2.心配される空飛ぶ巫女
アズリエールがオルクティスから婚約を申し込まれてから、一週間後……。
その話は本人達が前向きだという事もあり、進められる事となった。
父親にはすぐに婚約の申し入れの件をアズリエールは伝えたが、サンライズ王家の方で再度査定される為、正式にエアリズム家に話が来るのは明日以降だ。
これでアズリエールは、サンライズの巫女を求める令息達とのお見合い的なお茶会への参加の義務から、やっと解放された事になる。
だがそのアズリエールの状況を心配する巫女が二人いた。
アズリエールと同じようになかなか婚約相手が決まらなかった過去を持つ雨巫女フィーネリアと、逆に巫女としてデビューしたと同時に大国の王太子との婚約が早々に決まってしまった風巫女エリアテールだ。
そして今アズリエールは、その二人とサンライズ城の中庭でお茶をしている。
その一人の雨巫女フィーネリアは、ティアドロップ家の五女で年齢がアズリエールよりも一つ年下のまだ13歳のあどけない少女だ。
だが父親が現サインライズ国王の弟なので、王太子のアレクシスとは従兄妹関係であり、フィーネリアにも王家の血が流れている。
その為、ティアドロップ家の令嬢達は皆、『姫巫女』と呼ばれていた。
しかし……そんな華やかな呼び名とは裏腹にフィーネリアは、8歳頃までは酷い癖のある赤毛と顔中ソバカスだらけの容姿だった……。
おまけに極度の引っ込み思案で、婚約の決まっていないサンライズの巫女達が強制的に参加させられる交流と言う名のお見合い的なお茶会で、アズリエールと同じように売れ残り巫女として参加していた。
そんな売れ残り同士だった二人は、自然と仲良くなったのだ。
しかしそのフィーネリアも9歳になると、隣国の農業が盛んなウッドフォレストの王太子ユテラルドの婚約者に選ばれてしまう……。
だがその婚約は、フィーネリアにとっては夢のような出来事だった。
婚約相手となったウッドフォレストの王太子ユテラルドは、当時オドオドしていた事で、同年齢の令息達にからかわれていたフィーネリアを助けてくれた。
その瞬間からフィーネリアの中のユテラルドは、白馬に乗った王子様となる。
だが、そのユテラルドからは、この4年間、何の音沙汰もない……。
それでもフィーネリアの中のユテラルド像は、どんどん美化され、現在では婚約に後ろ向きなアズリエールに対して、その素晴らしさを熱く語る程だ。
対して早々に幼少期で婚約が決まってしまったエリアテールの方だが、こちらは完全に政略的な物である。
神童として名を馳せていた大国コーリングスターの王太子が、風巫女としての派遣費用を節約する為、自身の婚約者に望んだらしい。
この大陸の中心国でもあるコーリングスターは、全国民が精霊の加護を得る事で魔力を扱えるのだが、その精霊が存在する影響で大気が霊力で澱みやすい。
その大気の浄化を行う為、サンライズ国内で一番力の強い風巫女が、このコーリングスターに優先的に派遣されていた。
現状の風巫女内では一番力が強いエリアテールは、その役割に抜擢された際、派遣費用の節約を目論んだ王太子に婚約者にされてしまったのだ。
だが当のエリアテールは、風巫女としての役割に誇りを持っており、尚且つコーリングスター王家から丁重にもてなされていた為、例え仮初の婚約だとしてもこの10年間、かなり楽しい時間を満喫していたらしい。
生涯、風巫女として純潔を貫き、コーリングスターにその身を捧げてもいいと思う程、エリアテールはその先にある結婚までもを受け入れている。
そんなエリアテールは美しい歌声で風を起こす為、『歌巫女』と呼ばれていた。
そしてエリアテールのその婚約状況は、アズリエールがもっとも理想とする形だ。
サンライズの巫女は処女性を失えば、その貴重な巫女力を失ってしまう……。
アズリエールの場合、その巫女力を失う事は他の巫女達と違い、彼女自身の日常生活を大きく変えてしまうものだったからだ。
『前例のない空飛ぶ力を持つ風巫女』
それがアズリエールである。
その原理は、アズリエールの風巫女の力が狭い範囲内で圧縮するように風が起こるという何とも偏った発動の仕方が関係している。
アズリエールが風巫女の力を発動すると、いくつもの強力で小さな風の渦がアズリエールの体の周りを包み込むように発生する。
その発生した渦の風力が、小柄で低身長のアズリエールの体を持ち上げ、その力をコントロールしながら、アズリエールは空を自由に飛べるのだ。
しかし処女性を失えば、今まで当たり前のように空を飛べた利便性の高いこの巫女力を失う事になってしまう……。
