27.崩れる
「テイシア様……今、何とおっしゃいましたか……?」
茫然として虚ろな瞳になりながらも何とか笑みを張り付けたアズリエールが聞き返すと、王妃テイシアがまるでユリがゆっくりを咲き始めるような慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべ、再度口を開く。
「だからね、明日あなたのお姉様であるユリアエール嬢をこちらにご招待したの」
さもアズリエールが喜んでくれるであろうという様子で、そのサプライズを告げてきたテイシアにアズリエールは、必死で喜びを感じている様子を披露する。
だが、気持ち的には真っ黒な闇に全てを飲みつくされたような心境だ……。
それを必死にひた隠しにしながら、その状況になってしまった経緯で一番気になっている事をアズリエールは、慎重にテイシアに質問する。
「ですが……何故、テイシア様は姉の事を……」
「ふふっ! 実はユリアエール嬢からは、あなたが登城してくる前から『妹をよろしくお願い致します』とお手紙を頂いていたの。それが切っ掛けで、ずっと今日までお手紙のやりとりをしていた間柄なのよ?」
その事を聞いたアズリエールは、表情を強張らせて息を飲む。
そんな様子に気付かないのか、それとも敢えて気付かないふりをしているのか分からないテイシアが、ニコニコしながら更に話を続けた。
「あなたのお姉様は本当に妹想いのご令嬢よね。お手紙は毎回、あなたの事を心配する事ばかり。特にオルクと上手くやれているかをかなり気にされていたわ……。だから実際にご確認して頂く方がよろしいかと思って、二週間前にこちらにご招待する事を提案させて頂いたの」
そんな姉のテイシアとのやり取りににアズリエールは、思わず眩暈を覚える。
姉がアズリエール宛の手紙でオルクティスの事を聞き出してこなかったのは、別ルートからオルクティスの情報を得ていたからだ。
そもそもサンライズを発つ前に頻繁にアズリエールに手紙を送ると宣言していた時点で、この王妃とのやり取りを視野に入れての姉の提案だったのだろう。
アズリエールと頻繁に手紙をやりとりしていれば、王妃テイシアがサンライズ経由の手紙を受け取っていても、そのやり取りが目立たなくなる。
まさかそこまで用意周到に準備される程、姉に執着されているとは夢にも思っていなかったアズリエールは、段々と目の前が暗くなってくるのを感じ始めた。
その姉妹の久しぶりとなる再会の機会を設けたテイシアは、嬉々とした表情でこの事をアズリエールに語り続ける。
その言葉が何故か耳鳴りに遮られるように聞き取りづらい……。
テイシアのこのサプライズは、第三者から見れば久しぶりの姉妹の再会の場を設けた善意からくる行動にしか見えない。
しかしテイシアは、すでにアズリエールが姉に対して何らかのわだかまり的な物を抱いている事に気付いている。つまりテイシアの方もこの一カ月間、アズリエールを油断させる為、お茶席で会話する際は敢えて試す様な素振りを控え、そして着々と姉をここに招く準備をしていたという事だ。
しかも姉が明日にはこちらに到着するという事は、もう二日前には姉はサンライズを発っているのだ。いくら父や王太子のアレクシスでも隣国の王妃直々の招待に異議を唱える事は出来ない……。
そしてその二人から何の伝達も無い所をみると、姉はテイシアに口止めされていたという理由で、ギリギリまでマリンパールに招待されている事を二人には伝えなかったのだろう。
テイシアも、そして姉ユリアエールもその状況を狙っての今までの振る舞いだった可能性がある。
アズリエールを試す為のよいサンプルである姉を呼び出したいテイシア。
オルクティスとの婚約に対して、何らかの思惑を抱いている姉。
たまたま二人の目的が『ユリアエールをマリンパールに招く』という事で満たされる状況だったのだ。
完全にやられた……。
心の中でそう悪態を吐くも今のアズリエールでは、そのテイシアの新たな試練に立ち向かえる程の気力が全く湧いて来ない……。
そんな様子にお構いなしのテイシアが、ご機嫌な様子で更に話を続けた。
「そうそう! あなたのお姉様は恋物語の歌劇などが大好きなのでしょう? 実はマリンパールには、そういった情熱的な恋物語の演目作品がたくさんあるのだけれど……。そういった歌劇にお姉様をご招待してもいいかしら?」
どうやらユリアエールは、手紙のやり取りですっかり王妃テイシアと同じ好みである事をアピール済みらしい。双子であるアズリエールが対人スキルに特化しているのだから、姉ユリアエールもかなりの人間観察眼を持っている。手紙のやり取りでテイシアの人物像を読み取るなど造作もない事だ。
「ありがとうございます。姉も大変喜ぶかと思います」
「あら? でもそう言えば……確かあなたはあまり恋愛物の作品にはご興味ないのよね……。そうなると鑑賞する演目をあなたにも楽しめる作品に選び直した方がいいかしら……」
そう言って悩み出したテイシアのその会話展開は、明らかに登城して来たばかりの頃にアズリエールにしていた対人スキルを試す会話運びだ。
