エピローグ
朝からよく晴れていた。
あれから数ヶ月。
マーガレットは相変わらずだが神殿の暮らしに馴染み、陛下は公務に復帰し、日常が戻りつつあった。
カラベティアン卿は国外へ追放された。
直接毒を盛った者に関しては、キャロラインが無事であったことと、首謀者ではないこと、親の病気などが考慮され、大きな罪には問われなかった。
手紙だけは送り、罪が知られていること、親を看取ったら、こちらに戻ってきて贖罪のために働くように伝えられた。
ラグナードは、以前より感情がはっきりしてきたのを感じていた。
たまに些細なことで笑いが止まらなくなるので少し困っていたが、以前より毎日が楽しく思える気がしていた。
ミルディアとは王宮で顔を会わせたら立ち話をする程度であったが、その頻度や時間が増えたように思う。
以前より互いに笑顔が増えた気がする。
新年を祝うお祭りの朝。
「ミルディアを迎えに行ってくれるか」
ラグナードはウィルフレッドに頼まれた。
「言っておくが、馬車は使えない。大通りは人の往来のために通行止めになってるからな」
何となく、ウィルフレッドが意味ありげに笑っているように思えたが、ラグナードは心当たりがなかった。
愛馬のブルーノに跨がり、裏通りを走って神殿を目指す。
20分ほどで神殿に辿り着く。
入り口で用件を告げると、
「少しお待ちください」
若い巫女が奥に走っていった。ラグナードは外で待っていた。
「お待たせしました」
ミルディアの声に振り向いて、ラグナードは固まってしまった。
ミルディアはいつもの簡素な巫女装束とは違う、儀礼用の豪華な衣装を身に付けていた。
金糸で刺繍が施された裾が長い白いローブは、まるでそれ自体が光を放っているようだ。
いつもより血色が良く見えるのは、化粧のためか。
太陽の光のせいか薄茶色の髪が金色に輝いて、その髪には白と紫の花が飾られていた。
白と金と紫で彩られたミルディアは、高貴と言うか神秘的にすら見えて、いつもとの違いに驚いてしまったのだ。
「ミルディア様きれーい」
ラグナードの金縛りを解いたのは、子どもたちのはしゃぐ声だった。
「ありがとう」
ミルディアが笑った。陛下とマーガレットの状態が落ち着いたからか、以前より笑顔の明るさが増した気がする。
「では参りましょうか。リリーはどこですか?」
ラグナードがミルディアの愛馬の名前を出すと、ミルディアは困った顔をした。
「この服装では馬に跨がれないので、この服を着るときは普段は馬車で移動するのですが……」
「馬車は使えないのです。大通りは通行止めで」
2人は顔を見合わせてしばし沈黙した。
「去年まではどうされていたのですか?」
ラグナードが尋ねると、
「前日から王宮に泊まらせていただいていました。今年はマーガレット様の事等で色々忙しかったので、すっかり失念してしまって……。歩いては間に合いませんし……。仕方ありません、2人乗りしてください」
ミルディアが頭を下げた。
まず、どちらが前に乗ったほうが安定するかで悩むことになった。2人とも2人乗りの経験がほぼ無かったのだ。
「そう言えば、初めて兄に馬に乗せてもらったときは、兄が後ろから支えてくれました。私が子どもだったからかもしれませんが、前の方が揺れないからと言っていた気がします」
ふと昔を思い出してミルディアが言った。
髪飾りの花が崩れないように、ミルディアが前に乗ることにした。
まずラグナードが普通に馬に跨がり、ミルディアの手を引いて馬の上に引き上げ、前に座らせた。
ミルディアの服装では横座りしかできないので、それを後ろから支えるようにラグナードが手を回し、手綱を握った。
ミルディアの小柄な体がラグナードの両腕の間にすっぽり収まっている。
ミルディアの髪がラグナードの顔をくすぐり、ふんわりと花の香りが漂う。
ラグナードはなぜか一瞬めまいがして、顔を背けて頭を振った。
「どうかされました?」
振り向くミルディアに、
「いや……何でも……」
ラグナードは顔を背けたままそう答えるのがやっとだったが、顔が赤くなってる気がした。
「ずいぶん人間らしい反応をするようになったではないか」
耳元で神龍の声が聞こえ、ラグナードは横を見た。
先程までいなかった神龍がそこにいた。
「案ずるな、今はお前にしか見えないし声も聞こえないようにしている」
(貴方の仕業ですか?)
ラグナードが心の中で問いかける。
「何のことだ? 我は何もしておらぬぞ。お前の素直な反応だ」
神龍が笑った気がした。
(陛下の意味ありげな笑いは、もしかするとこれだったのか……)
ラグナードは手綱を握りしめた。
不思議そうにラグナードの顔を覗き込んでいたミルディアだったが、
「あ、気のせいかもしれませんが、少し瞳の色が変わりました?」
額が触れそうな至近距離から見つめながら、ミルディアが言う。
こんなに近くで女性に真っ直ぐに見つめられたことがあっただろうか、と思うとそれだけで顔に血が集まる思いだった。
そもそも赤い瞳のせいで女性が寄ってくることなど無かったのだ。
「少し、自分でも変わったかなと思います」
やっとそれだけを口にした。
血のように真っ赤だった瞳が、少し金色が混ざったような明るい色になった気がする。
「昔は金色だったんですよね。可愛かったなぁ」
昔を思い出してミルディアは笑う。
「あ、赤い瞳が可愛くないと言うわけではなくて、小さい頃が可愛かったってことですよ」
慌てて付け加える。
「……わかってます。初めて会ったときは俺はまだ4才で貴女より小さくて……でもその頃の記憶は俺にはなくて……今は貴女のほうが小さくなってしまって……」
自分でも何を言ってるのかわからなくなってきた。
そんなラグナードを見て、ミルディアは姉のような優しい笑みで頭を撫でてきた。
(まるで子ども扱いだな)
ラグナードはため息をついた。
ミルディアの中ではラグナードは小さい子どもの印象のままなのだろう。
神殿で暮らす子どもに向ける眼差しと何ら変わり無い。
「行きましょうか。遅れてしまいます」
ミルディアに促され、ラグナードは馬の腹を蹴った。
「ミルディア様ー! 行ってらっしゃーい!」
子どもたちが手を振る。
「行ってきます。今日はお祭りでご馳走が振る舞われるから、夜を楽しみにしててね」
ミルディアが手を振り返した。
神殿にもお祭りで色んな届け物があるのだ。
見送った子どもたちが話していた。
「騎士様格好いいなー」
「僕、大きくなったら騎士になりたいな」
「私は巫女になれるかな」
「ミルディア様、いつもより綺麗だったね」
「あの服、まるでウエディングドレスみたい」
「いいなー、私もドレス着たい!」
「今日ってミルディア様の結婚式?」
「違うよ、お祭りだよー」
口々に感想を言い合う。
2人の耳には届かなかったが。