他の風巫女達に比べると、アズリエールが巫女力を失う事は、彼女自身の生活が大きく一変してしまうのだ。
だがオルクティスは、婚約を望んだ理由にその巫女力が目当てだとハッキリ宣言している為、アズリエールがその力を失う可能性は低い。
そしてそれを宣言したオルクティスは、何故か初対面であるのに誠実という言葉がピッタリ当てはまるような人物だった。
何よりも王太子のアレクシスが、先方に異端の風巫女と言われているアズリエールを薦めた時点で、オルクティスの人柄を高く評価している事が分かる。
そんな風巫女でもオルクティスなら、婚約者として丁重に扱ってくれる人物だと、あの腹黒王太子が判断したのだ。
上手く行けば、アズリエールはこの便利な巫女力を失わず、第二王子の形だけの妻というお気楽な人生を全う出来るかもしれない。
同時にその第二王子の人生を犠牲にしてまで、アズリエールの確保に掛かるマリンパールの状況についても何となく察してしまう。
ここ最近、この大陸は貿易だけでなく、旅行先としても大陸外からの人気が高まっているのだ。その為、旅客船の入港もかなり増えている。
だが、それだけ船の行き来が増えるという事は、入港管理が大変なのだ。
そもそもマリンパールは、大陸外からの防衛関連も担っている国だ。
密輸入や不正入国者の取り締まりも行っているので、入港手続きが円滑でないと、そのような不正目的の船の入港を見逃しやすくなってしまう……。
その為にスムーズに船を港に誘導出来るアズリエールの力は魅力的なのだ。
空を飛べるアズリエールならば、停泊前の船に直接近づき、その指定した船だけをピンポイントで素早く誘導させる事が出来る。
そう考えると、ある意味オルクティスは国の為に清い関係でしかいられない結婚生活を強いられる被害者なのかもしれない……。
王族の役割と割り切っているのかは分からないが、それならばオルクティスは、一体どういう心境で自分に婚約を申し入れてきたのだろうかと、アズリエールは少し考えてしまう……。
同時に国内でのオルクティスの扱いも気になった。
あれだけの容姿と人間性に優れているのだから、きっと国内では男女問わずに人気が高い存在のはずだ。
しかし、その婚約者に選ばれたのは、男装する小国の伯爵令嬢の自分……。
その事をオルクティスを慕っている女性達は、どう感じるだろうか。
容易に自分に向けられるマリンパール国内の女性達からの厳しい視線を想像出来たアズリエールは、その事に対して少しだけ不安を感じた。
そしてアズリエールと同じ事を心配してくれているのが、今現在一緒にお茶をしている同じ風巫女のエリアテールだ。
エリアテールは、風巫女としてデビューする前から登城していたアズリエールを実の妹のように可愛がってくれた姉の様な存在だ。
そしてアズリエールが男装をし始めてしまった際も、その理由を深く追求する事無く、今まで通りに接してくれる心優しい巫女だ。
だからこそ、たった一人でマリンパールに向かう未来が待っているアズリエールの事が、心配でたまらないのだろう。
このお茶会もエリアテールが言い出したもので、アズリエールと一番仲の良いフィーネリアも誘い、開いてくれたのだ。
そしてその心配している部分を早速、アズリエールに確認して来た。
「アズリル……そんなに簡単に婚約を承諾してしまっていいの? もしお話が進んでしまったら、たった一人で他国に行かなくてはならないのよ?」
元から下がっている眉を更に下げて、心配そうな表情を向けてくるエリアテールを安心させるようにアズリエールはニッコリした笑みを浮かべた。
「それはエリア姉様だって同じ状況だったでしょ? 大丈夫! 僕、初対面の人に気に入られるの得意だから! それに……僕にとってこんな好条件で、婚約の申し入れをしてくる相手なんて、この先一生現れないよ」
「「好条件?」」
エリアテールだけでなく、隣にいるフィーネリアも声を重ねながら、不思議そうに尋ねて来た。そんなフィーネリアは、現在は赤毛だった面影は一切なく、今では日に透ける様な見事なサラサラの金髪の美少女となっている。
「オルクティス殿下は、この婚約を友人関係という形で望んでいるんだ。だから将来的には、僕が成人を迎えたと同時に婚約を解消されるかな? もし仮にそのまま挙式まで至ったとしてもマリンパールにとって僕の風巫女の力は、かなり使い勝手が良いから、オルクティス殿下が希望されない限り、白の結婚として僕は巫女力を失う事はないと思う。夫婦的な行為が出来ない結婚生活を強いられるオルクティス殿下には、申し訳ないけれど……。巫女力を失いたくない僕としては、かなりの好条件な婚約の申し入れなんだよ」