今まではその会話展開に対して慎重に対応していたアズリエール。
しかし、この時のアズリエールには、もうその気力が一切湧きおこらなくなっていた。
姉ユリアエールが用意周到な準備をしていた事。
やっと自分を認めてくれたと思っていたテイシアの思わせぶりな態度と更に続く試される期間。
特にアズリエールの心を見事に折ったのは、テイシアがユリアエールをこちらに招待したという行動だ……。
もちろん、テイシアにとっては、姉という苦手な存在がいる中でアズリエールがどう立ち回るかを確認してみたかったという軽い気持ちだったのだろう。
だが、アズリエールにとっての姉は、そんな軽い扱いが出来る存在ではない。
もう姉がこの場所に来てしまうという事が確定した段階で、アズリエールは諦めという考えしか浮かばなくなってしまったのだ。
その事を実感してしまった瞬間から、アズリエールの中の『テイシアの期待に応える』という考えが、ボロボロと崩壊していく。
「お気遣いなく。どうぞ、テイシア様のお好みの作品をお選びください」
「でも……そうしたらあなたが退屈してしまうでしょ? 折角一緒に歌劇鑑賞をするのにわたくし達だけ楽しむなんて、心苦しいわ……」
「確かにその状況ではテイシア様にお気遣いをさせてしまいますね……。それでは誠に申し訳ございませんが、今回わたくしは辞退させて頂いてもよろしいでしょうか? わたくしもテイシア様のお心を患わせてしまう事には、心苦しいので」
そのアズリエールの申し出にテイシアが、大きく目を見開いた。
「でも折角お姉様とお会いになるのだから、あなたも一緒の方が……」
「姉とはこの城に滞在している間は、たくさん話が出来ます。ですが、姉がマリンパールという国を知る機会や、テイシア様と交流出来るありがたい機会はそうそうございません。わたくしも姉には折角マリンパールに来たのだから、たくさんの素敵な思い出をお土産に持って帰って頂きたいので。もしテイシア様のご迷惑でなければ、その素敵な恋物語の歌劇を姉にご紹介して頂けると、妹の私も嬉しく思います」
今までアズリエールは試されるような会話展開をされると、テイシアの出方をみながら慎重に会話運びをしていた。だが今のアズリエールは、キレイな笑顔を張り付けたまま何の迷いもない切り返しをスラスラとし出す。
そんな自棄を起こしたかのようなアズリエールのその態度に一瞬だけテイシアの表情が無くなった。
だがテイシアは、すぐに花が舞い出しそうな柔和な微笑みを浮かべる。
「そう。ではお言葉に甘えて、今回はユリアエール嬢と二人で観劇を楽しませて頂くわ」
「姉の素敵な思いで作りにお気遣いある対応、誠にありがとうございます。今回は残念ですが……もし今後、わたくしも楽しめそうな演目の歌劇がございましたら、その時は是非お声がけくださいませ」
「ええ、そうね……。その時は是非お誘いするわ」
その二人の会話をハルミリアが、心配そうな表情を浮かべて見つめていた。
「アズリル! 待って!」
テイシア達とのお茶を済ませ、自分が滞在している部屋に戻ろうとしたアズリエールは、部屋を出てすぐにハルミリアに呼び止められた。
「ハルミリアお義姉様……」
「アズリル、どうしてしまったの? あのような受け答えをするなんて、あなたらしくないわ? そもそもお義母様が再びあなたを試すような事を始められたのは、どうかと思うけれど……。でもだからこそ、あの会話の返し方は――」
「申し訳ございません……。ですが、テイシア様はすでに手紙のやり取りで、かなり姉の事を気に入ってくださっているご様子だったので、水を差すのは申し訳ないかと思ったのです」
「でも! それはあくまでも妹であるあなたという存在があっての交流だったのだから、あなたが不在では成り立たないと思うの」
「ご安心ください。姉はわたくし以上に対人スキルが高いので。一人でもきっとテイシア様にご満足頂ける対応が出来るかと思います」
「そ、そうではなくて!!」
「ハルミリアお義姉様も明日、姉と会えばきっとご納得頂けますよ?」
「アズリル……」
正直なところ、今のアズリエールは一刻も早く姉の話をされない場所に逃げたかった。どうせ姉がこのマリンパールを訪れてしまえば、今までアズリエールが丁寧に築いた交流関係が全て姉に移り変わる。
それが分かっているのに必死に頑張る事など出来なかったからだ……。
自分と全く同じ顔をしているのに性格や雰囲気は真逆の姉ユリアエール。
しかし顔がアズリエールと瓜二つなので、アズリエールと関係醸成がされている相手ほど、姉はすぐにその人間と打ち解ける事が出来てしまう。
相手にしてみれば初めに交流していたアズリエールの印象があるので、同じ顔をした初対面のユリアエールの印象は、初めから良好という状態から開始されるのだ。
それは今までの経験からアズリエールが学んだ事だ。
ユリアエールは、いつの間にかアズリエールの居場所を無自覚で奪ってゆく。
