43.もう一人の姉
一方その頃のアズリエールは、あまりにも泣き過ぎた為、ハルミリアに付き添われながら自室に下がっていた。
その間、テイシアに呼び出されたオルクティスが、何故か様子を見に来たのだが、アズリエールのその状態を見るや否や、物凄い勢いでテイシアの元に抗議しに行ってしまったのだ……。
それを止めようとアズリエールが二人の元に向おうとしたのだが、それはやんわりとハルミリアに阻まれてしまう。
「アズリル、あなたは気にしなくていいのよ。だってお義母様には、少し反省して頂いた方がいいもの!」
そう言ってハルミリアが、息巻きながら怒りを露にする。
しかしオルクティスの様子から、かなりの修羅場になっているのではと、アズリエールは気が気でない。
そんなアズリエールの様子に気付いたハルミリアが、思わず苦笑する。
「あんなにも意地悪をされたお義母様の事を心配するなんて……。あなたは、本当にお人好し過ぎるわね」
「ですが、今までのテイシア様の行動は、わたくしの為を思っての事で……」
「それでもあなたを酷く追いつめる行為は、頂けないと思うわ!」
「それもテイシア様は、詳細を知らされていなかった為、不可抗力ですし……」
「アズリル? これは怒ってもいい案件だと思うわ? いくらあなたを成長させる為だとは言え、お義母様はやり過ぎよ!!」
プリプリと怒り出してしまったハルミリアにアズリエールが、やや困り出す。
確かに今回、テイシアの言動には深く傷つく事が多かった。しかしその根本的な原因には、姉のユリアエールの存在が大きく関わっている。
テイシアはそれを見抜いていたからこそ、アズリエールに対して姉と対等に向き合えるような状況を用意しようとしていた事が、今のアズリエールには何となく理解出来る。
同時に自分はずっと姉から逃げていたという事にも気付かされた。そんな事を考えていると、ハルミリアが心配そうにアズリエールの顔を覗き込んで来た。
「アズリルは……お姉様の事が苦手?」
遠慮がちに聞かれたその問いにアズリエールが、大きく目を見開く。すると、ハルミリアが困った様に寂し気な笑みを浮かべた。
「いきなりこのような事を聞くのは失礼よね……。でもね、お義母様からお姉様が来訪する事を聞かされた時のあなたの様子が、あまりにもショックを受けているように見えたから……」
「苦手……ではないです。ただ――どう接していいのか、酷く分らなくなる事があるのです……」
「そう……」
短く返答をしたハルミリアは、優しくアズリエールの髪を後方へと撫で始める。
その優しい愛撫にアズリエールの不安が少し和らいだ。
「でもね、わたくし達からするとユリアエール嬢は、あなたの事が大好き過ぎて、とても大切にしているような印象を強く受けるの」
そのハルミリアの言葉にアズリエールが、怯える様にビクリと体を強張らせる。
その反応にハルミリアが苦笑した。
「お義母様もおっしゃっていたけれど、本当よ? でもあなたは何故か、自分がお姉様から良く思われていないと感じているのではないかしら?」
「…………」
「わたくしは、お義母様のように察しが良くないから、あなた達姉妹に過去何があったのかは全く想像が付かないけれど……。でもね、これだけは言えるわ。お姉様とちゃんと向き合って、本音で話し合った方がいいと思うの」
優しく諭すようにそう助言してきたハルミリアにアズリエールが、縋る様な視線を返す。するとハルミリアが両手で、そっとアズリエールの両頬を包み込んだ。
「大丈夫。あなた達は誰よりも近しい存在の双子なのだもの。きっと話し合えば分かり合えるわ」
そう言って安心させるように優しい笑みを浮かべてくれたハルミリアだが……。
アズリエールの頭の中では、幼馴染のノリスから聞いた姉の言葉が何度も繰り返されてくる。
『自分はあの出来事で男性が苦手になったのにアズだけ幸せな結婚をするなんて許さない』