二人に対してニコニコしながらアズリエールが説明するが、その内容にやや不安を抱いているフィーネリアが、更に質問を投げかけてきた。
「で、でも! オルクティス殿下はとても素敵な男性なのでしょう? もしそれでアズリルが殿下に好意を抱いてしまったら、どうするの……? 好きな男性と友人としてでしか関係を築けない結婚生活になってしまったら、アズリルは凄く辛い思いをしてしまうでしょう?」
「うーん。それは大丈夫かな~。確かにオルクティス殿下は、凄く素敵な方なのだけれど……。穏やかで面倒見が良いお人柄だから、今のところはお兄様って感じなんだよね。しかもアレク兄様と違って、ホワイトな感じの!」
そう言って悪戯を企む子供のような笑みをアズリエールが浮かべる。
すると急に男性の声が会話に参加して来た。
「酷いなぁー。それでは僕がブラックなお兄様って事になるじゃないか」
いきなり後ろから声が降って来た為、エリアテールとフィーネリアが驚きながら振り返る。
しかし二人と向かい合わせで座っていたアズリエールは、こちらにサンライズの王太子であるアレクシスが向かってきている事に気付いていた。
先程と同じ笑みを浮かべながら、颯爽と現れたアレクシスに声を掛ける。
「アレク兄様、自分がホワイトなお兄様だって思っているの?」
「いいや? 僕は完全にブラックな腹黒お兄様だよ」
そう答えたアレクシスは、ニコニコしながら三人のお茶会にサラリと混ざる。
その二人のやり取りにエリアテールとフィーネリアが苦笑してしまった。
この国の王太子でもあるアレクシスは、どんな悪天候でも晴天に変えられる力を持っている。しかもその力は、歴代一と言われる程、強力だ。
その関係で異例とも言われる強力な巫女力を持つスコール家の雨巫女アイリスと婚約しているのだが……。
10年程前にその婚約者をアレクシスは、かなり怒らせてしまい、それからずっと不仲が続いている状況だ。
そんな状況だからなのか、王族の役割としての責務を差し引いてもかなり親身になって、他のサンライズの巫女達の現状を気遣ってくれる。
「アレク兄様からもオルクティス殿下との婚約なら、大丈夫って説明してよ」
「確かにオルクティス殿下はアズリルにとって、かなり理想的な婚約相手だよ? なんせ先方に君を薦めたのは、この僕だし。だからフィーネの心配している部分は、そんなに気にしなくてもいいかな? 仮に将来的にアズリルが恋心を抱いてしまってもオルクティス殿下なら、時間を掛けてでもその気持ちに応えようとしてくれる誠実な人柄だと僕も判断してるし」
そう言ってアレクシスは、フィーネリアを安心させるように頭を撫でた。
この二人は昔から、従兄妹というよりも仲の良い兄妹という感じなのだ。
「でもエリアが心配している部分は、実は僕も心配しているんだよね……」
すると三人が一斉にエリアテールに視線を向ける。
「実はね、現コーリングスターの王妃イシリアーナ様が、元マリンパールの公爵令嬢でいらっしゃったから、お手紙であちらの社交界の様子を色々とお伺いしてみたの……。そうしたらマリンパールの上流階級のご令嬢方は、かなり自己主張が強い方が多いらしくて……」
そう言って目を伏せるエリアテールの様子にフィーネリアが青くなった。
対してアズリエールの方は……。
「うわぁー。それじゃあ、確実に僕はそのご令嬢方の標的になるねー」
不安な素振りを一切見せず、実にあっけらかんとした反応を見せた。
そのアズリエールの反応にアレクシスが、思わず苦笑する。
「アズリル、他人事みたいに言っているけれど……マリンパールという国は、大陸全体の安全管理も担っている国だけあって、上流階級の人間だけでなく、平民側もハッキリ意見を述べるタイプが多い国民性だよ? そもそもあの国自体が武芸に秀でた人間を評価する傾向にあるからね。国全体が腕の立つ人間が多いからその分、自分の意見をしっかり持っている人が多いお国柄なんだ。だからうちみたいに平和ボケしているマイペースな人間が、あの国を訪れると、その活気溢れる様子に圧倒されやすいんだよ?」
緊張感がないアズリエールに少しは警戒心を促そうとアレクシスが釘を刺す。
しかし、当のアズリエールはやはり楽観的な様子で返答して来た。
「ようするに上流階級のご令嬢方は、アイリス姉様のような美女だけれど毒舌なご令嬢や、レイニーブル家のような愛らしい容姿なのに色々拗らせた所為で、嬉々として嫌がらせをしてくるご令嬢が多くて。平民の方ではリデルシア様のようなサバサバした男気溢れるカッコいい女性が多い国って事だよね?」
