ゴブリンとの戦い①
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岩場に腰掛け、スミレは自身の手に握られた木の棒を眺めては深いため息を漏らしていた。
「そんなに落ち込むこと?武器があるだけマシでしょ?」
「ハルは魔物に殺されかけたことがないから、そんな呑気でいられるのよ……」
スミレが落ち込んでいるのには大きな理由があった。
以前異世界に来た際、スミレは魔物の巣に転移して死ぬ思いをした。
それゆえ、スミレは万全の態勢を整え、日本にいる間に日本刀や薙刀の武器を手に入れて戦いに備えていた。
準備は完璧の筈だった。
「母さん、日本刀が……竹刀になったんだけど……」
襖を通り抜けて異世界に転移して、ハルの一言目は異世界への感想ではなく……。
握っていた筈の武器への感想だった。
強く握り締めていた日本刀は、いつも愛用している竹刀に変わっている。鍔に書かれた『Haru.H』の文字。
何も答えないスミレを心配して振り返ったハルは、何も言えなくなってしまった。
「……えと……」
「……」
スミレの薙刀はただの木の棒になっていた。
「……でも、どうしてこうなったんだろう」
「さぁ、文化が大きく違う物だからダメだったとかかしら」
この世界には日本刀は存在しないし、槍は有っても薙刀は無い。
けれど、ハルは首を振って違うと答えた。
「スマホは残ってるよ」
「確かに、荷物の中は無事みたいね」
文化や文明を問題視するなら、スマホがある時点で有り得ない。
「母さんの夢に出てきた女の人が神様だったとしたら?武器を持ってくるのを嫌って取り上げたのかも」
「え~!!ラノベとかだとむしろ武器とかチートとかくれるじゃない!取り上げるって酷すぎるわ!」
理由が決まった訳ではないものの、考えたところで結論は出ない。都合よく神様のせいにすることになった。
武器は一応ある。見渡しても魔物は見当たらない。
防災セットを兼ねたサバイバル用の荷物は残っている。
嘆いていても仕方がないと、二人は東を目指して歩き始めた。
とはいえ、せっかく大金を出して買った日本刀や薙刀が消えた事はスミレにはショックな出来事で、休憩する度に冒頭のやり取りが繰り返されていた。
「明るいうちにもう少し先に進みましょうか。武器も心許ないし。野宿の場所も探しながら歩いた方がいいわね」
「……」
「ハル?……あら、無理をさせてたみたいね」
すぅすぅと規則正しい寝息が聞こえる。
それに気付いたスミレは、愛おしい寝顔に苦笑しながらも、起こさないように気をつけてブランケットを掛けた。
「ふふ、可愛い♪」
眠いのは当然だった。
学校から帰り、剣道を稽古に励み、夕食のあとにメルクの話を聞かされた。そして、そのまま異世界にやってきたのだ。
異世界は夜ではなく、日は高く登っていた。
つまり、ハルもスミレも徹夜したようなものだった。
凹凸の激しい岩場だが、一人用のテントを広げる位の広さの場所はある。スミレはこのままこの岩場で夜を過ごすことにして、薪を集めに行くことにした。
とはいえ、眠っている娘から目を離すわけにはいかないと、森の入口だけで薪を拾っていると、茂みがガサガサと音を立てる。
「魔物……?」
ちらっとハルに視線を移す。
起こしたいけれど、大声をあげて魔物を刺激したくはない。久しぶりの戦闘だが、ウルフのような直線的な攻撃しかしない魔物なら一人でも戦える。
緊張で速くなった心臓の音を、深呼吸で鎮める。
スミレは五年間の異世界経験者。それなりに場数は踏んでいるため、冷静に対処していた。
(せめて何の魔物か解れば……)
ゆっくりと後退り、ハルの元に近寄りながら茂みの奥を覗き込んだ。
尖った大きな緑がかった耳が茂みの奥から出ている。
(ゴブリン!?)
