表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/21

八月二十日 自己紹介

 建物内に入ると、一行は食堂と思われる部屋に案内される。長机が三組と、パイプ椅子がそれぞれ八脚ずつセットされている。壁には、様々な写真や絵画が飾られていた。また、部屋の隅には花の入った花瓶が置かれている。


「皆さん、まずはこちらにお座りください。男性はこちらの列、女性は反対側です」


 若田の指示に従い、全員が同じテーブルに着く。譲治は一番端で、隣にいるのは千葉だ。向かいの席に座っているのは伽耶である。譲治はニコニコ笑ってみせたが、彼女はすぐに目を逸らした。


「では、簡単な自己紹介をしましょう。簡単なもので結構です。この先、触れ合うことにより、お互いのことをもっと深く知ることができるでしょうから。まずは、三村さんから」


 にこやかな表情で、若田は一番端の席にいた陰気なオタク風の少年を指名する。先ほど譲治と睨み合っていた時の、人ひとりくらい簡単に殺しかねない凶暴な雰囲気は、見事に消え失せていた。


「ぼ、僕は三村大翔ミムラ ハルトです。そ、その、よろしくお願いします」


 おどおどした態度で立ち上がり、挨拶した大翔。背は百七十センチ前後、かなり痩せている。顔の造りそのものは悪くないが肌は青白く、不健康そうだ。ここ数年、外出していなかったのだろう。また自分に対する自信のなさが、顔つきと態度に出ている。


「次は、草野さんに自己紹介をお願いします」


 若田が言った途端、がたんという音とともに立ち上がった者がいる。参加してから、一言も発していない女性だ。年齢は十代のはずなのだが、二十歳前後に見える。髪は短く服装も顔の造りも地味であり、一見すると男女どちらなのかわかりにくいタイプである。


「く、草野亜美クサノ アミ、です。あの、その、えーと……よ、よろしくお願いします!」


 こちらも、おどおどした態度だ。聴いている側を見もせず、ずっと下を向いたまま早口で挨拶し、すぐに席に座る。

 クスクス笑う声が聞こえた。若田は、ぎろりと笑い声の主を睨む。


「千葉くん、次は君の番です。笑っている場合ではありません」


 言われた千葉は、面倒くさそうに立ち上がる。いかにも大物ぶった態度で語り出した。


「あー、どうも。凶悪で凶暴で凶器大好きと三拍子そろった駄目人間だけど、地元じゃ負け知らずで有名な千葉拓也チバ タクヤくんです。先日、ちょっとヤンチャが過ぎてパクられました。ここには年少行きを避けるためだけに来ましたので、皆さんと仲良くする気はありません。以上」


 言い終えると、満足げな表情で椅子に腰かけた。言ってやったぜ、とでもいいたげな様子だ。すると、タイミングを計っていたかのようにスッと立ち上がったのは、あの化粧の濃い少女だ。


石野怜香イシノ レイカ。申し訳ないけど、あたしもあんたらと触れ合う気はないから。だから、あたしにはかかわんないで」


 冷めきった口調で言うと、すぐ席に腰掛けた。他の者など知ったことではない、という態度である。


「次は、桐山くんです」


 若田の言葉に、譲治はウンウンと頷き立ち上がる。


「あ、どもども。僕ちんは桐山譲治です。ちっちゃい時に事故に遭っちゃいまして、たまーに脳が痛くなる障害があります。あと、計算が出来ません。足し算も引き算も上手く出来ないし、数をかぞえるのも苦手ですんでよろしく」


 そう言って、ぺこりと頭を下げ椅子に座る。すると、千葉がプッと吹き出した。


「何だお前、ガイジなのかよ。道理で、空気読めねえわけだ」


「ん? ああ、そうそう。僕ちんはガイジなのよね」


 譲治は、すました表情で言葉を返す。千葉の恐ろしく失礼な言葉を、気にも留めていないらしい。そのやり取りがおかしかったのか、他にもくすりと笑った者がいた。

 だが、違うことを感じた者もいた。


「ねえ、ガイジって何?」


 声を発したのは、伽耶だった。鋭い視線を千葉に向けている。


「はあ?」


 千葉は、面倒くさそうな表情を向ける。しかし、伽耶は怯まない。


「聞こえないの? ねえ、ガイジって何かって聞いてんだけど?」


 怒気を含んだ口調で、なおも尋ねる。千葉は、露骨に不快な表情になった。


「あのな、ガイジってのは障害児のことだよ。こいつみたいな奴をガイジって呼ぶんだよ。んなことも知らねえのか」


 言いながら、譲治の方を指差す千葉。すると、伽耶の表情が険しくなる。


「そういうの、やめようよ。あんた恥ずかしくないの?」


「ああン? 何いってんだよ、てめえは?」


 千葉は威嚇の言葉を投げつけてきたが、伽耶は怯まない。


「私たちは、なんでここにいるの!? 世間一般のレールから外れたから、ここに来たんでしょ!? 違うの!?」


 先ほどまで行儀よくして伽耶だったが、今は凄まじい勢いで千葉を怒鳴りつけている。その剣幕に、千葉は怯んでいた。だが、彼にも面子がある。クールな表情で、言葉を返した。


