春は桜の花びら
神学校校長への挨拶もそこそこに、望と希は部屋に荷物を置きにいった。
吉田キリスト教神学校は、現在二人の神学生が在学している。現在、どちらも同じ三年生。順調に行けば、あと二年で卒業し、教師試補試験を受験するはずだ。
「つまり、のんちゃんの同級生ね」
望は通常の四年制ではなく、二年制で入学した。希の言う通りその二人は同期にあたる。
「先輩でもあるけどね」
「一人は三杉牧師のご子息でしょう? 名前は知らないけど」
「そうらしいね」
牧師の息子となれば青年部修養会や講演会などで顔を合わせることもあるはずだが、望も希も三杉牧師の息子には会ったことがない。
「……ところで姉ちゃん」
望は足を止めて、首だけ動かした。
「いつまで私の背中にひっついてるの?」
望のシャツを掴んだまま、希は目を潤ませた。捨てられた子犬を彷彿とさせる表情だった。
「だってまた殺人事件が」
「ここで誰がどいつを殺すのさ」
「誘拐」
「この過疎っぷりを見てよ。身代金が払えるように見える?」
希が口を閉ざしたところで部屋の前にたどり着く。長らく使われていないが、定期的に掃除はしているとのこと。シーツやカーテンも昨日洗って干したばかりだという。一人部屋なので広くはないだろうが、ベッドの他に布団を敷くスペースはあると聞いているので、問題はないだろう。
「でも」
「とにかく、夕食までに荷物整理は終わらせなきゃ。ひっついてないで、きびきび働いて……」
扉を開けて、望は固まった。
「のんちゃん?」
望は無言で扉を閉めた。息を大きく吸って、吐く。一連の動作を終えても今の衝撃を忘れることができなかった。
「大丈夫?」
「駄目かもしんない」
「ええっ!?」
希が慌てて部屋の扉を開けーーこれまた望と全く同じリアクションをする。
「……帰りましょうか」
「そうしよう」
「あ、もしかしてその部屋入んの?」
礼拝堂の方から現れた男に声を掛けられる。歳はおそらく二十代後半。おちゃらけた大学生がそのまま大人になったような印象を受けた。
「新入生が来んの今日だったのかー」
ちょうど外出するところだったのか、彼は財布を片手に持っていた。
「空き部屋だと聞いていたのですが、あなたの部屋だったのですか?」
「いや、空き部屋だったからちょっと荷物を置かせてもらってたんだ」
彼の言う『ちょっと』とは、部屋一面にパンツが見えそうなくらい短いピンクのひらひらスカートを履いた少女のポスターが貼ってあり、戸棚にはおびただしい量のDVDやフィギュアが置かれていて、床にはキャラクターがプリントされた抱き枕があることを示すらしい。この時点で望は相互理解を諦めた。
「俺は三杉。ここの神学生で今三年目」
つまり三杉牧師の息子だ。
「はじめまして。私はーー」
「的場姉妹だろ。噂は聞いてる。お前『使徒探偵』って呼ばれていたから……後ろにいるのが引きこもりの方か?」
返答に窮しているこちらなどお構いなしに、三杉は望の頭からつま先までを眺めた。
「しかしお前寝癖すごいなあ。女の子なんだからちゃんと髪はとかしたらどうだ」
こいつは今、思い出したくもない中二病全開な二つ名を持ち出し、希を引きこもり呼ばわりし、望の天然パーマを寝癖と侮辱した。どれが一番重い罪なのかはわからない。しかし、刑を執行するには十分な罪状が揃っていた。
「あ、あの」
妹の怒気をいち早く察知した希が強引に話題を変える。
「それで、こちらの部屋は、いつ……?」
「それが悪いんだけどさ。来週まで置いておいてくれないか? 俺、追試勉強中だからアニメ断ちしててさー」
あまりにも身勝手な言い草に希は言葉を失った。あんなピンクのケバケバした部屋で一夜を明かせと。さすがに抗議しようと希が口を開きかけたのと、望の堪忍袋の緒が緩んだのはほぼ同時だった。
「わかった」
「ちょ、ちょっと、のんちゃん」
「サンキュー。来週には片付けるからさ」
「自己紹介が遅れたけど、私の名前は的場望。性格は非常に短気だとよく言われる。好きな聖句は『目には目を。歯には歯を』」
「へ?」
間の抜けた顔をする三杉を押しのけて、望はピンク色の部屋に突入した。手始めに壁に貼られているポスターに手を掛けた。
「だからこういうふざけたものが置いてある部屋で暮らすなんて、一分一秒でも許せない」
いうが否や望はポスターを無造作にひっぺがした。可愛らしい女の子のイラストが盛大な音を立てて破かれる。
「ぎゃああああああ!」
三杉が悲鳴をあげる。
「ちょ、お前、なんてことを!」
「はい次ー」
「やめてくれ! プリティーローズだけは!」
ピンク色の髪をした美少女フィギュアを手にした望に、三杉がしがみつく。先輩としての威厳も、歳上の風格もあったものじゃない。
「三分間待ってやる」
「いや『ラピュタ』のムスカじゃねえんだから、もう少し」
「姉ちゃん数えて」
「はーい」
希が腕時計を見て「あと二分五十五秒」と残り時間を告げる。
「あのなあ! これ一期で終わったアニメだからもうグッズなんて手に入らねえんだぞ! いくらすると」
「姉ちゃんあと何秒?」
「百六十秒よ」
取りつく島もない姉妹の説得を諦めた三杉は「ぐわあああっ!」と雄叫びをあげながら大急ぎで撤去を始めた。
結局、部屋からオタクグッズが完全に撤去されたのは、一時間後だった。精も根も尽き果てた三杉はよろめきながら「お、覚えてろよー……」と悪役特有の捨て台詞を残して自室に戻っていった。
「最初から険悪じゃない。大丈夫なの?」
「そうだよね。一度はじめた喧嘩にはちゃんと決着をつけなきゃ」
望は黒革の財布の中身を改めた。千円札二枚とカード。小銭がやたらと多い。これがずっしりと重かった原因か。
「のんちゃん、何をしているの?」
「敵状視察」
端的に答えて、望は財布から運転免許証を取り出した。