ノリスはそれを姉の本心からの言葉とは思えなかったと言っていたが、今まで縁談を妨害して来た姉の行動を見ると、それは本心からの訴えとしかアズリエールは思えないのだ……。
だからこそ、姉と向き合うのが怖い。
もし今回、姉と向き合おうとした際にオルクティスの婚約者の座を譲って欲しいと直接言われたら、自分はどうしたらいいのだろうか……。
もちろん、自分の気持ちを優先で考えると、それは絶対に受け入れるつもりは無い。しかし『7年前の責任として』と、打診されてしまったら……それは罪悪感に苛まれているアズリエールにとっては、絶大な効果の言葉となる。
姉に罪を償いたいと、7年間ずっと抱き続けていたアズリエール。
その為なら、大抵の事は諦められると今まで思っていた。
しかし、今は違う。
優しく頭を撫でられたり、悪戯を企むような笑みで顔を覗かれたり、一緒にいるだけで常に心地よさを与えてくれるオルクティスの隣だけは、たとえ姉であっても譲りたくない。ここは初めてアズリエール自身が、安心出来ると感じられるやっと見つけた場所なのだ。
その場所に姉だけでなく、他の女性がいる状況など想像しただけで、胸が押しつぶされそうになる。
それが恋愛的な感情から来るものなのか、正直アズリエールには分からない。
だが、もしあの優しい眼差しをオルクティスが他の女性に向ける事を想像すると、酷く悲しい気持ちなってしまう。
早く姉に幸せになって欲しいという強い思いがあるのに現状のアズリエールは、今自分が幸せだと感じる場所を守る事を優先しようとしている。
7年間、姉が幸せになれば自分は姉への罪から解放されると思っていたアズリエールにとって、今から自分が選択しようとしている道は、間違っているのではと……呟く自分がどこかにいるのだ。
それでも……あの居心地の良い場所だけは、絶対に譲りたくない。
だからこそ、姉と向き合う事が怖くなる……。
自分の幸せと姉の要望を両天秤に掛けた状態が頭の中を埋め尽くす。
傾けさせたいのは自分の幸せの方。
しかし、心のどこかでそれを選んではいけないという思いがある。
そんな葛藤する気持ちに支配されかけていると突然、部屋の扉がノックされた。
その音で我に返るようにアズリエールが、体を強張らせる。
すると、何故かハルミリアがスッと立ち上がり、扉へと向かう。
「ハルミリアお義姉様……?」
「大丈夫。私に任せて? その為にお義母様から、あなたに付いていてあげるようにと言われたのだから」
そう言ってハルミリアが、部屋の中が見られない程度の幅で扉を開け応対する。
どうやら扉の向こう側には、姉であるユリアエールがいるようだ
「何故ハルミリア様がこちらに? あの……妹は……」
「驚かせてしまって、ごめんなさいね。実は先程、お茶の最中にアズリルが急に体調を崩してしまって……。今やっと寝かせたところなの」
「ええっ!? も、申し訳ございません!! ならば後の介抱は姉のわたくしが……!!」
「大丈夫。もう眠ってしまったから。あとは侍女のエルザに様子を見させるから、あなたは心配しないで?」
「でも……」
「それよりも今やっと眠ったところなの。だから今日はもうアズリルをゆっくりさせてあげて?」
「分かりました……。妹がご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません……」
「いいのよ。だってアズリルは、わたくしにとっても妹になる子なのだもの!」
すると、何故か二人の会話が一瞬だけ止まった。
その僅かな沈黙に耳をそばだてていたアズリエールが、何故か緊張してしまう。
だが会話はユリアエールによって、すぐに再開された。
「そのように王太子妃殿下に仰っていただけるなんて、妹は幸せ者ですね」
