恐れず、強くありたい
これにて番外編は終了。
明日は『魔女の婿入り』を更新します。
予定では明後日は『清くも正しくも美しくもない』の本編か番外編(また書いてしまいました)を更新いたします。
いつもより早く到着してしまった。礼拝堂の明かりを見て、尊は足を止めた。屋根の十字架もついている。夜の祈祷会がまだ終わっていないのだ。不審に思われないよう、尊は正面口を通り過ぎて牧師館用の入り口前で待つことにした。近所に配慮してか中の音は聞こえない。
尊は一度も望の説教を聞いたことがなかった。礼拝堂に足を踏み入れたこともなかった。だから祈祷会がどういうものか想像することもできなかった。
しばらくして、教会堂用の扉が開かれた。仕事帰りと思しき中年の男性や、大学生、初老の女性達が出てきた。目に見えて活気的、とまではいかないが、充実しているようではあった。次の日曜日の集会ことなどを話しながら楽しげに帰路につく信徒達を、尊は陰で眺めた。
どこにでもある、ありふれた光景だ。今朝見かけた望と三杉とかいう牧師の姿に酷似していた。
身構えて牧師館のインターホンを鳴らしたが、いつも通り尊は迎え入れられた。駅前で遭遇したことにやはり望は気づいていないようだ。正直、拍子抜けした。
(買い被っていたのかもしれませんね)
いくら異能について詳しくても望はただの一般人だ。気配を察知するなどの芸当はできまい。
が、食後のデザートに出されたケーキを前にして、尊は頰を引きつらせた。切り分けられた、ふわふわのスフレチーズケーキ。否応なく今朝のことが思い起こされる。
望が不満げに鼻を鳴らした。
『のんちゃん、大人げないわよ』
「私は何も」
『ケーキくらいわけてあげなさい。また三杉さんが買ってきてくれるわよ』
「だから、別に私は自分の分が減るから嫌だとかそんなことは思ってない。でも頂き物は美味しく食べるべきなんじゃないの?」
そんなに好きか。もっともらしいことを言っているが、望の視線は尊のチーズケーキにある。
『今度、タルトを買ってきてもらうんでしょ?』
姉に諭されて望は渋々自分のチーズケーキに専念した。小学生だってもう少しは物分かりがいい。いい歳した大人がチーズケーキの取り分が減ることに不満を抱いている。尊は呆れてものが言えなかった。
「そんなにお好きなんですか?」
「絶対にタルトの方が美味しい」
『私はチーズケーキの方が好きよ。ふんわりしてて』
希おススメのスフレチーズケーキを一口。口当たりも軽く、柔らかい。たしかに「ふんわり」という表現が的確な優しい味だった。
「美味しいですね」
『峰崎教会のそばにあるのよ。だから三杉牧師が時々買ってきてくれるの』
そこで希は『そういえば』と言い出した。
『今日の聖書研究会はどうだったの?』
「最悪。なんでよりにもよって説教を設楽牧師にさせるかなあ。開会礼拝の説教は長いし意味わかんないし長いし同じこと何回も言うし、やたらと横文字使いたがるしとにかく長かった」
『設楽牧師、ねえ……』
「なんでサウロの改心から設楽牧師の娘が初めてつかまり立ちした時の話になんのさ。三杉は会場着く前に急用とかでいなくなるし……」
望は悪態をついた。
「小森教会の人は毎週あんな説教聞いててよく眠くならないね」
『えー』
不満げな声をあげたのは希だ。
『でものんちゃんだって、この前の説教の時、後ろの人がほとんど寝てたよ』
「寝不足かしら? みんな働き過ぎだね」
臆面もなく言う望も望で大したものだ。牧師という人種はメンタルが相当強いらしい。
『設楽牧師の娘さんってのんちゃんと同じくらいよね?』
「真理亜さんのこと? 向こうが二つか三つ歳上だよ。今は普通に会社勤めしてるって聞いた」
「まりあ?」
思わず復唱した尊に、望は頷いた。
「設楽真理亜。名前の通り、典型的な牧師の娘だよ」
おやまあ。尊は内心驚いた。設楽という苗字も真理亜という名も珍しいものだから同姓同名の可能性は低い。ターゲットと見て間違いないだろう。世の中は意外に狭い。
「お知り合いですか?」
「父親の設楽牧師とは中会の度に顔を合わせているけど、真理亜さんとはない。あまり親子仲は良くないって聞いている」
思わぬ収穫だ。早くも付け入る隙を見つけた。尊は帰宅したら早速、依頼主に連絡しようと心に決める。望達に対する罪悪感はまるで感じなかった。顔を合わせたことのない娘がどうなろうと望には関係ない……はず。仮に望が首を突っ込んできても以前のように返り討ちにするまでだ。
(私を止めてみせればいい。正義感、信仰や愛で、できるものなら)
何も知らないでチーズケーキをちまちま食べている望に、尊は言い知れない苛立ちを覚えた。抱いていた恐れがそのまま怒りに転化したかのようだった。気取られないようの取り繕っておきながら、全く気づかない様を目の当たりにすると腹が立った。
こちらの気も知らないで。異能を持たないただの凡人風情で。
今朝の望と三杉は象徴だった。平穏無事な人生を約束された者特有の呑気さだ。それでいて、訳知り顔で神の救いだの正義を説くのだ。こちらの事情など何一つ聞きもしないで。
(馬鹿馬鹿しい)
仮にあの二人の呑気で平穏でどこにでも転がっていそうなありふれた会話が、たった一晩で大金を得る代償に自分が失ったものだとすれば、ずいぶんと軽いものだと尊は鼻で笑った――嗤う、つもりだった。
だが、笑うことができなかった。どうしても。
(……ミッキーのタルト)
頭の片隅に置いて、捨て去ることができない単語。自分でも気づかない内に、あわよくばという期待を潜ませていた。