39.償える可能性
ノリスの屋敷を出た後、アズリエールはリックスと別れ、行きと同じようにマリンパールに向っていた。
サンライズの見慣れた景色が遠ざかる代わりにマリンパールではお馴染みの塩の香りが鼻をくすぐる。
だが風をまといながら帰路を急ぐアズリエールは、ある二つの矛盾した感情を抱えていた。
一つは、長年気まずかった幼馴染二人と和解出来た事で得た安堵感。
特に7年間も絶縁状態になっていたノリスとの和解は、アズリエールの心をかなり軽くしてくれた。
だが、もう一つ抱えてしまった不安に関しては、この後アズリエールはどう向き合っていけばよいのか分からなくなっていた……。
『自分はあの出来事で男性が苦手になったのにアズだけ幸せな結婚をするなんて許さない』
姉が、ずっとアズリエールの縁談や婚約を壊し続けてきた理由がこれだ。
もちろん、姉にそう思われてしまう事はアズリエールも覚悟していた。
しかし心のどこかでは『そんな理由で婚約の妨害を姉がするはずはない』と、少しだけ期待を抱いてしまっていたのだ。
しかし、現実は残酷だった……。
姉は、あの7年前の出来事を招いたアズリエールの事を未だに許してはいない。
ノリスの考えとしては、姉のその婚約妨害の動機は、どこか矛盾しているという意見だったが、アズリエールはそう思わない。マリンパールに来てからの姉は、容赦なくアズリエールが築いた居場所を奪っていたからだ。
それは交流関係だけでなく、唯一アズリエールが自分の必要性を実感出来る風巫女としての立場までも姉は脅かし始めている。
それを裏付けるように海兵騎士団の詰め所では、必ずと言っていい程「本日はユリアエール様はご一緒ではないのですか?」と聞かれる事が増えた。
そんな姉の振る舞いから、アズリエールは更に悪い方向へと考えを巡らせてしまう。
もしかしたら姉は婚約の妨害だけでなく、自分の居場所を奪う事にも躍起になっているのだはないだろうか――と。
その考えが生まれてしまったアズリエールは、今までどれだけ姉に恨まれていたのだろうかと、自分を責めずにはいられない……。
その事を別れる間際のリックスにポツリと、こぼしたアズリエール。
するとリックスが、いくつか質問を投げ返してきた。
「アズはユリーに許して貰いたいのか?」
「うん……。出来れば……」
「それは絶対な事か?」
「えっ……?」
リックスの意外な質問内容にアズリエールが、一瞬唖然とする。
「誰だって、どうしても許せない事ってあるだろう? それでも許して貰おうと必死で相手に誠意を見せようとする振る舞いが、逆に相手の不快感を募らせる場合もあるんじゃないか?」
「な、何で!?」
「だってそれって絶対に許したくない相手が、誠意を見せる為に自分に過干渉してくるって事だろ? 許したくないのにそんな必死に許しを請われたら、自分の気持ちに整理がついていないのに無理矢理謝罪を受け入れざるを得ない状況に追い込まれるって事じゃないか。それは許しを請いたい側が、早く楽になりたいという自己満足だけの行動にならないか?」
リックスのその言葉は、かなりアズリエールを動揺させた。
それならば今まで自分が姉の思惑通り婚約や縁談を辞退していた行動は、逆に姉の怒りを増幅させていた可能性がある。
「さっきのノリスの話でも出てきたが……アズは今回もユリーから第二王子との婚約者としての立場を譲って欲しいと言われたら、どうするつもりなんだ?」
「それは……」
「言っておくが、今回は俺の時にみたいにユリーは、お前から奪った婚約者の座を簡単には辞退出来ないぞ? いざユリーと第二王子の婚約が決まれば風巫女の家系の長女の役割の関係で、二人は早々に婚姻する流れになる。その状態で俺の時のようにユリーが返答を渋って、先延ばしにするような態度をとれば、マリンパール王家に対しての不敬罪にも値する。これはお前達二人の確執だけの問題じゃないんだ。下手したら両国の関係悪化を招く可能性だってあるんだぞ?」
「そ、そんな事、分かっているよ!!」
