1.異端の風巫女
本作は同作者の【風巫女と精霊の国】と【雨巫女と天候の国】に出てきた男装した令嬢アズリエールが主人公の話になります。
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「アズリエール嬢、どうかこの私と婚約をして頂けませんか?」
そう言って跪きながら、少年令息風の人物に手を差し出したのは、この大陸で二番目に規模が大きいマリンパールの第二王子オルクティスだ。
通称『海の国』と呼ばれているマリンパールは、大陸の下半分を取り囲むように沿岸部を領土にしており、大陸外からの貿易が盛んな国である。
同時にこの大陸の防衛も担う国でもあり、中心国でもある精霊の国コーリングスターと連携して、大陸全体の安全を担っている国でもある。
その為、この大陸の玄関口とも言われている国だ。
そして婚約を申し込まれた人物は、天候を操れる人間が存在する小国サンライズで風を操れる一族の一つ、エアリズム家の次女アズリエールである。
肩に掛かるぐらいの薄ラベンダー色のふわりとした髪を黒いリボンで一つに結び、淡いスプリンググリーンの大きな瞳を持っている小柄な少女だ。
14歳になったばかりのアズリエールよりも一つ年上のオルクティスは、年齢に反して落ち着いた雰囲気をまとい、身長も180cm近くもあった。
身長150cm前後のアズリエールと並ぶと、まるで大人と子供のように見える。
しかしオルクティスは、成人男性並の体つきとは違い、まだ少年らしさが残る顔立ちをしていた。
その仄かな幼さが残る顔立ちと、煌めくようなサラサラの銀髪に青緑色の瞳という淡い色の組み合わせが、オルクティスの穏やかそうな印象と落ち着いた雰囲気を強調している。
だが、それとは裏腹に彼の体格は、無駄を極限まで削ぎ落したように鍛え抜かれた筋肉バランスをしており、それが服の上からでも確認出来る程、芸術的な美しい逆三角形の背中をしていた。
そんな青年になりかけている美丈夫風な容姿のオルクティスが、まるでロマンス小説に出てくる王子様のような振る舞いで、アズリエールに婚約を申し入れている光景は、周囲の者達にかなりの違和感を与えた。
例えるなら……
長身の見目麗しい騎士が思春期にさしかかったばかりの美少年令息にプロポーズしている状況。
まさにそのような光景にしか見えなかったからだ……。
そしてそう見えてしまう原因は、婚約を申し込まれたアズリエールの服装が大いに関係している。
アズリエールは、天候を操ると言われている小国サンライズの伯爵家でもあるエアリズム家の次女だ。
そのサンライズ国は直系である王族の男性が、どんな悪天候でも晴天に変えられる力を持っているという特殊な国である。
しかしその天候を操る不思議な力を持っているのは、王族だけではない。
その他に風を操れる一族が三家、雨を降らせる事が出来る一族が三家存在しており、それら計六家は王家より伯爵位を与えられ、その力を他国に提供する事で、国の収益に大いに貢献していた。
それらの力は『巫女力』と呼ばれ、その家系に生まれた女性達は『サンライズの巫女』と称され、それぞれ『風巫女』『雨巫女』とも呼ばれている。
そしてその六家は、何故か完全なる女系一族だ。
その天候を操れる力は、王族が持つ晴天の力と同様に一族の第一子のみが、次の世代に力を受け継がせる事が出来るという不思議な力だった。
すなわち次女以降は、その力を使えはすれども次世代には託す事は出来ない。
その不思議な力は、巫女達が処女性を失うと同時に消えてしまう……。
長女のみが力を失っても次の世代に力を継承させる事が出来、次女以降は普通の女性に戻ってしまうのだ。
その為、計六家の長女達は早婚で子だくさんである事が理想とされている。
長女が子をたくさん儲ければ国内での風と雨を操れる人間が増えるからだ。
幸いアズリエールは次女だった為、その役目は求められてはいない。
だが一歩間違えれば、その役割を担う事になっていたかもしれなかった。
何故ならアズリエールは、長女である姉と一卵性の双子だったからだ。
しかし王家によって二人の巫女力を調べた結果、アズリエールは次女と判明。
そのお陰で早婚を理想とされる長女の役割から逃れる事が出来た。
しかし、いくら次女とは言え、サンライズの巫女はその不思議な力を目当てに他国の貴族からの婚約希望者が殺到する。
