悪口雑言
弐奈は疲れていた。
取引先がクレームを食らって急務で対処しなければならないらしく、せっかくあと一歩で今月の目標に達成しそうな広告の営業が先延ばしになったからだ。
「まぁあとから回収できるとはいってもね・・・。」
目標に達成しなかった。これはいい、達成しなかっただけ。
でもそのあとだ。結果を見た藤田さんがまたねちねちと若かったときはこうだっただの、気合が足りないだの言ってくるのだ。藤田さんを含めた弐奈のまわりの職場の人間は、弐奈よりも何世代も上の、自分の父親に近い人間がほとんどだ。機嫌がいいときはいいときで、「弐奈ちゃんカレシつくんないの?つくんないとダメよぉ。」などと実家で飽きるほど聞いたセリフを聞く。
どちらにせよ職場の人間との接触がウンザリなのだが、流行り病で世の中が大混乱に陥ったときに入れた福利厚生はいい会社なので耐えている。
「帰りの電車に乗ると立っていてもつい眠りこけてしまいそうになるが、スマホのネットの記事を見てなんとか持ちこたえる。」
○○市で首つり遺体、××市が考案した条例が物議を醸す・・・といったニュースが並ぶ。とても世界が同じ空の元つながっているなんて思えない。自分とは全く関係のないことのように思える。
ふと、見知らぬアプリが入ってることに気づく。黒い背景に薔薇のようなどす黒い赤い花。そしてアイコンの右上には1というの通知の数字。ハッキングか何かかもしれないと思ったが、妙に惹かれるデザインだ。
アプリをタップして開く。
すると少しのロードの後、文字が出てきた。
「おめでとう 君が アリス」
文字を見た後、自分がどの道を通ったか思い出せない。
ぼんやりと、道路を歩いているという認識はあったが、どこか夢見心地だった。
今目の前にあるのは、家の門。和を感じる大きい平屋の家で、門は半開きだ。
アプリには、”どうぞ おはいり ください”の文字。
何かマズい感じがする。けど、なぜだか足を止められない。
中に入る。ぼんやりと暗い玄関に靴を置いて、廊下を進む。
一つだけあかりがついた部屋がある。
部屋を覗くと、そこには主がいた
おそらく、部屋の主。だけど、人の形はしてない。
真っ黒な円筒状のモヤの中に、無数の口がある。
それぞれうわごとのようにつぶやいていたり、放心状態のように開けたままになっている口。
しかし、弐奈に気づくと、それぞれが乱雑に「おかえり」と発してきた。
その中のひとつの口が話しかけてきた。落ち着いた穏やかさを感じさせる男性の声だ。
「おかえりアリス。それじゃあいつも通り衣装に着替えようか。」
「えと・・・ここに来るのは初めてなんですけど。あと、私アリスって名前じゃないです。」
「まぁまぁ、いいからそこにあるドレスに着替えて、席に着きなよ。今日もたくさんお話をしよう。僕らには耳がついていないからね。」
弐奈はそこにいる言葉を話す物体を不思議と疑問に感じなかったが、気味の悪さと恐ろしさを感じ、言う通りにした。目がついていないので、その場で着替えることが構わなかったが、帰りたい気持ちなのに本能的に”まだ帰れない”ということだけはわかった。
全体的に黒で赤色のアクセントの入ったドレスに、白のニーソックス、さらにはフリフリのリストバンドをつけて椅子にお淑やかに座る。絶対に普段ならしないであろうツインテールがぎこちなさを醸し出している。まるで観賞用の人形かのようにそこに座る。部屋の主には目は一つもついていない。しかし、アリスは"衣装"に姿を包む。
「それじゃあはじめようか。アリス。」
部屋の主がそう告げると、黒い円筒状の体がゆっくりと回転し、無数にある口のひとつがこちらを向いた。
「それでさー、俺言ってやったわけ。なんで営業部のミスを俺が肩代わりしなきゃいけないのかってさ!」
さきほどの落ち着いた男性の声とは打って変わって、若い気怠そうな男の声だ。
「じゃあかわりに明日は残業無しでいいとか報酬をあげるとか補填しろっつーの!マジでうぜぇ。」
「・・・・。」
このセリフに対してアリスは言葉を返せない。この空間でアリスが与えられた役目は"会話をすること"ではない。ひとつめの愚痴が終わったところで、また円筒状の部屋の主の体がゆっくりと1/4ほど回転する。
今度は自分よりも少し若いだろうか、甲高い声で女子高校生のようだった。
「ほんとあのアンドウとかって男子ウザいんだけど、アタシが教科書貸してやったのに一言もお礼ないとか。死ねやクソ陰キャオタクが。絶対将来ハゲちらかして引きこもって最後には犯罪おかして死ぬタイプだわ。本当ウゼー。」
・・・・・。
再び黒い円筒状の体がゆっくりと回転する。そしてまた一つの口がアリスに対し愚痴をこぼす。
常連客の体臭がひどくて仕事に集中できない本屋のバイトの青年、金をかけてやったのに息子からの恩返しがないと文句を言う老年の女性、政治に対し持論を並べる壮年の男性といった様々な人間の「愚痴」
を聞く。ただ聞く。それに対してアリスはなんの回答もしない。
それらの人間を癒したり、問答をして解決策を出すなどは一切しない。
ただ吐き捨てられる、それがこのアリスに課せられた使命だった。
おびただしい数の愚痴を聞いた後、即座に弐奈の意識は薄れていった。
世界が闇に包まれる最期の瞬間に、主の声が聞こえた。
今日も気持ちよかったよ、 アリス --------------




