9.出発
ユリアエールから大量のレターセットを受け取ってから三日後――――。
アズリエールは万全の準備の下、婚約者でもあるオルクティスの国マリンパールへと出発した。
その際、両親と姉だけでなく屋敷の使用人の殆どが一瞬だけ仕事の手を止め、アズリエールとの別れの為に送り出しに顔を出してくれた。
特に母は、まるで今生の別れのように涙ぐんでいた……。
逆に父は穏やかな笑みを浮かべながら「たくさん学んで楽しんできなさい」と、まるでアズリエールの門出を祝してくれるような態度だった。
そして問題の姉ユリアエールからは、たくさん手紙のやり取りをする事を何度も約束させられた。
その後、アズリエールが数名の護衛に囲まれた馬車に乗り込み出発すると、姉はこちらから姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
その姉の様子に別れの寂しさだけでなく、何故かホッとしてしまう気持ちも抱いてしまったアズリエール。
同時にそんな気持ちを抱いてしまった自分に嫌気もさしてくる……。
そしてそれは、アイリスとの会話中にも感じてしまった事だ。
姉は、けしてアズリエールの事を憎んだり嫌ったりしている訳ではない。
むしろ、かなり自分を慕ってくれているとは思う。
しかし、その慕い方がどこか歪なのだ……。
姉が男性不審のトラウマを抱え始めてからの幼少期の頃は、自分が姉の事を守らなければいけないと責任を感じ、姉の求めに応じようと常に隣に寄り添ってきたアズリエール。
しかし何度も自分の縁談が姉の登場で破談してしまう事から、姉の慕い方に違和感を感じるようになってしまった。
そして今現在の姉のその慕い方は、自分に対しての酷い執着のように感じてしまう事が殆どである。
しかし、マリンパールに向って出発した瞬間、その姉から解放されたような気持ちがアズリエールの中に生まれてしまった。
自分では気づかない内に姉からの執着は、かなり負担だったのかもしれない。
ならば同じように姉に気遣い過ぎていた自分の存在も姉にとっては、負担だったのかもしれないと考えたアズリエールは、父が言っていた『お互いに離れた方がいい』という言葉を思い出す。
同時にこれを機に今まで止まってしまった姉の時間が、また動き出して欲しいとも……。
そんな事を考えながら、アズリエールは自分の隣にある大事な書類等が入っているトランクを開けた。
すると、中から何通かの手紙が出てくる。
その宛先は全てアズリエールになっているが、差出人名は全て違う。
アズリエールは、その中で一番パンパンに膨れ上がっているアイリスからの手紙を手に取った。
そして同じくトランクに入っていたペーパーナイフで封を切り、中から便箋を取り出す。
どうやら中にはアイリスからだけでなく、アレクシスからの手紙も入っていたようだ。
アズリエールは、まず初めにアレクシスからの手紙を読み出す。
サンライズからマリンパールまでは、馬車での移動だと三日程かかる……。
今日はマリンパール領に入ってすぐの屋敷で昼休憩を取り、そのままそこで一泊してから翌日に次の休憩場所である別の屋敷へと向かう。
大陸の半分を囲うような領地であるマリンパールは、その細長い領地の一番端に城を構えているのだが、その場所は隣接するサンライズ国とは真逆の位置だ。
その為、馬車で移動した場合は、どうしても時間がかかる。
そんな三日間の馬車旅に備え、アズリエールは退屈しないようにと何冊かの小説と、マリンパールに関する書籍をこのトランクに入れて来たのだが、それよりも今朝方一斉に届いた友人達からの手紙を読む方が、この移動時間を有効に使えると思ったのだ。
そしてその手紙の殆どは、たった一人で隣国に向かうアズリエールの事を心配してくれている内容だった。
それらの手紙を読んで、姉の事やマリンパール行きへの不安を少し軽減しようと思ったアズリエールだったが……。
最初に読み始める手紙をアレクシスにしてしまった事で、すぐに後悔する事になる。
そこにはユリアエールへの対策法が、びっしりと書かれていたからだ。
「アレク兄様のこういう所が有能だけれど、ダメな部分でもあるんだよね……」
そう零しながらもアレクシスが自分をかなり心配してくれている気持ちが伝わってきたので、アズリエールはその手紙を丁寧に読み始めた。
そうしてしばらくは、皆から貰った手紙を順番に熟読する事に熱中していたアズリエール。
しかし、急に馬車の揺れが静かになっている事に気付く。
ふと馬車の外に目をやれば、いつの間にか太陽が一番高い位置まで昇っていた。
同時に現在馬車が進んでいる地面は、かなり舗装された道だと気付く。
どうやら本日最初の休憩地点にそろそろ到着するようだ。
すると、外から護衛の一人が声を掛けてきた。
毎回オルクティスが、サンライズ国を訪れる際に供として同行している護衛のラウルだ。
