちなら冒険者ギルドでだいたい情報が分かるが、吟遊詩人ともなれば登録していない者たちもいるからなおさら難しい。だが、一応は自分たちの連絡手段というものを持っているようだった。
「そうか。まぁ、それについては帰って来てからまた話合おう。目立たない馬車を用意するから、それに乗って行ってくれ。御者も軍から誰かつける」
「御者の方もですか?」
「ああ、辺境伯の夫が出かけるにしては少なすぎるくらいだ。だが、エデルのことはまだそれほど知れ渡ってはいないし、エデルもあまり大事にはしたくないのだろう?だから、せめてその2人は連れて行ってくれ」
これでもアリアは最大限譲歩した。護衛は2人だし、辺境伯家の紋を付けた馬車を用意するわけでもない。エデルがここに手紙を送るようにしていないことからも、相手がエデルの妻のことを知っているとも思えない。
「アリアさん、分かりました。では、テオドールさんと御者の方、それから馬車をお借りしますね」
「うむ。期間はどれくらいになりそうだ?」
「そうですねぇ、10日くらいですかね。そんなに離れていないので、それくらいで帰ってこれると思います」
妻が10日間ほど家を空けたら、今度は夫が10日間、お出かけしようとしている。つくづくすれ違い夫婦だな、と思い、アリアは小さく笑った。
「いつ出るのだ?」
「3日後くらいには出たいと思うんですが。何でもその演奏家は王都にある音楽学校の生徒さんらしくて、あまり長くこちらにはいられないんだそうです」
なので急遽、演奏会を開くことになったのだと友人からの手紙には書いてあった。
「分かった、テオドールにはその旨を伝えておこう。気を付けて行ってくるのだぞ。もし、欲しい物があったら辺境伯家宛てに請求書が来るようにして買ってきて構わないからな」
「あはははは、そんな甘やかされたら俺、好きな物を買ってきちゃいますよ」
「構わん。お前が多少、散財したくらいで辺境伯家は傾かん。エデルはもう少し、私に甘えてくれて良いのだぞ?」
エデルが欲しいと言った物は弦くらいで、服や楽器はこちらで用意した物ばかりだ。特に文句もなく、当り前のように毎日、着て触っている。
「んー、俺、けっこうアリアさんに甘えてるつもりだったんですけど、足りなかったですか。帰ってきたら何か考えます」
「あぁ、そうしてくれ」
「アリアさんも俺が帰って来るまでに曲名を考えておいてくださいね」
「……善処する」
そんな約束をしてからエデルは出かけて行った。
そして、演奏会が楽しみだという手紙を最後に、エデルは行方不明になった。