ソフィア②
スマホが水没したので暫く亀進行になるかと思います。
「悪かったねぇ、長々と話し混んじまって。ソフィアとハルが仲良くしてるといいけど」
「う~ん、うちの子友達作るの苦手みたいなので、少し心配ですね」
ギルド内の宿泊所の廊下をエレナとスミレが歩いてくる。突き当たりの部屋の前で歩みを止めて、エレナはドアノブに手を掛けた。
「ここが二人の部屋だよ。突き当たりが私の部屋。向かいはソフィアが使ってるから、安心して……ん?なんか、今……変な声聞こえなかったかい?」
エレナはドアノブから手を離し、そっと聞き耳を立てる。話し声とは違う、甘い声がエレナの耳に届いた。
「……えと、これは入らない方が良さそうだね」
「?何が聞こえたんですか?」
「あ~、アンタは聞かない方が……」
エレナが止めるのも聞かず、スミレは扉に耳を近付けた。
『ん、あ、もういいって……そこ恥ずかしいからぁ』
『……でも、気持ちいいでしょ?』
『気持ち、いいけど、っ!』
室内から聞こえる上擦った娘の甘い声に、スミレは固まってしまった。
エレナは何とか誤魔化そうと、慌ててスミレの肩を掴んで目線を合わせた。
「きっと、ほら、耳かき!耳かきでもしてるんだよ!」
「そ、そ、そうですよね……。ま、ま、まさか、開けたら娘が全裸で、とかは、さ、流石に無いですよね!」
「ないない!絶対ない!」
『あっ!ちょっ、それ、痛ぁ、あぁ!』
声量を落として会話していた二人だが、一際大きく聞こえた声に堪えきれず、二人同時に勢いよく扉を開いた。
「お前ら何して……おい、マジで何してんだい!」
「ハ、ハル!な、なにしてるの!?」
二人の目に飛び込んだのは、耳かき等では決してない。
ハルはサラシ一枚と下着だけ、という裸に限りなく近い格好。そのハルの脚の間に入り、ハルの脚を小脇に抱えるソフィア。
エレナとスミレは、本当に性行為の最中だと勘違いをしてしまっていた。
そう、勘違いである。
「母さん!?えっと、そんなに慌ててどうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ!?そういう行為は愛があるからする事で、気持ちいいとか、そんな事で……!そ、そんな子に育てた覚えはありません!」
「……はい?」
取り乱す母親の珍しい姿にハルは唖然としていた。何を言いたいのかも理解出来ず、上半身を少し起こしてソフィアに視線で助けを求める。
けれど、何を言われているのか理解出来ないのはソフィアも同じで、困惑の眼をエレナに向けた。
「……とりあえず、二人は離れて。ハルは服を着ろ」
「え?あ、うん」
「着せてあげるわよ」
「自分で着れるから!」
起きようとするハルの背中を支えソフィアが起こし、用意していたパジャマを着せようとしたが、ハルはスミレの視線が気になって慌てて拒否した。
だが言い争いの挙げ句、結局ハルはソフィアに服を着るのを手伝われた。ボタンをはめながら視線が合うと、二人は恥ずかしそうに朱くなって顔を背ける。
二人のやり取りに、スミレは眩暈を覚えて隣のベッドに腰掛けた。逆にエレナは二人の雰囲気から勘違いだと察し、冷静に服を着終わるのを待つ。
「で、なにしてたんだい?」
「何って、ハルの治療して、お風呂無理そうだったので、拭いてあげてたんです。そしたら、脚がカチカチに凝り固まってたので、マッサージしてただけですよ?」
「あぁ、マッサージな……。いやぁ、お前らが裸で絡んでるからてっきり……」
「私まで裸みたいに言わないで下さい!」
事情を理解したエレナが口ごもりながら伝えると、ハルはようやくスミレの言葉の意味を理解した。
スミレの隣に移動し、放心状態のスミレの手を握って呆れながら呼び掛ける。
「母さん、母さん!何を変な勘違いしてるの?エレナさんを助けたお礼にってマッサージしてくれただけだよ」
「……本当?」
「ん、本当。母さんもしてもらったら?気持ち良かったよ?」
「……やめておくわ」
不純交遊でなかったとしても、可愛い我が子の上擦った声は、スミレの精神を揺るがすのに十分だった。
そんな二人を面倒そうに一瞥し、気まずい空気を嫌ってエレナは話題を変えることにした。
「それで、ハルの怪我はどの程度で完治する?」
「ん~、少なくとも5日は絶対安静にして欲しいです。出来ればひと月は無茶はしないで欲しいですが、ハルは師匠と同じタイプだと思うので、……安静にする事はないのが心配ですね」
棘のある言い方に、ハルとエレナは顔を見合わせため息を漏らす。
エレナには思い当たる過去が多すぎた。
魔物との戦いに出て重傷を負っても、翌日にはギルマスとして仕事に復帰していた。そんな事が一度や二度ではない。
対するハルも、ある日事故に遭ったが、翌日には病室を抜け出して竹刀を振るっていた記憶から、強く反論出来ずにいた。
「ま、まぁそんなに心配要らないんじゃないかい?そもそもハルはハーフエルフだから回復力はかなり高いし、人間でひと月なら全治半月も掛からないだろうね」
「確かにエルフ族は自然治癒力に長けて……え?」