20代半ばくらいのラウルは、初め堅物そうで非常に取っ付きにくかった青年だが、実はかなりの甘党でケーキの話題を振ったら、一気に打ち解けてくれた。
「アズリエール様、そろそろ本日最初の休憩場所となるクロフォード領内のお屋敷に到着いたします」
「クロフォード領って……もしかして風巫女リデルシア様のご婚約者様のご領地?」
「よくご存知ですね? リデルシア様からお聞きになられたのですか?」
「それもあるけれど……リデルシア様のご婚約者様って、サンライズの方でもかなり有名だから」
「あー……。そうでしょうね……」
リデルシアは、風巫女の三家あるうちの一つストーム家の次女だ。
そしてアレクシスの婚約者アイリスの親友の一人でもある。
しかし……社交界でのリデルシアは婚約者との不仲が有名で、毎回夜会ではどちらが多くの令嬢達を魅了出来るか張り合っている……。
男装させたら確実に理想が集結した王子様のような麗人となる剣術が得意なリデルシア。
対してその婚約者は剣術の名門と言われ、マリンパール王家からも絶大な支持を得ている家に生まれながらも大の剣術嫌いな上に容姿も色白で体の線が細い美青年の現クロフォード伯爵のレイオット。
大陸を半周程囲うような横長の領土であるマリンパール内では、一番サンライズ寄りの位置に領地を持っているクロフォード家のレイオットは、よくサンライズで開催される夜会に参加しているのだが、そこでは毎回婚約者であるリデルシアと、どちらが多くの女性を魅了出来るかで張り合っていたのだ……。
その為、アズリエールも何度か二人のバトルを観戦した事がある。
「もしかして今日は、そのお噂のクロフォード卿にお会いする事が出来るのかな?」
「申し訳ございません……。今回は伯爵よりお持ちの別邸をオルクティス殿下がお借りしただけなので、ご本人はご滞在されていないのですよ」
「そっかー。ちょっとお会いしてみたかったなー。オルクとは幼馴染でもあるんだよね?」
「はい。オルクティス殿下は幼少期より前クロフォード伯爵より剣術指南を受けておられたので、その頃からご子息のレイオット様とは、大変親しい間柄でございますね」
「クロフォード卿から、オルクの昔話とか聞きたかったなー」
「でしたら、オルクティス殿下より直接伺った方がよろしいのでは?」
「ラウルは分かっていないなー。僕が聞きたいのは、何でもソツなくこなしてしまうオルクの幼少期の失敗談だよ? 本人に聞いてもそんなの話してくれないよー」
イタズラ小僧のような笑みを浮かべているアズリエールのその要望を聞いたラウルが苦笑する。
「確かにそのような内容では、なかなかお話して頂けないかもしれませんね。ですが、この長い道中の三日間であればお話頂けるかもしれませんよ?」
そのラウルの言葉にアズリエールが、大きき目を見開く。
「えっと……それって、どうゆう……」
「おっと! 到着致しました。私は出迎えの者に先に言付けてきますので、少々失礼致しますね?」
「えっ!? ちょっ、ちょっと待って!! まだ話の途中……」
先程とは逆に今度はラウルの方から、何かを企んでいるような笑みを向けられてしまったアズリエールは、そのまま馬車の中に取り残された。
しかしそのラウルの笑みの意味は、クロフォード家の別邸に着いた瞬間に判明する。
屋敷の入り口前に馬車が止まると馬車の扉が開けられたのだが、その開けた人物が婚約者のオルクティスだったからだ。
「アズリル、長時間の馬車の旅お疲れ様」
「オル……ク? 何で? もしかしてマリンパールから迎えに来てくれたの!?」
予想通りにアズリエールが驚いた反応を見せたので、オルクティスが満足げに微笑む。
「いいや? 実は昨日まで僕は、サンライズ領内にあるマリンパール管轄の警備隊の詰め所の視察で来ていたんだ。だったら帰りを1日遅らせて今日一緒にアズリルと国に戻ろうかと思って。だからレイ……クロフォード卿からお借りしているこの別邸で、一足先にアズリルが来るのを待ってたんだよ」
そう言いながらオルクティスが、アズリエールが馬車から降りやすいようにエスコートをし出す。
そのオルクティスの返答にアズリエールの表情が、パァーっと明るくなった。
「じゃあ、マリンパールに着くまではオルクも一緒って事!? やったー! 実はあと二日間も馬車の中で一人で過ごすのは、時間を持て余しそうだったから……。でもオルクが一緒なら、ずっとおしゃべりしていられるし退屈しないで済むよ!」
「お役に立てるようで良かったよ。ところで……」
一度言葉を溜めたオルクティスが、アズリエールの全身を上から下へと眺め見る。
「今日のアズリルは、まだドレス姿ではないのだね?」
オルクティスに残念そうに言われてしまったアズリエールは、バツが悪そうに眉を下げた。
「ごめん……。ドレスを着るのは、マリンパールへ到着する直前でいいかと思って……」
「それならば移動最終日にその姿を見れるのかな? それまでは楽しみにしてるよ」
