児童虐待
その事件を知ったのは、夕飯時につけていたニュース番組からだった。
幼い子供が、虐待によって亡くなった。
顔も名前も知っていた。
虐待の疑いがあると通報を受けて訪問したが、決定的ではなく、保護は出来なかった。
やはり、虐待されていたのだ。
あれから、一ヶ月。
俺は、罪悪感を抱えながらも日々を過ごしていた。
「ねえ。おばちゃんの家の子にならない?」
帰宅中聞こえた声に顔を向ければ、見覚えのある女性が、顔に殴られたような痣のある男児に声をかけていた。
あれは、高校の頃の先輩?
「じゃあ、行こっか」
子供が頷いたので、彼女は手を繋いで歩き出そうとした。
「先輩? 俺の事、覚えてますか? その子は?」
話しかけると、先輩は俺の事を覚えていて、男児は隣の家の子供だと教えてくれた。
結婚していて、子供が出来ない事を責められて、離婚したいのに拒否されているとも。
それで、この子が虐待されている事を知って、欲しくなったらしい。
この子が望むなら、二人で生きて行きたいと。
俺は、止めるべきなのだろう。
児童相談所が保護した後、正式に引き取るべきだと。
だが、あの子は保護出来なかった。
それを思うと、俺は、先輩を止める事が出来なかった。
「見逃してくれるの?」
「俺は……。俺にも、手伝わせてください」
先輩の旦那に見つからないようにアパートを借り、先輩の仕事が決まるまで、家に帰らないつもりだ。
仕事には行った。
家に帰らないのは、独身だからじゃない。
妻がいて、娘もいる。
だが、帰る気にはならなかった。
妻は完璧主義で、「お母さんの様にはなりたくない」が口癖だ。
義母は、良い母では無かったらしい。
だから、自分は良い母になるのだと、気負っているのだ。俺が、息苦しく感じる程。
普段は兎も角、あの子を助けられなかった罪悪感がある今は、安らげないあの家には帰りたくなかった。
そう言えば、向こうから電話が来ないなと気付いたのは、二ヶ月が経った頃だった。
此方からは、帰らない理由をどう誤魔化せば良いか分からず連絡しなかったが、向こうから来ないのはおかしい。
その事に、二ヶ月も経ってから気付くなんて、自分が信じられなかった。
先輩に対する気持ちが、浮気? いや、本気なのか? だからなのか?
だが、先輩とは何もない。
手を繋いだ事すらない。
先輩と結婚したい訳でも無いし、妻と別れたい訳でもない。
娘だって……。
その瞬間、娘に対する後ろめたさが押し寄せて来た。
よその子ばかり可愛がって、俺は、何をしているんだ!
俺は、娘には妻が居るから大丈夫だと思って、思い出しもしなかった。
明日、帰ろう。
先輩の仕事も保育園も問題無い。
その事件を知ったのは、夕飯時につけていたニュース番組からだった。
幼い子供が、虐待によって亡くなった。
顔も名前も知っていた。
俺の娘だったから。