『エルフ』
その一言にソフィアは固まり、真顔でハルを見つめた。
領主やエレナの言葉から、エルフと人間の間に確執があることはハルにも解っていた。
討伐依頼のエルフの絵を見たときから、ハルはエルフの血族だと絶対にバレないようにしようと考えていた。
日本で感じていた周りの視線を思い出す。
冷たい蔑みの眼。
「……ハーフエルフ?本当なの?」
「う、うん。そうらしい。私も数日前に知ったばかりで……」
「……そう。師匠?最初私に話すつもりなかったですよね?何故バラしたんです?」
「ちょっと事態が複雑だったから、直接自分で対応するつもりだったんだけどね。二人が仲良くなってるみたいだから、ソフィアに任せて大丈夫かなと思ったんだよ」
エレナは少なからず不安だった。
魔物から命を救われたとはいえ、エルフの関係者を完全に信用していいか迷っていた。
けれど、スミレと話していて、心配も不安も全てなくなっていた。
「はぁ、今のバラし方は最悪ですが、師匠なので諦めます」
「本当は嬉しいんじゃないのかい?エルフだよ?しかも異世界から来たんだよ?」
「い、異界の門を通って来たんですか!?」
突然興奮したソフィアに、スミレとハルは首を傾げる。
ソフィアにとって異世界は、最も興味深いもののひとつ。
「ハル、私達もう友達よね?」
「え?」
獲物を狙う目付きで、ハルとの距離を縮めていく。
ハルは突然のソフィアの変化に困惑し、気付いた時にはソフィアに頬を撫でられていた。
「友達じゃないの……?私のこと……嫌い?」
「そ、そんなことないけど、ち、近い、近いから」
「大丈夫。ただ、少し、ほんの少し、私の研究の手伝いをしーーきゃ!」
ハーフエルフの耳を見たいという欲望のままに、ソフィアはハルの髪を耳にかけようと手を頬から滑らせる。
だが、ハルの耳は見えることはなかった。
急に後ろに引かれたソフィアは背後に殺気を感じて青ざめていく。そっと振り返った先には、笑顔のスミレが立っていた。
「ねぇ、ソフィアさん。私、貴女の事割と好きよ?でもね、ハルは貴女の研究材料じゃないのよ?わかるかしら?」
「は、はい、ごめんなさい!お、お話、お話を聞かせていただくだけで、それ以上は望んでませんから!」
「そう?その言葉、信じるわね」
顔は笑っているが、目が全く笑っていない。
スミレの黒い笑顔にソフィアはただコクコクと頷いて後退っていく。
扉の側まで逃げたところで漸くスミレから視線を反らすことが出来た。
「ハル、朝食前に包帯変えに来るから。師匠、詳しい話は明日聞きに行きます。おやすみなさい!」
逃げるように部屋から出ていくソフィアを三人は呆れ顔で見送ると、顔を見合せて笑いだした。
「悪かったね。あの子は今異界の門と時間軸の研究をしてるんだよ」
「研究?ソフィアは学者なんですか?エレナさんの弟子って言いませんでした?」
「あぁ、ハルには言ってなかったねぇ。私はこのギルドの仕事以外に、王宮魔法研究所の研究員の仕事もしててねぇ。ソフィアは学者としての弟子だね。まぁ、かなり雑用ばかりさせてるけど、優秀な弟子だから、知りたい事はあの子を頼りな」
「そうさせてもらいます。もう友達になったみたいだし」
『友達』
それはハルにとって何より嬉しい言葉。
ずっと憧れていた間柄。
ソフィアは異端だとわかっても、あの蔑みの眼をしなかった。
ソフィアなら仲良くなれる。
ハルはそんな予感に心を踊らせていた。
「ふぁ……あ~流石に今日は疲れたよ。詳しい話はまた明日な」
「はい、おやすみなさい」
エレナが部屋を出ていくと、ハルは荷物の中を確認し始める。
異世界に来てからのんびりと荷物の確認をする余裕はなかったのだ。
「なんだか防災グッズって感じね。異世界の物なんてソフィアが見たらまた興奮しそうね」
楽しそうなハルの後ろ姿を見つめ、スミレは複雑な想いを感じていた。
「(いつか、母親なんて見向きもしなくなるのかしら。なんだかソフィアさんとも仲良し……でもハルはまだ16歳よ!」
「母さんが私を産んだの17だけどね」
途中から声に出していたスミレに、ハルはわざと意地悪を言う。
固まって泣きそうなスミレに笑いながら、ハルは隣に腰掛けて手を握った。
「ソフィアと楽しそうだったから妬いてるの?私だって母さんとエレナさんに追い出されてショックだったんだけどなぁ」
「あ、あれは……ごめんなさい。気になる事があって、ハルには言うべきか悩んでたから」
「言いたくない事なら言わなくてもいいよ?」
「……明日、ソフィアさんにこの世界について説明してもらう事になってるから、その時に話すわね」
「うん、じゃあ今日はもう寝ようか」
ハルは聞き分けよく笑って答え、浴室の場所をスミレに教えると疲れたと先に眠ってしまった。
スミレはエレナとの話を思い出す。
ずっと感じていた違和感の正体。
勇者の伝説。
そして、ハルにこれから降りかかるであろう事。
「貴女を連れて来たのは間違いだったのかしら」
掠れ震えるスミレの声は、ハルの耳に届くことなく消えていった。