首吊りの木
ホラー的な雰囲気の(お化けとかは出ない) フィクション
K寺には、首吊りの木という呼び名のついている木がある。
K寺の門の前、参道の階段の周囲に小規模な松林があるのだが、その一本についているあだ名である。どれがその木かはわかりやすい。何故ならその木からは丈夫そうなロープが吊り下がっているからだ。人がぶら下がっても平気なだけの強度のあるロープである。上ることも可能だろう。木の上の方から吊り下がっていて、地面から50㎝くらい上ぐらいの高さにまで降りてきている。下まで行かないと、どのように吊り下がっているかは見えない。
実のところ、そのロープは首吊りのためにかけられたものではないし、そのロープで首を吊ったものがいるわけでもない。ただ、子供の想像力を刺激するものだから、そう呼ばれているだけだ。
そもそもそこは首を吊るのに向いた場所ではない。寺の前にあるそこそこ大きな道からも十分目視できるし、K寺はきちんと住職の居るそこそこのお寺だ。常に人通りがあるというほどではないが、一日中人が通らないということはない。そもそも、近所に人が住んでいる。ちょっといった先には、人が通ると煩く吠える犬もいる。
ただ、木から吊り下がる丈夫なロープが、その存在に気づいたものになにか不気味な思いをさせているというだけである。ロープ自体の重さがそれなりにあるのか、風で揺れたりはしない。そこそこの太さのある灰色のロープが、真っ直ぐに吊り下がっているだけである。
殆どの人は、ロープを気に留めない。近づかない。何のためにあるものかを知らない。そもそも態々道を外れて松林の中に踏み込んだりはしない。K寺の前の松林はそれなりの高さがあり、よく茂っているが、雨宿りできるほどでもない。おそらく、寺の人間が掃除をする程度であろう。
しかし、そのロープは気付けば異様な存在感を醸し出すものである。あまりにもそれは異質で、人為的な気配を感じるものである。だが、寺前の松林に丈夫なロープを吊り下げる意図とは何なのか?それが判る人間は限られている。本当のことがわからない人間は、それを見て首を吊るためのものだろうか、と想像する。それだけである。
寧ろ、それが実際誰かの首を吊るために使われれば、発見され次第、撤去されていただろう。だから、それが今も変わらず吊り下がっているということは、そこに吊り下がった人間などいないのである。そして、何かしらの吊り下げられ続ける理由がそこにあるのだ。首を吊る以外の意義が。首吊りの木で首が吊られた事実は存在しないのだ。
だが、何処かの林で、首を吊った人間がいて、朝の散歩をしていた老人に発見されたのだ、という噂はある。どんな人間が首を吊っていたのかは噂にない。ただ。何かを感じて老人が木を見上げると、人が吊り下がっていたのだと。
勿論、ただの噂だ、と言ってしまうことはできる。首吊りの木だなんて呼ばれる木があるのだから、当然、吊られた人間の話がなければならない、と作られた話なのだと。だって、具体的に誰が死んでいたのかの情報がない。ただ、林の木で首を吊った人間がいたのだ、というだけで。その人間の持つ属性が、一つも語られない。ただ、首を括った人間が存在するということだけが重要であるかのように。
…。
首吊りの木で首を吊った人間は存在しない。K寺の松林は人が首を吊るには適していない。人の首を吊るのに使われたロープがいつまでも吊り下げられたままになっているわけがない。そこで首を吊った人間などいない。いるはずがない。誰も首吊りの木で首を吊った人間を見ていない。首吊りの木で首を吊った人間はいない。首吊りの木に首が吊られたことはない。首吊りの木というのは、吊られたロープを見て不気味に思った人間の間違った推測である。K寺の松林で首を吊った人間は存在しない。
首吊りの木で首を吊った人間はいない。
実際に男が首を括った木は、東のY神宮の参道の林にある、一際高い松の木である。松の木の地上から3mほどのところの太い枝に、茶色いロープがぶらぶら揺れていたが、五日ほどして撤去された。たしか、20年ほど前のことである。




