第一幕 百合に男は必要ない⑧
『奇天烈な生き物ども展』から抜けて、人の少ない通常展示に出た僕と御形さんは、回遊魚のエリアにあるベンチに並んだ。
「どこまで話したっけ?」
いつもの変わらない笑顔で、彼女は問うた。
「……女郎花とどうなりたいか、のところ」
「あぁ、私から桔梗ちゃんを盗る気があるのか、ってところね」
「おい」
せっかく僕が避けようと濁したのに元に戻すなよ。
「冗談だよ、そんな怖い顔しないで。私、怖がりなの」
降参、とひらひら手をあげる御形さん。
「私が聞きたいのはね。桔梗ちゃんと幼馴染に戻りたいのか、って聞いてるの。別に過去を忘れて友達になっても良いし、思い切って告白しても良いよ」
「それは、僕が勝手に決めることじゃあない気がするのだけれど……」
「そりゃあそうだよ。亞生くんと桔梗ちゃんが昔なにがあったにせよ、これは亞生くんだけじゃあどうにもならない。でもさ、亞生くんがどうしたいか分からないとどうしようもないよ」
回りに回る回遊魚たちを眺めながら、彼女は続ける。
「ぶっちゃけね、私は亞生くんと桔梗ちゃんが今後どうなってもどうでも良いんだ。桔梗ちゃんが私を好きなことは変わらないし、どうせ亞生くんと同じクラスなのもあと3か月もないし。私にはなんも影響はない。影響はないけど、亞生くんがいれば面白くなる」
「『面白くなる』?」
「そ。よくあるでしょ、倦怠期のカップルが動物を飼い始めたら関係が改善した、っていう話。別に桔梗ちゃんとの関係がギクシャクしてきたとかそういうわけじゃないよ、満足してる。でも、なんか刺激が足りないって思うんだよね」
「そこで、僕が告白してきた」
「都合よく、ね。しかも桔梗ちゃんと面識のある唯一の男子。因縁のある男子。自分の恋人に告白してきた無謀な男子。すごいよね、役満じゃん」
ケラケラと笑う。
「じゃあ、『ペットになる』っていうのはそういうことか。僕は御形さんと女郎花の潤滑油になる。女郎花は僕という存在を無視できないし、僕は女郎花に背を向けられない事情がある。言うなれば少し歪なライバル関係だ。それを知った君はカップルの形を保ちながら面白い人物相関図を作って、刺激的な毎日を楽しめる方法を思いついたわけだ」
対して、僕は冷静だった。
そんな僕の態度が予想外だったのか、それとも予想通りだったのか、御形さんは回遊魚に向けていた視線を僕に変えて、また笑った。
「成績は平均じゃあなかった? 名探偵の亞生くん」
「別に、経験則だよ。マニアックな百合には良くいるんだ、君みたいな歪なヒロインが」
「そこに男の子はいるの?」
「いないよ。僕の地雷だ」
水の音が、僕と御形さんの間に流れてゆく。
時計の秒針より早く回遊魚たちは水槽を一周して、僕らはそれを眺めている。
けれど、時間は茫然と過ぎてゆくのではない。
僕と御形さんは武士のようにそれぞれにある間合いを見極めながらじりじりと詰め寄る、緊張に満ちた時間。
相手が次に何をするか考え続ける時間。
その一秒一秒が永遠にも感じられる時間。
「答えを、聞いていい?」
そんな中で、沈黙を破ったのは御形さんだった。
「桔梗ちゃんとどうなりたいの? 幼馴染? 友達? それとも恋人?」
「少なくとも、恋人じゃあない」
僕は即答した。
けれど、それは解答ではない。
僕の前には二つの道がある。
1つは、過去に戻る道。御形さんの力を借りて無理にでも女郎花の幼馴染として付き合っていく道だ。それは過去を、僕が女郎花を見捨てた罪を忘れろ、と彼女に勝手に宣言する道でもある。僕は何の努力をするわけでもなく、ただ『僕が女郎花の幼馴染』であるという過去を手前勝手に弄ぶことを意味する。
1つは、未来へ進む道。僕が女郎花にした過去を清算して、また新しく友人として歩む道だ。それは過去に、女郎花本人に向き合ってゆく道でもある。彼女の経験したことを考えると到底許してくれないと分かっていても、これから女郎花と関わってゆくのなら避けては通れない。
当然、僕の答えは決まっていた。
「友達になりたいんだ」
僕は、未来を選ぶ。
いや、選ばなきゃあいけない。
たとえ女郎花が許してくれなくても、これから彼女にも御形さんにも関わることができなくなっても、僕はこの過去に向き合って、清算して、未来へその歩を進めなくてはいけない。それは女郎花が名を馳せる前から僕が決めていたことだ。
きっと女郎花は手前勝手な決意だと思っているだろう。僕だってそう思う。けれど、それで良いんだと思う。
だって、僕の勝手で女郎花を見捨てたんだ。僕が勝手に罪を背負って、勝手に清算したって良いじゃあないか。
僕は、自分の勝手を貫く義務がある。
僕が何をしようと、それは僕の自己満足で、僕の勝手だ。
「分かった。じゃあ、頑張って」
僕を見て、御形さんはそう言った。
機を図ったように、彼女の携帯が着信を告げる。
「席取れたって、最前列。行こっか」
御形さんのスキップ。少し遅れて、僕はその背中を追いかける。
幼い女郎花は、僕の背中をこう見ていたのかもしれない。
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