「(ハル、起きて。ゴブリンがいるわ)」
足音に気を付けてハルの元に戻り、そっと身体を揺すった。
幸いな事にゴブリンはまだ二人に気付いていない。けれど、ゴブリンはあまり単独行動はしない魔物である。少なくとも三体は居る可能性が高いとスミレは判断し、ハルを起こすことに決めた。
「ん、……ゴブング」
「(静かに。何体居るか分からないけど、向こうはまだ気付いていないから勝機は十分にあるわ)」
スミレは素早くハルの口を塞ぎ、簡単に状況を説明しながら竹刀を渡した。
突然の緊迫した状況に、ここが異世界であることを再認識させられたハルの手は、無意識のうちに小さく震え始めていた。
「(大丈夫よ。私が守るから。さ、見つかる前にヤるわよ)」
そこには普段ののほほんとした母親の姿はない。
スミレとて怖くない筈がない。
それを理解しているからこそ、頼りになる母親の姿に、ハルの心はすぐに落ち着きを取り戻していた。
「(刃物なら気付かれずに殺せるけど、打撃武器でどう戦うの?)」
「(的確に急所を狙うしかないわね。気付かれるのはこの際仕方ないわ)」
幼少時代から剣道と共に教え込まれた点穴術。まさか魔物と戦う為だったとはとハルはため息を漏らした。
剣道、合気道、薙刀、点穴術、サバイバル訓練、登山。
神からのチートなどない異世界では、己の努力が全てだというのがスミレの考えだった。
姿勢を低く保ったまま、そっと茂みに近寄る。攻撃し易い角度に立つと、二人は目で合図を送った。
ゴブリンはまだ気付かない。
ガザっという音に振り向いた時には、スミレの棒がゴブリンの脳天に振り下ろされ、短い潰れたような悲鳴をあげて地面に倒れていった。
「ハル!右をお願いね!」
「任せて!」
右に二匹、左に三匹。
スミレは迷わず右をハルに任せ、三匹のゴブリンに突っ込んだ。薙刀というより棍棒として木の棒を回し、危なげなくゴブリンを倒していく。
ハルも一切恐れず、ゴブリンの頭に面を当てるが、竹刀というのは元々稽古中に叩いても、相手が死なないように造られている武器だ。当然、ゴブリンは後ろに倒れはするが、またすぐに起き上がった。
「さて、どうしようかなぁ」
起き上がったところで、脳への衝撃がないわけではなく、ふらふらと向かってくる。
それを見ていたもう一匹のゴブリンは、怒ったように奇声をあげて、真っ直ぐに襲いかかってきた。
すかさず竹刀を突き出し、ゴブリンの喉に突きを入れ、その勢いのまま木にゴブリンを激しく押し付けた。
首の骨の折れたゴブリンは、一声も発することなく息絶えた。
「う~ん、嫌な手応え。突きが一番有効かなぁ」
ふらついているゴブリンには、首に向かって横薙ぎを振るう。ぐつっと首が折れた手応えが再び竹刀に走った。
「竹刀でも意外と倒せるものね」
「母さん……」
ハルの背後には、いつものふんわりした笑顔のスミレが立っていた。
身体に籠もっていた力がすっと抜けていき、ハルは大きく息を吐く。
「首の骨を折ったから。人間とゴブリンの死穴が同じか分からないし。母さんの方も無事倒せたみたいね」
「えぇ、打撃力は竹刀より高いもの。それ程手間じゃなかったわ」
さすが経験者だなぁと感心し、母親と一緒な事がある意味チートなのではと考えると笑いが漏れる。
戦闘は一段落した。
ハルもスミレもそう思って油断していた。
岩場の方からゴブリンの鳴き声が聞こえてきた。
「まだ居たの!?」
走って岩場に戻ると、三匹のゴブリンが走って逃げていく後ろ姿が視界に入った。
足場の悪い岩場を身軽に跳んでいき、あっという間に見えなくなった。
「敵前逃亡なんて情けないゴブリンね。ま、あまり戦いたくないから良いけど」
「そうね。無駄な戦いは避けるべきよ。追いかけなかったのは褒めてあげるわ」
微笑みながら、スミレはハルの頭を優しく撫でた。ハルの方が10cm近く背が高いが、スミレは岩の上に乗っているため、丁度良い位置にハルの頭がきている。
「もぅ……恥ずかしいよ。あ~、動いたら喉渇いた」
照れ隠しに「水!」と叫ぶと、リュックを置いていた場所に視線を向けた。
「あれ、荷物移動した?」
「え?してないわよ。そこに……ないわね」
その場所は、岩場に駆け付けた時にゴブリンが立って居た場所。
二人が置いていた荷物は、ゴブリンが持っていってしまったのだ。
「嘘でしょ……。だからゴブリンなんて嫌いなのよ……」
持っているのはそれぞれの武器と、ハルのスマホとブランケットが一枚だけ。
数日分の水も食糧もその全てがゴブリンに盗まれてしまった。
「取り返しに行く?」
「やめておきましょ。次も無傷で勝てるとは限らないわ」
「ん~、街がすぐに見つかるといいけど……」
「仕方ないわ。日も暮れるしもう少し安全な場所を探しましょ。死体の匂いで魔物が寄って来ると危険よ」
集めた細い薪だけを持って岩場を離れ、死角になっていそうな場所を探す。
少し歩いた先に小さな洞窟が見えてきた。
洞窟といっても、奥は浅く何かが棲んでいる気配はない。
「ここが良さそうね」
「私もうちょっと太い薪を探してくるね」
「じゃぁ私は食糧と水を確保してくるわ。ハルも途中で何か見つけたら教えてね」
それぞれ森の中に入っていき目的のものを探し始める。
薪をある程度集め終え、ふと立ち止まったハルは、木々の合間から漏れる光を見上げた。
「ここが私の故郷なんだよね……」
都会の喧騒とは無縁の静かな森。
けれどここでは常に命の危険が付きまとう。
その筈なのに、神聖ささえ感じる森の空気を肺いっぱいに取り込むと、あぁ、懐かしいとさえ感じていた。
心が、魂が、お前の故郷は此処なのだと訴えているようだった。
「ハル、薪が集まったなら戻るわよ」
「うん、母さんの方は収穫あった?」
「いまいちね。湧き水は見つけたけど、食べ物は……これだけ」
大きな葉っぱで器用に器を作って、ブルーベリーに似た木の実が入っている。
ないよりかはマシ、その程度の量だった。
これだけかぁ、と渋りながらも、少し晴れやかな顔の娘の様子に、スミレは微笑んでハルの頭を撫でていた。
「……なんで撫でるの、なんでそんな笑顔なの……」
「ふふ、なんとなくよ」
何故か上機嫌になった母を不審に思いながらも、ハルはこんな幸せが続けばいいなぁと漠然と考えていた。
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