42、ミルディアの想い・2
「ミルディアよ。生まれと言うのは人生を左右する。どんな国に生まれるか、どんな親兄弟か、どんな家に生まれるか。どんな能力を持つか、どんな容姿を受け継ぐか、体は丈夫であるか。恵まれている者はいるし、そうでない者もいる」
神龍は語り続ける。
「外海と隔絶された国で育つお前は知らぬだろうが、この国は温暖で食物もよく取れるし、豊かで発展している方でな。衛生面や医療レベルも高い方だ。貧しい国で生まれたら、それだけで人生は大変な苦労がつきまとうことになる。この国の貧しい者よりもっとひどい。今お前が身に付けている服程度の値段で子どもが売り買いされる国もある。男児は労働力として、女児は接待役として。売られた子の多くは飢えと病に苦しみ、成人まで生きられぬ」
想像を越える話にミルディアの顔が青ざめる。
「この国では16才にならねば婚姻を結べぬが、国によっては労働力としてもっと早くに子どもを生まされ、命を落とす女児もいる。戦争や疫病のある国はもっと悲惨だ。弱い者が次々に命を落とす。そういう者たちを全て救うのは我らにも不可能だ。この国に生まれたことは、それだけでも幸福かもしれん。マーガレットの母親とて貧しさから売られたとは言っても、一応人としての暮らしはできていたからな。だからまだマシだと言うわけにはいかんが、少なくとも命の危険は無かったわけだ」
「生まれを変えることはできぬし、今持っているものでなんとかするしかないが、できぬこともある。悲しいがな」
「だから、できることがある私は、やらないといけないと思っています」
「変えられない生まれよりも、どう行動するかの方が大事だ……お前はちゃんとしている。だが、頑張りすぎて体を壊しては元も子もないからな、それだけは気を付けよ」
「ありがとうございます」
ミルディアはしっかりと礼をした。
神龍の姿が見えなくなると、また祭壇に向き直った。
これは自分自身の卑しさと向き合う時間でもある。
ミルディアは自身の卑しさを理解し、嫌っていた。
どうしてもヴィクトリアと自分を比べてしまうのだ。
何の能力もなく、何不自由無く自由に生きている貴族の子女を羨ましく思うのだ。
良くないことだとわかっている。
誰かと比べたところで何が変わるわけでもない。
だからそれを振り払うために、忘れるために祈りに没頭するのだ。
ミルディアの母とヴィクトリアの母は、ある意味正反対だった。
娘の力を世のために使おうとしたミルディアの母と、手元におこうとしたヴィクトリアの母。
ミルディアの母の方が立派なのかもしれないが、愛情の深さはヴィクトリアの母の方が感じる。
ミルディアの瞳は隠しようがなかったのだから、比べてはいけないのかもしれないが。
それでもそんなことを考えてしまう自分の卑しさが嫌だった。
聖女ではない。普通の人間だ。
こんな卑しい考えをする聖女などあってはならない。
それでも、聖女としてあらねばならない。
聖女らしく努力しなければならない。
「ミルディア、聖女は政治的な権限はありませんが、王妃と並ぶこの国の象徴であり、人々の心の拠り所でなくてはいけません。常に心を平静に保ち、人々が安心するように穏やかな笑みを浮かべ、世のために尽くすのです。この国のために」
母の声が甦ってくる。母も聖女経験者なのだ。
ミルディアは感情の起伏が激しいタイプで、ミルディアの母はそれを案じていた。
ミルディア自身も、平静を保つのが苦手だと自覚していた。
それでもなんとか平静を装うことはできているが、やはり未熟だと感じる。
そんな私にもできること。人々のために祈ること。
何万回も祈ったことを繰り返す。
不幸にして亡くなった人たちの魂に安息を。幸多き次の人生を。
そして、今苦しんでいる人たちが少しでも救われますように。
ミルディアは祈り続けた。
「……ミルディア様」
声をかけられて、ミルディアははっとした。
「お休みなのにこちらにいらしたのですね。夕食の時間になっても見当たらないので心配しました」
若い巫女のイザベルが呼びにきた。
「夕食?」
外を見ると夕日が差し込んでいた。
朝からずっと祈っていたことになる。
膝立ちの不安定な姿勢で眠っていたはずはないのだが、時間の感覚は無く、脚はすっかり痺れてしまっていた。
「手を貸してもらえる?」
イザベルに手を貸してもらい、なんとか立ち上がる。
(折角のお休みにお祈りしかできなかった。少し休むと神龍に約束したのに、守れなかった)
ミルディアはため息をついた。
「ミルディア様はいつも一生懸命で、すごいです」
自分の半分程度しか生きていないイザベルが拙い言葉で褒めてくれる。
「ありがとう。自分にできることをするのはとても大事です」
「でも、無理しないでくださいね」
(こんな小さな子にまで心配されるなんて……)
ミルディアは少し反省した。
「ありがとう。そうね、少し休むことを覚えるわ。早く行きましょう。折角の食事が冷めてしまいます」
「今日は、以前ミルディア様に助けられた方が鹿肉を届けてくださったので、鹿肉のシチューですよ」
神殿にはこう言った感謝の気持ちがこもった差し入れがよく届けられる。
「イザベルも手伝ってくれたの?」
「はい」
イザベルは少し誇らしげだ。
「それは楽しみね。きっと美味しいでしょう」
2人は談笑しながら食堂へ向かった。
(こんな時間にも感謝して、大事にしよう)
ミルディアは思った。