「なら、もしこの先、ユリーから第二王子との婚約を自分に譲って欲しいって言われても、しっかり拒む事が出来るんだな?」
「う、うん……」
「何だよ、その自信なさげな返事は……。いいか? 絶対にそのユリーの要望は受けるなよ? お前がそれを受け入れると、傷つくのはお前だけじゃなく、その第二王子だって不快な思いをするんだからな」
「何で……オルクが?」
するとリックスは何故か、一瞬押し黙ってしまった。
しかし、すぐにボソリと一言呟く。
「俺がそうだったんだよ……」
その返答の意図が分からず、詳しく聞こうとアズリエールが口を開きかけたが、何故かリックスに遮られてしまった。
「ほら! もう戻らないと、こっちに勝手に来た事がマリンパールでバレるぞ?」
そう言って、早々にアズリエールを追いやるように別れを切り出す。
その時のリックスの様子に違和感を抱きつつ、先程ノリスにも同じような事を言われたので、この先どんなに姉からオルクティスの婚約者としての立場を求められても、はっきり断ろうとアズリエールは決意を固めた。
しかし、その決意はマリンパールに戻ってすぐに揺るがされる事となる。
マリンパール城の自分用の部屋に戻ると、何故かユリアエールが不安げな表情でアズリエールを待ち構えていたのだ。
「アズ! 一体どこに行っていたの!? 今日はお昼を一緒に食べたくて、ずっと探していたのに……」
「ご、ごめん。ちょっと一人になりたくて……。普段はあまり行った事の無い場所に足を運んでたんだ」
「でもラウル様にお願いして、かなりアズの事を探して貰ったのよ? それなのにどこにもいないのだもの……。もしかしたら何か事件に巻き込まれて国外に連れ出されたんじゃないかって、凄く心配したんだから!」
その姉の言葉にアズリエールが、背中に嫌な汗をかき始める。攫われてはいないが……国外には出ていたのは事実だ。
「オルクティス殿下もかなり気にされていらしたのよ? ご昼食中は、ずっとアズの事を心配する言葉ばかりおっしゃっていたのだから」
その姉の言葉にアズリエールが、驚くように目を開く。
「えっと……ユリーは今日、オルクと一緒にお昼を食べたの?」
「ええ。アズがいないから私が一人寂しくお昼を取ろうとしていたら、気を使ってくださったの。そういえば私、7年前の事件の後に男性と二人きりで安心して会話出来たのは、初めてかも……。オルクティス殿下って素敵なだけでなく、不思議なくらい安心感を与えてくださる方よね? 殿下のような男性が結婚相手だったら、私も将来的に風巫女の長女としての役割を問題なく果たせたかも……」
そう切なげに呟く姉の言葉にアズリエールの顔色が一気に青ざめる。
その事に気が付いた姉が、慌てるように口を開く。
「違うの! 別にオルクティス殿下との婚約を望んでいるとかではないから! ただそう思える男性も存在しているという事に初めて気づいたから、思わず……」
気まずそうに俯いた姉にアズリエールが少し困った様な笑みを浮かべた。
しかし、心の中では嫌な予感がゾワリと一気に広がっていく。
「こめんなさい……。私、本当にそういうつもりで口に出した訳ではないの……」
追い打ちを掛けるように更にそう呟いてきた姉。
その状況に早くもリックスとノリスの助言が、自分の中から消えていくのをアズリエールが感じ始める。
ユリアエールが恐怖心を抱かない男性と出会える可能性は、稀だ。
そしてその相手がオルクティスという事にアズリエールは、同意しか出来ない。
何故ならば、自分も姉と同じようにオルクティスから絶大な安心感を与えて貰っていたからだ……。
オルクティスは適度な距離感の保ち方や、常に相手を気遣う事に長けており、更にいつでもその時に一番欲しい言葉をすぐに与えてくれる。
男性とは思えないそのきめ細かい配慮の仕方は、男性不審気味であるユリアエールでさえ、安心して接する事が出来るのだろう。
そんな状況に思わず考えたくない可能性が、アズリエールの頭の中をよぎった。