「あのう、何いってんのか全然わかんないんだけど」


 言いながら嘲笑する。だが、伽耶はその程度で引くほどヤワではなかった。


「私たちはみんな、群れからはぐれてここに来た。今まで、世間の人たちからさんざんバカにされてきたんじゃないの? そんな差別されてきた側の私たちが、計算の出来ない人をガイジって呼んで差別する……これってさあ、凄くみっともないことなんじゃないの?」


「あー、面倒くさ。そういう面倒くさいの、勘弁してくんないかな」


 横から口を挟んできたのは、石野だった。小馬鹿にしたような視線を伽耶に向けつつ、冷ややかな口調で言い続ける。


「だいたいさ、偉そうなこと言う前に、まずは顔の痣なんとかしなよ。レーザー治療とかも、今なら安いのあるからさ──」


「消さない」


 伽耶は、鋭い口調で答えた。その途端、石野が口元を歪めた。


「は?」


「この世界には、いろんな人間がいていいはずだよ。顔に痣があっても、計算が出来なくても、その人のあるがままを受け止め共生していくのが、理想の社会だって……私はそう思ってる。だから、この痣は絶対に消さない。このまま生きていく」


 語る伽耶の表情は静かなものだった。少なくとも、喧嘩を売るような態度ではない。だが、石野は不快な思いを抱いたらしい。チッと舌打ちした。


「ホントに面倒くさい奴だね。勝手にすれば。でもね、あたしが朝起きてあんたの顔になってたら、その場で自殺するね。そんな痣を抱えて生きていくなんて──」


 その時に室内で何が起きたのか、正確に把握していた者はいなかっただろう。まず譲治の体が、ふわりと浮き上がった……ほとんどの者の目には、そうとしか見えていなかった。

 次の瞬間、譲治はテーブルの上に乗っていた。椅子に座った体勢から、一瞬のうちに高く跳躍し石野の目の前に着地していたのだ。しゃがみこんだ体勢で、鼻と鼻が触れ合わんばかりの位置まで顔を近づけ、異様な目つきで石野を見つめている。歯を剥きだしている表情は、威嚇している野獣のようだ。

 一方、異様な少年を前にした石野は、目の前の事態を理解できず呆然となっていた。口を半開きにし体を硬直させたまま、譲治を見つめているだけだ。蛇に睨まれた蛙のような心境だっただろう。

 そんな彼女の背後には、ナタリーが立っていた。片方の手を伸ばし、譲治の肩に触れている。彼を止めようという気らしい。もう片方の手は、石野のキャミソールをわしづかみにしている。これまた、いつの間に移動したのか、誰にもわからなかった。

 異様な空気の中、ナタリーはにっこり微笑む。


「桐山くん、落ち着くんだ。ここで争っても、誰も得しない」


 静まりかえった室内に、落ち着いた声が響いた。ナタリーのものである。

 譲治は、声の主を睨みつける。だが、ナタリーは笑みを浮かべたまま目を逸らさない。それどころか、微笑みながら石野を後方へとどけてしまった。足を使い、石野を座る椅子ごと後ろにずらしたのだ。同時に、ナタリーもさっと体を入れ替え前に出る。

 真正面から対峙する形になった譲治とナタリー。だが、先に折れたのは譲治だった。目を逸らし口を開く。


「まあ、あんたの言う通りなのよね」


 直後、石野に視線を戻す。


「だけど、あんたにはひとつだけ言っておく。もう一度、伽耶ちゃんにふざけたことを言ったら、その自慢のお顔を修復不可能なレベルまでぶっ壊すのん。ピカソの『泣く女』みたいな顔にしちゃうからね」


「そんなことしなくていい! 誰も頼んでないでしょ!」


 叫んだのは伽耶だった。今にも泣きそうな顔で、譲治を睨んでいる。

 その時、室内に乱入してきた者たちがいた。作業着姿の若者が四人、どかどかと入って来る。みな体格がよく、人相が悪い。髪型は坊主だが、僧侶よりは反社会的集団のような印象の方が強い。

