三話 お茶会
透き通るような青い空。
青々とした木々、その木漏れ日もジリリと首筋を照りつける。
風はなく、冷房の効いた屋内から一歩外に出ると途端に身体中から汗が噴き出して来る。
そんな初夏の暑い日、僕は朝から熱苦しい奴に絡まれていた。
「で、俺の知らん間に美少女に迫られたっつう話をわざわざ自慢してくれてるわけなんか」
「いや、そういう訳じゃねーよ!! ってか『迫られた』って言うと語弊が……」
「うるせぇ! だまれこのリア充め! 成敗!!」
「リア充って……うっ、うわ!? やめ、やめろお!!」
深夜の邂逅から一夜明け、朝から僕は学校でひとりの友人に絡まれていた。
彼の名前は三井寅次郎。
中学からの付き合いで僕の一番の友人だ。
いま僕は、その一番の友達であるはずの寅次郎にヘッドロックをかけられている。
「湖畔で初めて会った女の子に告られたとか、ベタな少女漫画よりロクでもないストーリーやんけ!」
「いや、まあそれは僕も思ったよ……。でもさぁ、寅次郎。よく考えろ。いきなり美少女に告白されたらどう思う?」
「考えるまでもなくイエスやろ」
「お前なぁ……」
「というわけで、成敗!」
「うわ、うわぁぁぁああ!!」
昨日、僕は見知らぬ美少女から告白された。
いくら美少女からの告白とは言え、流石に見知らぬ女の子が相手ではすぐに答えは返すことは出来ない。
そのため、今は『まずはお友達から始めましょう』という形で連絡先の交換だけして返事を保留している。
僕は彼にそう説明した。
実際にはその深夜にもっと大きな出来事も起きていたが、流石にそっちの方は彼に話していない。
というより、話したくても話すことができないというのが正しいか。
正直、昨夜の彼女の話はそのほとんどが頭に残っていない。
残るっているのはフル稼働した脳みその残留熱だけ。
ただひとつはっきり分かっているのは、頭を冷やしに来たはずの夜の湖畔で僕はショート寸前にまで頭を使う羽目になったということ。
そして、頭を冷やす為に余計に長い時間、湖畔に座り込むことになったという事だけだった。
昨晩彼女と別れた後、僕は自分がどうやって家に帰ったのかを覚えていない。
気がつけば家にいて、気がつけば朝を迎えていた。
それだけショックの大きな出来事だったのだ。
眠ることもできないまま朝になり、チカチカする目とぼぅっとした頭のまま登校したところを寅次郎に捕まって今に繋がるというわけだ。
「……まあとりあえず、お前の言い分はわかった。あとチキンだってことも」
「聞いて分かるなら聞く前に手を出すなよ……ってか俺の言ったこと全然分かってねぇじゃねぇか……」
しばらくして解放され、とりあえず落ち着いて話ができる状態にはなった。
「いきなり美少女に付き合ってくれって言われてもさ、正直本気だとは思わないだろ?」
「なんでや?」
「なんでって、ほら、そもそも面識もないんだぞ? 罰ゲームか冗談か……なんにせよ何かしら裏の事情があるんじゃないかって疑ってしまうのは仕方ないだろ」
「いや、まあ、気持ちわかるけどよ。 せやけど本気かもしれんやろ? 疑ってかかって、もし本気やったとしたらその子可哀想やないか?」
「まあ、そうだけどさ……」
あの子は、錦は『付き合いたい』ということを本気で言っていた。
僕はそれを知っている。
それだけに寅次郎の言葉が突き刺さった。
「可哀想……か……」
「そらそやろ」
だが、一体彼女はいつ僕のことを知ったのか。
それが分からない。
やはり面識がない子にいきなり付き合って欲しいと言われると、相手を色々詮索してしまう。
「あーあ、ついに俺より先に泰護が告られてしまったんかぁ」
真剣に考えていると、隣で寅次郎がボヤき始めた。
「いや、まて。 付き合ってくださいって言われたんやな?」
何か突然寅次郎が思いついたように声を上げる。
そのキラキラした目を見るに、どうせ大したことでないだろう。
しょうもないことに違いないと思いつつ、先を促す。
「そうだよ」
「好きです、とは言われてないんやな? よっしゃ! それなら何か事情があってそれに付き合えってことかもしれん!」
「何言ってんだお前」
「恋愛の告白じゃない可能性もあるってことや! よし、まだ泰護に彼女はおらんってことやな! それで良いか?」
「何言ってんだお前」
「ああああ!! 他の奴に彼女ができようがどうでもいいけど、いや、良くないか。いや、でもお前に彼女が出来るのは負けた気がして腹立つわぁ」
本当にしょうもない事だった。
何かをこじらせた末に支離滅裂な発言をし始めた寅次郎を見ながらため息をつく。
というか彼女じゃないし。
ともあれ、この寅次郎の絶妙なアホさ加減が僕の心と頭を軽くしてくれたこともまた事実だ。
本人には気取られないように、心の中で感謝する。
「ん?」
と、頭を抱えていた寅次郎が廊下の方に目を向けながら声をあげた。
「なんだよ?」
「いや、ほら。見慣れない可愛い女の子がうちのクラス覗いてるんや。教室の後ろのドアのとこや」
なんだか嫌な予感がする。
そう思いながら、ゆっくりと寅次郎の視線の先に目を向けると、錦がいた。
****************
陪膳高校の校舎は少し変わった形をしている。
教室のある学生塔は『ロ』の字型の四階建て。