もしかしたらオルクティスは、姉が夫として受け入れられる事が出来る数少ない男性なのでは――。
その考えに至った瞬間、アズリエールは胸の辺りに酷い痛みを感じた。
その場所を絶対に譲りたくないという思いと、それが唯一姉に対して過去の罪を精算出来る方法かもしれないという考えが、自分の中でせめぎ合う。
「本当にそんなつもりで言った訳ではないの……」
甘く囁くように聞こえてしまった姉の言葉にアズリエールは、更に息苦しいような痛みを感じる。
その言葉はまるでアズリエールに「婚約を代わってくれたら、あなたを許します」と言っているようにも聞こえてしまうのだ。
それでも……その場所を譲りたくないという執着心が、アズリエールの中にブワリと広がっていく。
そんな気まずい空気に包まれた室内だったが、突然鳴り響いた扉のノック音で、その重苦しさが一掃された。
「どうぞ……」
アズリエールが静かに入室の許可を告げると、ついさっきまで話題となっていたオルクティスが入室してくる。
「アズリル! 今日一日、どこに行っていたんだい!? 今日は淑女教育が中止になったと聞いていたから、午後は城下町でも案内してあげようかと思って、かなり君の事を探したんだよ!?」
珍しく苛立ちを含むオルクティスの口調から、アズリエールが危機感のない単独行動をしていたのではと、何となく察しているのだろう。その事で、かなり心配を掛けてしまったらしい。
「ごめん……。その、久しぶりに丸一日自由な時間が得られたから、普段は時間的に行けない場所をたくさん見て周っていたんだ」
「護衛も付けずに?」
「本当にごめん……。でも空を飛ばないと行けない様な場所だったから」
「アズリル、確かに国内なら巫女力を使ってもいいとは言ったけれど……。それは近場に行く時の場合のみだよ? たとえ君が風巫女の力である程度、自衛が出来るとは言え、この国は君の国であるサンライズと比べて、治安はあまり良くないんだ……。だから外出する際は必ず――」
説教態勢に入ったオルクティスだったが、ふとユリアエールが室内にいる事にやっと気付いたようだ。
「ユリアエール嬢――失礼いたしました。いらっしゃるとは思わず、目の前で妹君を責め立ててしまって、申し訳ありません……」
「いいえ。わたくしも本日の妹の行動には、思う事があったので。どうぞ、これを機にしっかりお叱りくださいませ」
「それでは、姉君の許可も出たので遠慮なく。アズリル、ちょっと執務室まで来て」
そう言ってオルクティスは、アズリエールの片腕をグイっと引っ張り、扉に向った。
その様子から、オルクティスが確実に怒っている事をアズリエールが感じ取る。
もしかしたらサンライズに行ってしまった事もすでに知られているのかもしれない……。
苛立ちを含むオルクティスの雰囲気だけでなく、その後ろめたさもあり、声を掛けられない。
対してオルクティスの方は珍しく無表情を浮かべながら、執務室までズンズンと歩みを進めていく。
普段なら、毎回アズリエールの歩調に合わせて歩いてくれるのだが……どうやら今回は、その配慮が出来ない程、お怒りの様子だ。
そんなオルクティスに執務室の前まで連れて来られたアズリエールは、入室前に思わずゴクリと唾を飲み込む。
するとアズリエールを素早く執務室に押し込んだオルクティスが、更に奥にある接待用の部屋へと促して来た。
だが、室内を見回すと普段は必ずいる従事のハミエルの姿がない。
「あの、ハミエルは?」
「ここには僕と君だけだよ。皆は君を探す為に出払ってしまったから」
珍しく嫌味っぽい言い方をしてきたオルクティスに、ますますアズリエールが縮こまる。
という事は、今からお茶が出ない状態でオルクティスの説教が始まるらしい。
テーブルを挟んで向かい合うように座ると、オルクティスがやや前屈みになりながら、組んだ両手の上に顎を乗せて、ジッとアズリエールを見据えてきた。
「で? 今日一日、一体どこで何をしていたの?」
少し目を細めながら微笑を浮かべて聞いてきたオルクティスだが……その瞳は全く笑ってはいなかった。