 彼らは入って来るなり、譲治を睨みつけた。


「若田さん、こいつが桐山っスよね。面倒くせえから、ボコって反省室にぶち込みますか?」


 ひとりの若者が譲治を指差しながら、残忍な表情で尋ねる。チンピラそのものの態度だ。

 その途端、若田の両手が伸びた。


「君はバカですか? 状況に応じた言葉の遣い方を勉強してください」


 若田は、優しい表情で注意する。その両手は、若者の襟首を掴んでいた。

 直後、両襟を一気に絞め上げた。柔道の絞め技の変形である。服の襟が首の動脈を絞め上げるのだ。若者の表情はみるみるうちに変わり、苦しそうにもがく。

 だが、数秒で絞め落とされてしまった。若田は、面倒くさそうに若者の体を放る。他の若者たちが、慌てて受け止めた。

 その時、伽耶が立ち上がった。


「あなたたちは何なんですか? もし譲治に暴力を振るう気なら、今すぐ出ていってください! でないと、私はあなたたちを訴えます!」


 体を震わせながらも、男たちに怒鳴りつける。すると、若田は満足げに頷いた。


「山村さん、大丈夫です。我々は、必要がない限り桐山くんに暴力を振るったりはしません。それにしても、あなたは素晴らしい人だ。先ほどのあなたの言葉、私は感動しましたよ」


 その言葉はお世辞でも皮肉でもなく、本気で言っているようだった。

 次に若田は、テーブルの上であぐらをかいて座りこんでいる譲治を睨みつける。こんな状況だというのに、焦る様子もなくテーブルに座ったままヘラヘラ笑っているのだ。

 そんな譲治に向かい、おもむろに口を開く。


「桐山くん、君には反省室に入ってもらいます。さっさと下りてください」


 言われた譲治は、無言のままスッと立ち上がる。

 直後、ひょいと飛び上がった。くるりと一回転し、静かに着地する。体操選手のように見事な動きだ。

 だが、見事な動きも若田の心を動かすには至らなかった。


「君は一度、じっくり反省する機会が必要です。今夜は、自分のしてきたことを考えてみてください」


 冷たい口調で言い放った若田に、譲治はヘラヘラしながら話しかけた。


「あんた強いね。さっきは、一瞬で絞め落としてたし」


 そう言われ、若田の表情が僅かだが和らいだ。しかし、譲治はさらに言葉を続ける。


「だけど、あんたはこの中じゃあ二番目なのん」


 すました表情でふざけた台詞を吐いた譲治に、若田は尋ねた。


「では、一番は誰なのです?」


 その問いに、譲治はニヤリと笑った。若田の目の前で人差し指を立てたかと思うと、自身の顔を指差す。


「もちろん、僕ちん」


 若田の目つきが鋭くなった。ぎりぎりと奥歯を噛み締めつつも、怒りをこらえ言葉を搾り出す。


「そうですか。では明日、その一番の強さを披露していただくとしましょう。私がお相手します」


 殺気すら感じさせる声だったが、譲治は余裕の笑顔を崩さない。


「いやあ、そりゃあ楽しみなのね……あっ、ごめんちゃい。あんた二番目じゃないわ、三番目だ」


「は?」


 若田の眉間に皺が寄る。


「この中には、僕ちんより強いかもしんないのがいるのよね。だから、あんた三番だわ」


 そう言った時、ナタリーが動いた。音もなく接近し、彼の腕を掴む。


「若田さん、私が桐山さんを反省室に連れていきますので」


 にっこり微笑み、頭を下げる。若田が何か言いかけた時、ナタリーは譲治の手を引き奥へと入っていく。譲治も、何の抵抗もせず素直に従っている。

 そんな二人を、若田は凄まじい形相で眺めていた。


 ・・・


 今の、何!?


 三村大翔は、呆然となっていた。

 もともと彼は、人見知りの引っ込み思案な性格である。人と争うことは好まない。他人を殴ったこともない。そんな性格が災いし、いじめに遭い不登校になってしまったのである。

 そんな大翔にとって、目の前で起きた一連の出来事は……彼の理解できるキャパシティを完全に超えていた。映画のアクションシーンも真っ青な場面を、実際に目撃してしまったのだから。

 とんでもないところに来ちゃったよ……と大翔は不安を覚えながらも、その目はナタリーの後ろ姿をそっと見送っていた。

 あんな女性ひとを見たのは初めてだ。メディアに登場する一山いくらのアイドルやモデルなど、比較にならない。顔の美しさはもちろん、言葉や行動に見られる大人の余裕。さらに、あの異様な少年に真っ向から対峙できる頼もしさ。

 確かに、とんでもない場所ではある。だが、ナタリーと出会うことが出来た……それだけが、唯一の収穫だ。




 大翔は、何もわかっていなかった。

 これから彼らの身に起きることは、「とんでもない」などという生易しい言葉で語れるものではなかったのだ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです。 [一言] 少しの時間差で物語が展開していて、展開も引きが良い塩梅。守るべき者がいるモンスターが、どんな物語を紡ぐか、楽しみです。
[良い点] 顔に痣があっても伽耶は美しいです。 譲治のイノセントな部分が伽耶に惹き付けられているのが伝わってきました。 [一言] 自分より強いかもしれないと、譲治をして言わしめたナタリー……謎の女で…
2020/12/01 06:01 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