十一
「そういえば、蒔田長老がまた倒れたんですって」
朝食の席で希が言った。
いつもより薄味のお味噌汁をすすりながら望は「ん?」と訊ねた。味噌を切らしてしまったのだろうか。今日出かけついでに買い物をしてこようと思った。
「今は落ち着いたようだけど、一時は目を開けてられないくらい涙や鼻水が流れて酷いありさまだったみたい。風邪にしては悪質ね」
「気をつけないとね」
女性二人が顔を見合わせて深く頷いたところで、出掛ける時間になる。望は食器を手に席を立った。
「教会で流行らないといいけど。心配だわ。ご高齢の方が多いから」
希は小首をかしげた。
「……のんちゃん、いつもより少し顔が赤くない?」
「え?」
流しに食器を置いて望は手を止めた。
「少し頭が痛いような気もするけど、それだけだよ。大したことない」
そのうちおさまるだろう。望はハンドバッグを手に玄関へ急いだ。
「じゃ、ちょっと羽田に行ってくるね」
「気をつけてね」
希に見送られて牧師館を出る。
今日の昼の便で工藤洋平がやってくる予定だ。迎えは不要と言っていたが、神学校の中でさえも迷子になるような男なので、油断はできない。
かといって洋平には東京で他に気軽に頼める友人もいない。神学校に入学するためだけに東京に来て、用が済んだらとっとと北海道に帰ったのだから当然と言えば当然だった。
電車とモノレールを乗り継いでたどり着いた羽田空港。指定されたゲートで待っていると、ビジネスマンと思しき一般人に交じって、見覚えのあるむっつり顔の男が現れた。
男は望の姿を認めると顔を顰めた。仮にも同期に向かって失礼な奴だ。
怜悧な容貌の青年だった。鼻筋も通っているが、引き結んだ唇は不機嫌で強情な印象を受ける。工藤洋平。最後に会ったのは一年前に東京で行われた講演会だったが、記憶に残る彼となんら変わりない。
今日も非公式の場だというのに詰め襟のシャツに黒いスーツを一分の隙もなく着こなしている。黒縁の眼鏡が大変良く似合っているのも相変わらずだ。
微笑もうとして、望は口角がやけに重いことに気がついた。口を開くのも億劫だった。頭の痛みは治まるどころか軽く揺さぶられているような感覚に陥る。
一年ぶりに再会した同期。洋平は望の顔を見るなり言った。
「的場、病院行け」
これにて五話は終了です。
次回は番外編を更新いたします。