結婚式前⑩~お帰りなさい~
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裏社会の人に話せる範囲の話を聞いた翌日、エデルとクロノスは一日の大半をそわそわした感じで過ごしていた。クロノスの勉強も、今日は仕方ない、と言われて免除された。
エデルとクロノスがここに来てから初めてアリアがいない日々が続いた。それも軍を率いての山賊退治も兼ねていると聞いていたので、いくら無事に終わったとの知らせが来ていても、心配なものは心配なのだ。この目で本人の無事を確かめるまでは、安心出来ない。
「もうすぐかな?」
帰って来るのは夕方近くになると聞いていたので、夕方が近づいてきてからエデルはちょこちょこと窓から外を眺めていた。
外見はいつも通り侍女さんたちが磨いてくれた。アリアが帰って来た時に聴いて貰えるように歌も作った。さすがに昨日聞いたばかりの話では無理だったが、穏やかな恋愛を綴った曲や英雄譚をモチーフにした曲がいくつか出来たので時間がある時に聴いて貰いたい。
酒場で宣言した通り、エデルはもうアリアがいる場所以外では、歌うつもりも曲を奏でるつもりもなかった。エデルは今まで、舞台上だろうが酒場だろうが、誰かに聞いてもらえるのならどこででも歌っていたが、アリアがこの声が好きだと言ってくれたからそれで満足を得た。
アリアが自分を夫にし、クロノスを息子にして庇護を与えてくれた時、何か出来ないだろうかと必死に考えて、せめてアリアが褒めてくれた吟遊詩人としての才能の全てをアリアに捧げようと勝手に決めた。
曲を作るのは、アリアが褒めてくれた作詞作曲の才能を廃らせないため。歌うのはアリアがいる時だけ。
アリアには告げていない自分勝手なルールだが、エデルはそれを貫くつもりでいた。
この城に住むようになってから、夕飯後の一時に何度かアリアの前で歌ったが、とても穏やかで満足そうな顔をしていたので、多少はアリアの心の癒やしになっていると信じている。
実際、財務局の局長などからは、アリア様に良い影響を与えている、と言ってもらえたので時間が許す限りはアリアの為に頑張りたい。
「あ、帰って来た!」
こちらに向かってくるアリアの姿が遠くに見えたので、エデルは急いで部屋から出ると外へと向かった。途中でクロノスを拾って2人で外に出ると、すでに出迎えの為に城にいた者たちも出て来ていた。
「エデル様、若様も、こちらへどうぞ」
目ざとく2人を見つけたテオドールが一番先頭に2人を配置する。その後ろに他の者たちが整列して辺境の女帝を出迎える用意が調った。
「クロノス、アリアさんは無事に帰って来たよ。良かったね」
「お父さんが一番ほっとしてる気がします」
「うん。強いのは知ってるし、軍も精鋭揃いだから大丈夫だとは思っていたけど、世の中、何が起こるか分からないから」
「そうですね。僕もお父さんも気が付いたら辺境伯の旦那様と息子になってましたから」
「あはは、そうだねー」
クロノスが面白そうにそう言ったのを聞いて、エデルはこちらに関してもほっとした。
もう大丈夫。クロノスはアリアがいない数日でちゃんと自分の心と向き合って決着を付けた。クロノスは立派に辺境伯の後継ぎとして生きていく覚悟を決めたようだ。……まだ幼い子供にそんな覚悟をさせてもいいものかとも思ったが、生まれた時からここにいたわけではないので、幼くともそれなりの覚悟がなければここではやっていけないと思い、難しくても本人と色々と話し合った結果だ。
「お父さん、僕、もうちゃんとお母様と呼べます。お父さんもちゃんとお母様の夫でいて下さいね」
息子が聡明過ぎやしないだろうか。
「任せておいて!アリアさんの夫という役柄を演じきってみせるよ!」
お飾りで何の実権もなくて虫除けにもならないかも知れないけれど、結婚した以上、全力でアリアの夫を演じてみせる!
「……多分、僕の言ってる意味とお父さんが思ってることは違うと思う。ついでにお母様とは、もっと違うと思う……」
2人の子供だから、一番近くでプライベートの両親の関係を見てきた。
それこそ最初は、利害の一致で夫婦となって養子を取ったと思っていたけれど、最近は何か違う気がしていた。それとなくルドルフ先生に聞いてみたら、先生も賛同してくれた。侍女さんたちはもっと前から何か勘付くものがあったのか、本気でエデルの身を磨いている。
実は父が一番鈍いんじゃないかと思う今日この頃だ。
「心配しないでも立派にアリアさんの役にたってみせるよ」
うん、やっぱり違う。
ルドルフ先生、僕に弟か妹が出来るのはずいぶん先になりそうです。
声に出さずにクロノスは先生に報告をした。
「ただいま、2人とも。病気などはしなかったか?」
馬から降りたアリアがエデルとクロノスの前に来て微笑んだ。見たところアリアにケガ等もなさそうだ。
「お帰りなさい、アリアさん。無事で何よりです。俺たちはこの通りですよ」
「お帰りなさい、お母様」
クロノスがはっきりと「お母様」と呼んでくれたことに驚いたが、何か吹っ切れた顔をしているので、心境の変化があったのだろうと思い、アリアはクロノスの頭を撫でた。
「ふふ、ついついお土産をたくさん買ってしまったからな。後で渡すよ」
「はい、ありがとうございます。でも、お母様が無事に帰って来てくれたことが一番嬉しいです」
「おや、嬉しいことを言ってくれる。私もお前が健やかに過ごせているようで安心しているよ」
アリアがクロノスを抱きしめる姿を見守っていた周囲から、ほっとしているような雰囲気が感じられた。エデルもにこにこと笑顔でその光景を見守った。
「エデルは?来てくれないのか?」
「…はい?アリアさん?」
クロノスを抱きしめた後、アリアはそう言ってエデルの方に手を差し伸べた。
……これは、ここに来い、と言われているということであっているのだろうか。
はっ!そうか、これは城内や誰かの手の者に、夫婦仲は良好なのだぞ、と認識させるためのアピールか!
エデルは勝手にそう解釈すると、差し伸べられたアリアの手を取って、自分の頬に押し当てた。
「アリアさんの手は相変わらず温かいですね。冷たくなったらいつでも言って下さい。俺が温めますから」
「……そうか。ではいつか頼もう。今日はもうこれで仕事は終了だ。夕飯を食べたら、お前の歌を聴かせてほしい」
「はい。新曲も出来ているので、アリアさんにぜひ聴いてもらいたかったんです」
「ほう?それは、楽しみだな」
アリアはエデルの頬に押し当てられた手で今度はエデルの手を取り、自分の方へとその身体を引き寄せた。今、手で触れていたエデルの頬に口づけを落とすと、すぐにエデルを解放して軍の方へと振り向いた。
「皆の者、ご苦労だった。今日はこれで解散するゆえ、各自の報告は明日にしてくれ」
「「はい」」
エデルに見せないように軍人たちの方を向いたアリアの顔が、いつもよりちょっとだけ赤い気がしなくもないが、きっと気のせいだ。そうだ、きっと気のせいだ。
己に何度もそう言い聞かせて、今回の遠征は終了となった。
その後、独り身だった者たちがなぜか急に結婚したりしたのだが、仲間たちから、ぽんっと肩を叩かれていたのだった。