「ふふ! そうかもしれないわね。だってアズリルには心配してくれる姉が二人もいるのだから。だからあなたは、明日アズリルが元気になってから、あの子のお話を聞いてあげて? ここ最近のアズリルは今まで頑張り過ぎていた疲れが一気に出てしまっているようだから……。わたくしよりも実の姉であるあなたの方が、色々と打ち明けられる事も多いと思うの」
「はい、そう致します。ハルミリア様、妹の事をとても気に掛けてくださって、本当にありがとうございます」
「大事な私達の妹ですもの。当然よ! わたくしもエルザが来たら交代するから……今日の所は、アズリルをゆっくり休ませてあげましょうね」
「そうですね……。それでは侍女の方が来られるまで妹をお願い致します」
「ええ。任せて!」
すると会話が終わったのか、扉を閉めたハルミリアが部屋の中へ戻って来る。
「やはりわたくしが付いていて正解だったわね……。流石、お義母様」
「あの……」
「実はね、お義母様が今のアズリルではお姉様とお話するには、まだ心の準備が出来ていないだろうから、今日はわたくしがあなたに張り付いて、守ってあげなさいと言われていたの」
「テイシア……様が?」
アズリエールが瞳を揺らしながらハルミリアをゆっくりと見つめる。
すると、ハルミリアが慈愛に満ちた表情で笑みを返して来た。
「あなたが思っている以上にあなたは、周りの人間から大切な存在として扱われているのよ? でもそれは、この国に来てからのあなたが周りを大切に思いやって接してくれたから、全部それが返って来ているの。だからもう少しあなたの周りの人間を信じてあげて? 人はそう簡単には心変わりなどしないから」
その言葉で、アズリエールは先程テイシアに言われた事を思い出す。
『あなたがお姉様に何かを譲る事が当たり前だと思っていても、周りの人間はあなたでないとダメな事もあるのよ?』
そしてその意味をアズリエールは、今やっと理解する。
同時に今まで自分の居場所を失う事を全て姉の所為にしていた事にも気付いてしまった。姉はアズリエールの居場所を奪ってなどいない……。
それはアズリエールが勝手に周りの人間が自分を見限ったと思い込んで、自分からその場所を手放していただけだったのだ。そのように自ら姉に自分の居場所を譲っていたのに、ずっとその状況を姉に居場所を奪われていたと思い込み、被害者ぶっていた自分……。
これでは自分も無自覚に姉を悪女的な存在に仕立て上げていたようなものだ。
「姉は……本当に、何も悪くないのです……」
もう何度も口にした言葉だが、今のアズリエールから出た言葉は過去に口にしていた時とは意味合いが違う。
姉は本当に悪くない。
一番悪いのは、罪を償うと言う名目で姉に何でもかんでも譲り、無自覚で自分を被害者だと周りにアピールしてしまっていた自分自身だ……。
「そうね……。お姉様もアズリルも、二人共何も悪くないと思うわ。でもね、アズリルはずっとお姉様に良く思われていないと勘違いしてしまった事があるのでしょ? だったらその真相を明日、お姉様本人にしっかり確認しないとね?」
「はい……」
ハルミリアの言葉に素直に頷いたアズリエールだが……。
それでも姉と向き合うのには、ある程度の勇気と覚悟がいる。
もし姉からアズリエールの縁談話を妨害していた理由を『自分だけが幸せになるなんて許せない』と、はっきりと告げられてしまったら、自分はその言葉をしっかりと受け止める事が出来るのだろうか……。
自分はその言葉を受け止めるべきだと頭では理解していても、心の奥底ではその言葉を聞きたくないと言う気持ちが強く存在している。そうやって7年間、自分は姉に献身的に接する事で、その言葉から逃げていたのだ。
だが、もう逃げる事は出来ない。
姉としっかり向き合ってでも守り抜きたい居場所をアズリエールは、見つけてしまったのだから。
そう覚悟を決めたアズリエールは翌日、話し合う為に城内の庭園散歩へと姉を誘った。




