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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
六話 イサクの嫁探し
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 牧師館に戻ると、テーブルの上にはコーヒーと菓子が二人分用意されていた。

『さっき三杉さんがやってきて、お見舞いにですって』

 小さなタルト。峰崎教会の側にある洋菓子屋『ミッキー』のスイートポテトタルトだ。望の好物だから買ってきたのだろう――三杉も。

 尊はさりげなく自分の鞄に『ミッキー』の紙袋を押し込んだ。

『買い物ありがとう。良かったら召し上がって』

「的場牧師は?」

『さっき起きたわ。何も食べたくないと駄々こねてたけど、タルトは食べて、水も飲んだから大丈夫でしょう』

 姉が言うなら大丈夫なのだろう。聞けば早々に病院に行き、風邪と診断されて薬も処方されているという。おまけに希と同じ風邪だ。よく寝て休めば明日には回復しているはず。これ以上、尊ができることはなかった。

 そんな尊の心情を慮ったのか希が唐突に言った。

『突き当たりを右に行った部屋よ。まだ起きてると思うわ』

 お言葉に甘えて尊は望の自室に足を運んだ。ノックしてから部屋に入る。

「失礼します」

 ベッドとクローゼット、そして箪笥があるだけの寂しい部屋だった。別室に書斎を持っているからだろう。ここは完全に寝るためだけの部屋だった。

「お加減はいかがでしょうか、的場牧師」

「さいあく」

 掠れた、地を這うような声だった。尊はスポーツ飲料水をコップに注いで、望に手渡した。

「よりにもよって最後に私。何故だ」

「日頃の行いですかね」

「うるさい。だいたい今日は水曜日じゃないだろ。何しにきたんだ」

 用がなければ自分はここに来てはいけないのだろうか。胸に浮かんだ意地の悪い考えをしかし、尊は振り払うことはできなかった。三杉も洋平も至極当然のように見舞いに訪れるのに。

(何を子供じみたことを)

 尊は自嘲した。違って当然。彼らは苦楽を共にした同期ではないか。今は同じ神に仕える聖職者。比べて自分は清廉とはほど遠い、罪にまみれた異端者だ。

「先日の御礼に参りました」

 尊はサイドテーブルに茶封筒を置いた。望は無造作に手に取って、中身を改める。万札が五枚。

「見舞い金だと思ってください」

「あんた、私を馬鹿にしてんのか」

 ぺいっと望は金の入った封筒を尊に投げつけた。おまけに剣呑な眼差しをこちらに向ける。熱のせいで迫力には欠けるが、怒っているようだ。厚意に値段をつけたことが腹立たしいのだろう。

「こんなんで誤魔化そうたってそうはいかない」

 望は尊の胸ぐらを掴んだ。加減をする余裕がないのかかなり強い力で、さしたる抵抗もしなかった尊は前のめりになる。

「出せよ。『ミッキー』のタルト」

「……え」

 尊は我が耳を疑った。タルト。ミッキーの。鞄に押し込んでそのままの。

「隠しても無駄だ。あんたからはスイートポテトの甘い香りがする」

 犬並みの嗅覚だ。尊は観念して鞄から『ミッキー』の紙袋を取り出した。ひったくるように受け取ると、望はさっそく一つを小分け袋から出して齧りついた。

「うまい」

 さっきも食べたばかりだろうに。おくびにも出さないで咀嚼する望に、尊はかける言葉を失う。

 何故責めないのだろう。いつもは子犬のようにギャンギャン噛みついてくるくせに。

 誰に言われるまでもなく、尊はわかっていた。一昨日の自分の態度は体調を崩していたことを差し引いても酷かった。心配して医者にまで連れて行ってくれた望にわざと怪我を負わせた挙句、礼の一つも言わないで追い出した。もしかしたら自分の看病をしている間に風邪がうつったのかもしれないのに。

 ともすれば自らの内に溢れてくるものから尊は目をそらした。望の顔を正視できない。

(どうして)

 何故、何故、と疑問が脳内を空回りする。

 望と自分の関係は決して良好とは言えない。しかし拒まれたことは一度たりだってなかった。許されていた。その実感は胸を緩く掴まれたような痺れを伴った。苦しくて、でもどこか甘い心地。望と一緒にいる時はいつもそうだ。苦しくて、でも離れられなくて。いつだって冷静でいられなくなる。どんなに取り繕おうとしても、溢れ出してしまう。

「私に感謝の気持ちを伝えたかったら『ミッキー』のタルト全種類10個ずつ買ってくるんだな」

「いや、それはさすがに太りますよ」

 望は鼻を鳴らした。上等だ、と言わんばかりに。


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