二棟の教室の入った建物が中庭を間に向き合い、その片側は渡り廊下、もう片側は学生用玄関の入った建物になっている。
渡り廊下からは雄大な湖とそのすぐそばまで迫る街が一望できる。
そして、その真ん中には階段が設置されており、各階からその階段を使って中庭まで降りることができるようになっていて、その階段の裏側は校舎からは死角となっている。
いま、僕達はその誰からも見られない絶好のポイントにいた。
「さて、まずは自己紹介やな。俺は二年の三井寅次郎。泰護とは中学からの付き合いや」
「あのさぁ……」
手にしていたりんごジュースを一口飲み、寅次郎が最初に口を開く。
めいめいの手には小さな紙パックのジュース。
全て僕の奢りだった。
僕はただ脱力しながら、奴のペースに飲まれかけていた。
寅次郎から目線を移すと、錦も困ったような顔をしている。
「ほんなら、まあ先ずはお二人の馴れ初めからどうぞ」
「ちょっと待て落ち着け!」
どんどんと話を進めようとする寅次郎をさすがに押しとどめる。
「まずはこの状況はなんだよ」
「なんだよってなんやねん」
「なんでお前がいるのか聞いてるんだよ!」
当然のような顔をして居座る寅次郎に噛み付く。
寝不足の頭がチクチクと痛む。
なんだこの状況は……。
僕と寅次郎と、そして錦。
このメンバーは一体なんだよ……。
疲れを感じながらふと振り返ると、そもそもの顛末は数時間前に遡る。
朝、一限の授業が始まる少し前。
錦守世がうちのクラスにやってきたことから全ては始まった。
もうすぐで始業のチャイムが鳴るというのに、彼女は僕のクラスのドアの前でコソコソとしていた。
そんな彼女を僕は見て見ぬ振りをしていた。
理由はただ一つ。
出来れば今は顔を合わせたくない。
そんな僕の思いを粉砕した大バカ野郎がいた。
『おいおい、どないしたんや? うちのクラスの誰かに用あるんか? 呼んできたるで』
寅次郎が席を立ち、話しかけたのだ。
『特に用件はないが、なんとなくある人の様子を見にきた』
もじもじしながらそう答えた彼女と、僕の話から色々と察した寅次郎は僕と錦の2人きりの場を作ろうとした。
だが、僕も錦もそれほど積極的ではない。
それに業を煮やしたのか、寅次郎が一言。
『ええわ、ほんなら俺が話聞いたるわ!』
そんなこんなで、奴に巻き込まれる形で三者面談の運びとなったのだった。
「まあそんな細かいことはどうでもええやろ。次は君の番や、自己紹介よろしく!」
「わ、私ですか!?」
僕をおざなりに切り捨てると寅次郎は錦に話を振った。
「え、えと、私は錦守世です。一年三組です。よろしくお願いします」
錦も戸惑いながらも自己紹介をする。
既にもう僕と錦に話の主導権はなかった。
「まじか! 年下かよ!」
驚いた声を上げると寅次郎は僕の背中をバンバン叩く。
痛い。
「いや、僕も今知ったよ」
「あ、えと言ってませんでしたっけ?」
「名前も今初めて聞いたよ。SNSの登録名で知ってはいたけど」
「自己紹介すらしてなかったんやな……」
寅次郎は呆れたように僕と錦の顔を見比べる。
何も言い返す事が出来ず思わず手の中のりんごジュースを飲み干してしまった。
「……飲み干しちゃったからおかわり買ってくる。2人は何かいる?」
「ありがとうございます。私は結構です」
「守世ちゃん、遠慮せんでええんやで。こーゆー時はありがたく奢ってもらうもんや。俺はカフェオレで!」
「お前は少しくらい遠慮しろ!」
「なるほど! じゃあありがたく。私もりんごジュースでお願いします」
「錦さん!?変わり身早くない!?」
寅次郎と、彼に感化された錦の前では僕の叫びは空虚に響くだけだった。
******************
「さて」
「はい」
泰護の姿が見えなくなると同時に寅次郎が口を開いた。
「紹介した泰護はどうや? ええ奴やろ」
「優しい人ですよね」
そう言いながら私は視線を下にする。
「優しくて、だけどなんだか影があるような人です」
私の言葉に寅次郎は身を小さく揺する。
彼にとっては思いもしなかった答えだったのかもしれない。
「影があるんかどうかは分からんけど、あいつならお前の側におれると思うわ」
「昨日は断られてしまいましたけどね」
「そらそうやわ、誰かていきなりそんなお願いされたら困るわ」
くっくっくっと忍び笑いをする彼を困ったように見る。
じゃあ、どうすれば良かったんだろうか。
ひとしきり笑うと彼は真面目な顔になってこちらに向き合った。
「俺がお前にあいつを紹介したのは別に幼馴染のお前のためだけやない。 親友のあいつのためでもあるんや」
「泰護さんの……ため?」
「せや。 お前が夜にちょこちょこやっとる仕事。 アレには他の人間が必要やろ? ほんでまあ色々利用する中で副作用もあるやん。その副作用をあいつのために活かしたいんや」
「……はぁ」
「まあ、よく分からんっちゅうことは伝わってきたわ……。 とりあえず、あいつは悪いやつやない。それはお前も分かるやろ?」
「はい」
「せやから、まあお前の必要とする関係にはならんかったとしても仲良くはしたってくれや」
遠くに泰護の姿を認め、口をつぐむ寅次郎。
その目には優しい色。
そんな彼の様子を横目に、私は残っていたジュースを飲み干した。
寒くなってきましたね。
お体にはお気をつけて。