「当たらずといえども遠からずって所だけれど……それをうちの自慢の巫女達で例えるのはやめてくれないかなぁ……。そもそもレイニーブルー家に対するその辛口評価は何?」
「だってカトレア様とオリビア様が最近暴走気味なのにアレク兄様が止めないから……」
「止めたいのは山々なのだけれど、その発端でもあるアイリスが巫女会合に出席してくれない限り、あの二人の暴走は止まらないだろ?」
「そのアイリス姉様が公の場に出て来ないのは、アレク兄様のせいでしょ?」
「アズリル! 話をすり替えない!! 今は君の話をしているんだよ?」
痛いところを突かれたのか、アレクシスがすぐに話を戻してきた。
その対応にアズリエールが、やや不満そうな表情を見せる。
「もぉ~! 皆、心配し過ぎだよ! 僕にはアレク兄様から伝授された円滑な人間関係をすぐに築けるっていう特技があるんだよ? 大丈夫! 向こうに行ってもちゃんと上手くやれるから!」
自信満々に宣言するアズリエールにアレクシスとエリアテールが、盛大にため息をつく。
だがフィーネリアだけは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべながら、アズリエールの手を握り、顔を覗き込んで来た。
「でもね……アズリルは、本当に苦しい時でもいつも笑顔を浮かべて、一人で抱え込んで頑張り過ぎちゃうでしょ? それが凄く心配なの……」
そのフィーネリアの言葉にアズリエールが大きく目を見開く。
「マリンパールに行ってしまったら、周りに相談出来る人が少ない状態で、一から人との関係醸成を始めなければならいないでしょ? アズリルは凄く気遣いが上手な分、逆にその負担が大きいのではないかと思ってしまって……」
フィーネリアに続き、今度はエリアテールが、補足するようにアズリエールの事を心配している理由を語り出す。
付き合いが長いだけあって、この二人はアズリエールの性格をよく知っている。特にフィーネリアは、巫女仲間内では一番の親友だ。
「二人共、君が色々と一人で抱え込みやすい性格だから、それを心配しているんだよ。そしてそれは僕もだ。君の希望を優先してこの話は進めるけれど……もし向こうへ行って不安を感じるような事があれば、すぐに僕に報告して欲しい。絶対に一人で抱え込んで、頑張り過ぎないように。その事をしっかり約束してくれるのであれば、もうこの件に関して僕らからは何も言わないよ?」
言質を取るようにそう告げてきたアレスクシスだが……。
その言葉には「でも君は頑張り過ぎてしまうよね?」というニュアンスが含まれている事をアズリエールは感じ取ってしまい、苦笑する。
「本当に大丈夫だから……。もし悩む事があっても絶対に一人では抱え込まないよ? だってサンライズとマリンパール間なら、片道二時間くらいで帰ろうと思えば帰れるのだし。もし誰にも相談出来ない状況になったとしても、すぐにこっちに帰ってくればいいのだから!」
そのアズリエールの言葉にアレクシスが盛大に呆れた表情を浮かべた。
「アズリル……。それ、巫女力を使って空を飛んで帰国した場合だよね? マリンパールは、ここからだと通常馬車で三日くらいかかるのだけれど?」
「うん。だからサンライズに帰る時は、巫女力を使って帰ろうかと……」
「却下! 第二王子の婚約者が護衛も無しで、空を飛んで帰国するなんて、ありえないだろう!! そもそも君は一応、サンライズの伯爵令嬢なんだよ!?」
「でも男装してるから、その時だけ令息って扱いに……」
「なるわけないだろ!? 危ないから絶対にダメ!! 帰ってくる時は、しっかり護衛付きの馬車で帰ってきなさい!!」
「ええー!? 空を飛んだ方が早いのにぃ……」
「絶対にダメだからね!? 行儀見習いに来た第二王子の婚約者が、空を飛んで一人で帰国するなんて、サンライズ国の品位が問われるよ!!」
「わ、分かったよぉ……。今日のアレク兄様は厳しいなぁ……」
「厳しいのではなくて、常識的な考えを言っているだけだからね?」
アレクシスに釘をさされたアズリエールは、渋々馬車移動する事に承諾する。
その二人のやり取りを見て、今後のアズリエールの状況を心配していたエリアテールとフィーネリアが、少しだけ安心するように苦笑した。
風巫女エリアテールが主人公のお話もあります。
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