三
「風邪を召されているのか」
「ええ。ほぼ治っているのですが、念のため」
顔を隠すための嘘には慣れている。望の同期の牧師は一瞬だけ目を細めたが、無愛想な顔で手を差し出した。
「工藤洋平。北海道中会所属の牧師だ」
「永野尊と申します。心療内科医です」
心療内科医と聞けば大抵の人間が怪訝な顔をするのだが、洋平は興味がないのか「医者か」とだけ呟いて終わった。
『工藤さんのご実家はお医者さんなの』
スピーカーから希の補足。父が開業医で、今では町で唯一の病院として重宝されているらしい。洋平はその一人息子だというのだから、牧師を志すにあたって父親とは一悶着あったはず。
「取るに足らないことだ」
しかし当の洋平はにべもない。
非常に生真面目で打ち込むと周囲が目に入らなくなる学者タイプ。尊は洋平をそう分析した。正義感があり融通がきかない、おおよそ聖職者と言われて想像する典型的な牧師だ。
『じゃ悪いけど二人でお買物よろしくね』
「いや、それは……」
尊は洋平に視線を流す。いくらマスクをしていても万が一ということもある。うっかり惚れられては困るのはお互い様のはず。が、希は晴れやかな声で告げた。
『大丈夫よ。工藤さんなら』
「どういう意味ですか?」
『彼、兄に会っても平然としてたから。たまにいるのよね。こういう鈍くて感受性がまるでない人』
酷い言われようだが、洋平は表情を変えない。
『マスクを外さなければたぶん平気よ。お願い』
そこまで言われてしまえば世話になった手前、尊に断る道理はない。自他共に認める壊滅的な方向音痴だという洋平を先導して近所のスーパーへと足を運ぶ。平日の真昼間に男二人が仲良くスーパーにいる図は、かなり珍しいのだろう。店内に入った瞬間、周囲の人の視線を感じた。中には陳列している手を止めて、ぽかんとした顔でこちらを見る店員までいる。
「すまん」
洋平は呆気に取られていた店員に声を掛けた。
「鶏の卵を探している。ただの卵ではなく生粋の日本国生まれ、日本国育ちの赤玉だ。できれば日本国生まれ日本育ちだという血統書もつけてほしいのだが」
目が点になった店員にはまるで頓着せず、洋平はさらに続ける。
「あと塩だ。岩塩かどうかは不明だが、亜米利加の最南端にある島でしか採れないという貴重な食塩と聞いているが、入手できるだろうか。それと発酵した大豆ーー」
「こちらのメモに書いてある商品を探しておりまして」
強引に割って入った尊は、店員にメモを握らせた。意識して蠱惑的な眼差しを向ける。息を呑んだ店員に低く、それでいて優しい声で依頼する。
「お忙しい中大変恐縮ですが、揃えていただけないでしょうか?」
相手は女性。しかもマスクで自分の顔の半分は覆われている。が、そんな障害などものともせずに尊は目力と声音だけで店員を魅了し、屈服させた。こくこくと何度も頷いた店員は、品出し途中の商品を放置して店内を駆け巡る。
「北海道の鶏卵には血統書が付いているのですか?」
「まさか」
洋平はあっさりと否定した。
「そもそも血統書など不要だ。隣の家で育てた鶏の卵だ」