「それは楽しみに……なるの?」
「だって僕は、まだ君のドレス姿を一度も見た事がないから」
苦笑気味で言われてしまい、アズリエールが更に申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ご期待に副えるかは保証出来ないよ? 最終日のドレスもかなり動きやすいデザインの物を着る予定だから……」
「動きやすい? どうして?」
「ふふふっ! それはマリンパールに着いてからのお楽しみって事で!」
悪戯を企むような笑みを浮かべたアズリエールの様子にオルクティスが、更に苦笑する。
「君の事だから、きっと素敵なサプライズを企んでくれているとは思うけれど……。張り切り過ぎて無茶をするような事だけはしないでね?」
「うわー。僕って信用ないなー」
「そうではないよ。信用しているからこそ心配してしまうんだ……。だって君は、そのサプライズ的な計画を実行する為に無意識で過剰サービス並みに頑張り過ぎてしまう所があるようだから」
やや困った笑みを浮かべたオルクティスにそう言われ、アズリエールが面白くなさそうに口を尖らせる。
「僕にそういう傾向がある事をオルクに助言したのって、絶対アレク兄様でしょ……?」
「アレクシス殿下はアズリルが頑張り過ぎて何でも一人で抱え込むのではないかと、かなり心配していたよ?」
「それ、出発前に散々サンライズで言われてきたのに……。しかもアレク兄様だけでなく、先輩巫女達や親友の巫女からも! なのにオルクからも注意をされるの?」
「それだけ君の周りの人間が君の事を慕っているって事だよ。だからついつい過剰に心配してしまうんだと思うよ」
「嬉しいけれど……ありがた迷惑かも……」
「そんな事を言ったらダメだよ? アズリルの事を心配してくれる人が、それだけ周りに存在してくれるこのありがたい環境に感謝しないと」
「はーい」
オルクティスのエスコートで屋敷の中に促されたアズリエールが、やや不貞腐れ気味な返答をした。
その態度にオルクティスが小さく噴き出す。
「そうそう。実はこのクロフォード家の別邸には、絶品のシフォンケーキを焼くパティシエがいるのだけれど……お茶の時間に出して貰おうか?」
「絶品シフォンケーキ!? それ、食べてみたい!!」
先程の不貞腐れた表情から一変し、アズリエールの瞳が輝き出す。
そのコロコロとすぐに変わる表情豊かな婚約者の反応にオルクティスは、もう一度吹き出した。
「アズリルは、ケーキや甘いお菓子が大好きだよね?」
「知らないの? 大抵の女の子は甘い物が大好きなんだよ?」
「でもレイの婚約者殿は、苦手なようだけれど」
「ああー……。リデルシア様は女の子というよりも王子様みたいな存在だから。その甘い物大好き法則には、当てはまらないかも」
「『甘い物大好き法則』って……」
それを聞いたオルクティスは、ついに口元に手を当て笑いを堪え出す。
「あっ、もしかしてクロフォード卿は、リデルシア様の為にそのパティシエをこのお屋敷で雇っていたのかな?」
「いいや? それは単にレイ自身が甘い物が好きなだけだと思う」
「クロフォード卿は甘党なんだ? うーん、甘い物が苦手なリデルシア様とは、ますます話が合わなそう……」
「どうかな? 少なくともレイはリデルシア嬢の事を気に入っているように僕には見えるけれど」
「そうなの? あっ、でももし本当にお互いに嫌っていたら、さっさと婚約解消してるもんね。案外仲良しなのかな?」
「どうなんだろうね?」
やや意味深ないい笑顔を浮かべているオルクティスの様子から、何となく馬に蹴られそうな内容になるのではと勘づいたアズリエールは、敢えて話題を変える事にした。
「そうれはそうと……今日の昼食って、どんなメニューなのかな?」
「アズリルは甘党なだけでなく、食いしん坊でもあるよね?」
「仕方ないでしょ? だって巫女力使うとお腹が空くのだもの!」
「今日の昼食のメインは、シカ肉を使った料理だと聞いているよ?」
「お肉! そしてお茶の時間には、噂のシフォンケーキだよね!? わぁ~! 楽しみ~!」
「アズリルは、本当にもてなし甲斐があっていいね」
「あー! 今、単純に喜ばせられる令嬢って思ったでしょ?」
「少しだけね」
「でも僕はそんなに単純ではないからね? 今日のおもてなしで次の休憩地点で準備されているおもてなしの期待値が、かなり上がったよ? 大丈夫?」
「そこもちゃんと踏まえて準備してあるから、期待して貰って構わないよ?」
「ふふふっ! 残り二日間の旅が、ますます楽しみになってきた!」
先程まで姉の今後の行動の事を警戒し、やや沈み気味だったアズリエールだったが、オルクティスと合流した事でそれらの不安がすっかり吹き飛んでしまった。
今後のマリンパールまでの道中は、楽しいものになると確信したアズリエールは、瞳をキラキラさせながら、オルクティスの後を付いて行き、食堂へと向かった。




