第1章④
「食べたいやつが結構あったから多めに買ってきて正解だったわ。春樹くん、華南ちゃん来てるなら先に言ってくれよ」
「僕は秋弥が来るなんて一言も聞いていないんだが」
「そこはほら、テレパシーで俺が来る!って感じてメールしてくれれば」
「無茶を言わないでくれ。華南、君から好きなものを選んでいいよ」
コーヒーカップをトレイに載せてリビングに戻ってきた私は、少し迷って春樹さんの隣に腰を下ろした。箱の中には、2人で食べるには多いくらいのケーキが入っていた。私がいなかったら、どうやって処分したんだろうか…。
「じゃあ、これを貰いますね。ありがとうございます仙波さん」
「いえいえー。コーヒーありがとね。春樹くんはこれでしょ?」
仙波さんは、春樹さんの皿の上にモンブランを載せてから、どれにしよっかなー。とケーキの吟味を始める。
仙波秋弥さん。数少ない春樹さんの友人の中で、唯一私が知っている人だ。
神奈川県との境にある、李分堂という骨董品店の店長をしている。業務の合間を縫って、日本史を解説する動画を投稿したり、私が通う政名大学の臨時講師として教鞭を取ることもあるらしい。受験勉強の際もかなり助けてもらった。
見た目に頓着せず、読書以外の趣味がない春樹さんとは対照的に、常にファッショナブルで、多くのことに興味を持っている。大学で出会ったらしいが、どうしてこの2人が今も交友関係を保っているのか、私は常々疑問に思っている。
歳は春樹さんの2つ下の27歳。学年が同じだったわけでもないのにタメ口な理由も、私は知らない。
「美味いなぁ。生きる喜びを実感するわぁ」
弛みきった表情でケーキを食べるその姿は、成人男性のそれとは思えない愛嬌があった。なかなかに容姿が整っているからか、政名大学内にファンがいて、一時はストーカー騒動にまで発展したという話を友達が先輩から聞いたそうだが、直接本人に訊く気にはならなかった。
「それで、今日は何の用なんだい?まさかケーキを食べるためにわざわざ来た訳ではないだろう」
早くもモンブランを食べ終えた春樹さんが本題に入ろうとする。彼は食べるのが早い。食べている時間がもったいないと考えているうちに身につけた能力らしい。
「ん?ああ、そうだった。春樹くん、俺とパーティーに行かないかい?」
秋弥さんがカバンから取り出したのは、さっき春樹さんが訝しげに手にしていたのと同じ封筒だった。
「それなら僕のところにも届いていたよ」
「マジで!?春樹くんって鷹司さんと知り合いだったん?」
「知り合いという程ではないけど、娘さんが僕の生徒だったよ。お父上とも一度だけ話したことがある」
「へえー。それで誘われるって、めっちゃ気に入られたんだねぇ」
「そんなに興味を引くような話をした覚えはないんだけどなぁ」
「あの、その鷹司さんって、どんな人なんですか?」
「ごめんね置いてけぼりにしちゃって」
私を抜きにして話を進めていたことを謝罪して、仙波さんは説明してくれた。
鷹司家は、隣の市の資産家の一族だ。
旧華族の分家だったらしいが、本家が太平洋戦争後の混乱でほぼ無一文状態になってしまう。本家から切り捨てられた後、他の分家に対抗意識を燃やしながら、様々な手段を使って再建。今では政治に口出し出来るだけの影響力を持っているそうだ。
その鷹司家の現当主、章紀氏は無類の骨董品好きらしい。仙波さんとは、その関係で知り合ったとのこと。今回のパーティーは、今まで集めた骨董品の一部を、同じ趣味を持つ同士達に公開しようという目論みらしい。
「春樹さんって、骨董品とか興味ありましたっけ?」
「いいや全く。秋弥のせいで割と詳しいから、それで同じ趣味の持ち主だと思われたのかもね」
「いいビジネスチャンスだから俺は行くけど、春樹くんはどうすんの?」
「僕は骨董品には興味が無いからね。行かないよ面倒くさい」
「…会場は別宅の方なんだけどさ、俺、前に行ったことがあるんだよ」
「それがどうした?」
「書庫があってさ、すんごい量の本がさ、そこにー」
「僕は書物には興味があるからね。行くよ」
食い気味に、パーティーへの参加を春樹さんは表明した。相変わらず興味の幅が極端な人だ。
本を餌にすれば春樹さんは絶対に行くと仙波さんも分かっていたようだ。計画通りとばかりに口の端を吊り上げている。
お金持ちのお屋敷でパーティーか。趣旨はともかく、私はそのゴージャスな響きに心を惹かれていた。その私の様子に気がついたのか、
「春樹くんさ、この招待状、1枚につき1人同伴者を連れて行けるんだよ」
含みのある言い回しをしながら、仙波さんは封筒を団扇代わりに顔を扇ぐ。なるほど。だから仙波さんは春樹さんを誘いに来たのか。
「回りくどい言い回しだね。何が言いたいんだい?」
「それ位は自分で考えたら?」
春樹さんが次の言葉を絞り出すまでの間に、仙波さんと私は2つ目のケーキをすっかり食べ終えていた。
「…華南。君はこのパーティーに行きたいかい?」
恐る恐る、確認するようなやや震えた口調が可笑しくて、私と仙波さんは2人して声を上げて笑った。