アズリエールが時間をかけて築いた交流関係の中に後から入り、アズリエールが相手に抱かせた好印象から関係を始め、そしていつの間にかアズリエール以上にその相手の心を掴んでしまう。
その姉の行動は、まるでアズリエールの作った居場所を無自覚で奪っていく行為でもあるのだが、姉本人にはその自覚は今のところない様子だ。
現にテイシアは姉のその無自覚な手中に見事に落ちてしまっている。
というよりも、恐らく落ちてしまっているふりをしている。
だが、いくら自分を試す為とはいえ、そういう状況を作ろうとしたテイシアの行動から、自分はテイシアにとって余程印象が悪い存在なのだとアズリエールは感じてしまったのだ。
そんな状態では自分がテイシアと関係醸成を図る事に力を注ぐ事は、ますます不快にさせてしまう。
ならばいっそ姉とテイシアが関係醸成をしやすい機会を作る方が、テイシアが喜ぶと判断した為、あのような会話の切り替えしになったのだ。
同時に姉がアズリエールが築いた人間関係をそのまま自分の物にし、更にそれ以上の関係醸成をしてしまう事もアズリエールは慣れっこだ……。
自分はテイシアになかなか認めて貰えなかったが、姉はその壁を一瞬で越える事が出来るはずだ。
そもそもテイシアは、アズリエールの容姿部分は気に入っていたので、問題があると判断された内面部分をテイシアの理想像で演じられるユリアエールなら、すぐに気に入られてしまうだろう。
常に相手の好みに合わせて振る舞おうとするアズリエールだが、根本的な自分らしさを変えてまでの演技力は持っていない。
それをやってしまえば、本当に自分らしさを失ってしまうと思い、そこは踏み入れなかった領域だが、それでもどうしても気が合わないという人間が世の中には存在する。
恐らくテイシアにとって、それが自分なのだろう……。
そんな考えに至ってしまった為、テイシアから逃げる行動になる事を承知で、アズリエールは先程の会話の切り返しをした。
それだけ査定が終わったと思わされていたこの一か月間は、やっとテイシアに認めてもらった事への喜びと、今後テイシアと義理の娘という関係で過ごせる期待をアズリエールは過剰に抱いてしまい、その心をあっさりと折ってしまったのだ……。
そんなアズリエールの心境を察したのか、ハルミリアが口を開く。
「アズリル……。あのね、お義母様は別にあなたの事を嫌っていて、あのような振る舞いをしている訳では――」
「分かっております。ですが……姉がここへやってくれば、テイシア様のお考えが変わる可能性もございますので」
「そ、そんな事はっ!!」
「人の気持ちは変わりやすいものです。特にわたくしと姉を比べた場合は――」
思わずそう零してしまったアズリエールが、慌てて手で口元を覆う。
「アズリル……?」
「も、申し訳ございません! 今のは失言です! どうかお忘れください!」
「でも!」
「アズリル? 義姉上も……。何をそんなに感情的になっているのですか?」
やや押し問答気味なっていたアズリエール達の前にちょうど通りかかった様子のオルクティスが、声を掛けてきた。
「オルク……。あのね、実はお義母様が――」
「テイシア様が私の姉であるユリアエールをこちらにご招待してくださったんだ」
まるでハルミリアの言葉をやんわりと遮るように明るい声で伝えてきたアズリエールにオルクティスが一瞬だけ目を開く。
同時に隣にいたハルミリアも急に明るい雰囲気をまとい出したアズリエールの変化に驚きの表情を浮かべた。
「姉って……君と姿顔立ちがそっくりな双子の姉君?」
「うん。実はね、私がここに来る前から、テイシア様は姉と手紙のやりとりをしていたらしくって。その手紙であまりにも姉が私の事を心配しているから、テイシア様がその事を気に掛けてくださって、姉をこちらに招待してくださったみたい」
「そんな話……僕は全く聞いていないのだけれど……」
「私を驚かす為にテイシア様がこっそり手配してくださったみたい。私も久しぶりに姉に会えるから、ちょっと楽しみなんだー」
その心にもないアズリエールの言葉にいち早く反応したのが、隣にいたハルミリアだった。咄嗟にアズリエールに何か声を掛けようとする。
しかし、その行動はオルクティスの言葉で遮られた。
「義姉上、ちょっとアズリルをお借りしても、よろしいですか?」
「オルク……」
「借りるって……私は物ではないのだけれど」
「うん。でもちょっと話があるから、執務室の方に来て貰えるかな?」
「分かった……。それではハルミリアお義姉様、失礼致します」
「ええ。また、あとでね……」
心配そうな表情を浮かべているハルミリアに出来るだけ、明るい笑みで返す。
しかし前を歩くオルクティスからは、何故か苛立ちを感じ取ってしまい、先程の自分の行動が失態だったと、やっとアズリエールが気付く。
「オルク……ごめん、私――」
「話は執務室でゆっくり聞くから」
その声に僅かな冷たさを感じたアズリエールは、ますます先程の自分の行動が悪手だった事を痛感した。
すみません……。姉は次回出てきます。(^^;)