その背景には、力を提供する為に巫女を自分の領地に派遣して貰う事で発生する費用が、巫女を婚約者にする事で免除されるからだ。
だが他国の伯爵以上の名家が小国の伯爵令嬢を迎い入れるという考えは、初めの内は誰も抱かない……。
大抵は巫女が成人するギリギリまで婚約期間を引き延ばした後、成人後は巫女との婚約を解消し、それ相応の爵位の令嬢と婚約し直す考えの貴族が多かった。
それを承知の上で殆どのサンライズの巫女達は、その政略的な婚約を受け入れている。特別な力を授かった自分達には、その代償としてそういう扱いを受ける事を甘んじるべきだという考えの巫女達が多いのだ……。
ただその考えだけで、巫女達の政略的婚約を受け入れてしまう事は、巫女達の人権問題にも関わる。
その為、サンライズの巫女と婚約した男性には、通常の婚約者に対する扱いと同じように巫女達を丁重に扱う事を義務付けられる。
そしてそれらをサンライズ王家が取り決めた『巫女保護法』という規約を守る事を絶対条件として婚約が成立するのだ。
もし規約を一つでも破れば、巫女との婚約はそれが発覚した段階でサンライズ王家の判断により、強制的に破棄される。
そしてその査定基準は、5年に一度サンライズ王家の人間から行われる面談で判断されるのだが、たまに巫女自身から不当な扱いを受けたという訴えが上がり、規約違反と見なされる事もある。
そんな政略的な背景がある婚約なので、サンライズの巫女達は婚約が決まったとしてもその婚約相手に対して、なるべく恋愛感情を抱かないように無意識に心掛けている女性が多い……。
婚約期間中は、出来るだけその婚約者とは友人関係を維持する事が、一番の得策だと考えているからだ。
だがそんな巫女達の心構えとは裏腹に婚約解消に至ったケースは少ない。
10年以上も婚約関係でいた為か、そのまま先方に望まれ嫁ぐ事が多いのだ。
だがアズリエールの場合は、将来的に婚約を解消される可能性が高かった。
そう懸念される要因は、先程婚約の申し入れをされている状況に誰もが違和感を抱いてしまう背景がある。
それがアズリエールが7年前から始めた男装である。
実際にその事を理由に物心ついた頃から幼馴染でもあった婚約者の伯爵令息から、アズリエールは8歳の頃に婚約解消された経歴を持つ……。
そしてそれ以降から、彼女を望む婚約者候補は現れていない。
通常なら売り手市場とされるサンライズの巫女という存在としては、婚約の申し入れが一切来ないという状況は非常に稀なケースである。
しかしアズリエールの場合、ある二つの理由から、婚約してもあまりメリットがない巫女として評価される事が多かった。
その原因の一つが、彼女の顔立ちの良さだ。
多くの令息達は、自分達よりも美少年に見えてしまう男装したアズリエールと並ぶ事を嫌がり、彼女という存在に魅力を感じなかったのだ……。
逆を言えば、男装していなければ美少女顔という事になるので、アズリエールへの婚約の申し入れは、殺到していただろう。
しかしアズリエールは、何故か男装する事に執着した。
そしてその理由は、彼女の家族とサンライズ王家の人間しか知らない……。
仮にその事を誰かが問いただそうとすると、普段は子供っぽいアズリエールが、急に大人びた綺麗な笑みをにっこり浮かべ、口を閉ざしてしまうからだ。
その急に雰囲気が変わる彼女の様子で、誰もがその件に触れてはいけないと何故か感じてしまい、その事を追及するのをやめてしまう。
そしてその奇行を何故かサンライズ王家は、黙認していた。
更に彼女が婚約を望まれないもう一つの原因が、彼女の持つ風巫女の力が、異例とも言える前代未聞の特殊な発動の仕方をする事だった。
一つ目の原因より、むしろこの二つ目の原因の方がアズリエールに婚約の申し入れが来ない理由としては濃厚だ。
アズリエールが巫女力を使う際は、高い場所から飛び降り落下しながら、まるで風をまとうように空中を舞う事で風を発生させるのだが……その発生する風が、かなり特殊なのだ。
彼女の起こす風は、歴代の風巫女の中でも異例とも言えるかなりバランスが偏った力の発動の仕方で、通常の風巫女なら、均等な威力で広範囲に風が広がるように起こるのだが、アズリエールの場合は、彼女の半径20m以内という狭い範囲内に巨力な風の気流を生み出すような発動の仕方をする。
その力でアズリエールは、空を飛ぶことが出来る珍しい風巫女だ。
例えるなら、狭い範囲内に圧縮した強力な風を放つというスタイルなのだ。
そして瞬間的な威力で言えば、現サンライズ内で一番風の力が強いと言われているブレスト家の風巫女エリアテールと同等の威力とされる。
しかしアズリエールが放つ風は、初めの風圧が強力でも持続性が無い……。
他国からの要望が多い風車の作動や作物等への受粉、広範囲への空気の浄化などには全く向いていない風の力なのだ。
逆に狭い範囲で瞬発力を必要とする状況では、非常に貴重な力となるのだが……そういう状況で風の力が活躍出来る環境というのが、かなり限られる。
しかし現在、婚約の申し入れをしてきたオルクティスの国であるマリンパールでは、そのアズリエールの風巫女の力は、かなり貴重な力だった。
アズリエールが起こす強力で瞬発性のある風は、貿易国家でもあるマリンパールでは、入港してくる貿易船のスムーズな誘導に非常に役立つからだ。
そして最近、船の出入りが激しくなっているマリンパールでは、この入港時の渋滞が問題となっていた。
その問題を改善出来る力を持った風巫女が存在しないか、マリンパール側がサンライズ王家に話を持ち掛けた際、アズリエールの名が挙がったと思われる。
そのアズリエールを派遣巫女として国に招くか、王族の婚約者として招き、派遣費用を押さえるかで検討した結果、婚約者を得ていなかった第二王子オルクティスの婚約者として受け入れ、派遣費用を押さえる方向に決まったのだろう。
その為、表向きは交流会と称されてつつも、実際は巫女達と他国の令息達とのお見合い的なこのお茶会に今まで一切参加する事がなかったマリンパールの王族でもあるオルクティスが、今回初めて参加したと思われる。
長年婚約者を得られなかったアズリエールにとっては、ある意味良い機会だ。
しかも相手は、大陸の窓口でもある貿易が盛んなマリンパールの第二王子。
しかしそんな大物からの婚約の申し入れにアズリエールは、やや困った笑みを浮かべた。
「オルクティス殿下……。その、わたくしはこのような酔狂な格好をする異端の風巫女と言われております。いくらマリンパール国にとって有益な風を操る力を持っているとは言え、第二王子であらせられる殿下の婚約者としては、あまりにも不相応な人間かと思うのですが……」
少年令息風の格好をしているが、しっかりとした淑女としての受け答えで、やんわりと婚約の申入れを辞退しようとしたアズリエールだったが、対するオルクティスからは予想外な返答が返って来た。
「あなたは将来的に風巫女としての職務を全うしたいという強い意志をお持ちで、ご結婚する事をあまり望んでいらっしゃらないとアレクシス殿下より伺いました。ですので、この婚約は私との友人関係を結ぶ婚約として受け入れて頂きたいと思っておりますが……いかがでしょうか?」
聞き方によっては裏のある内容にしか聞こえない言い分だが……オルクティスの雰囲気からは、何故かそういった策略めいた雰囲気が全く感じられない。
何よりもアズリエールは、腹黒い事で定評のある自国の王太子アレクシスより、対人関係の処世術を伝授されているので、人を見る目にはかなり自信がある。
そのアズリエールから見てもオルクティスからは、野心的な雰囲気が一切感じられなかった。
むしろ清々しい程、バカ正直にアズリエールの風巫女の力の恩恵のみを望んだ政略的な婚約であると言って、この婚約を申し込んできたのである。
おまけに友人関係を築きたいと、かなり友好的な印象での申し入れだ。
すなわちアズリエールとの婚約は、マリンパール側ではこの第二位王子の未来の伴侶としては、視野には入れられていないという事になる。
そしてそれはアズリエールにとっては、一番理想的な婚約条件だった。
何よりもアズリエールに対人スキルを伝授した師でもある王太子アレクシスが、この話を先方に勧めたという部分が決め手だ。
アレクシスはサンライズの巫女側に少しでも不利な条件がある状況での婚約の申し入れは、全て断るという方針を持っているからだ。
ようするにこの政略的な婚約の申し入れは、アズリエールの希望も満たし、尚且つ王太子アレクシスの厳しい査定もクリアした好条件の婚約という事になる。
その考えに瞬時に至ったアズリエールは、オルクティスのその婚約の申し入れに思わずニッコリと微笑んだ。
「そのようなお話であれば是非、前向きに検討させて頂きます」
そう返答したアズリエールは、穏やかな雰囲気をまとい、整った顔立ちをしたマリンパールの第二王子に笑顔を向けながら、その差し出された手を取った。