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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
五話 あまり善くないサマリヤ人
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 武蔵浦和教会では、毎週水曜日の朝と夜に聖書研究祈祷会を行なっている。

 朝はもっぱら奥様方が大半を占めているのが現状。講義が休みの大学生も時折顔を出したりするので、毎回十人前後の出席者が見込める。そこそこ活発な方だろう。

 いつも通りに聖書箇所を読み終えてから感想を述べ、互いに祈りあう。

 つつがなく祈祷会を終えたところで、固定メンバーの一人、丸屋恵子長老が話しかけてきた。先日の小会のことだと言うので、他の教会員には聞こえないよう席を外す。会議室で二人きりになってから、恵子は話を切り出した。

「例の永野さんの件です」

「彼が何か?」

「いえ、正直言って私は牧師がプライベートでどなたとお付き合いなさろうと自由だと思っております。しかし、そう思わない方もいらっしゃるわけでして」

 恵子にしては珍しく歯切れが悪い。

「差し支えなければ、教えていただけないでしょうか。実際のところ永野さんと牧師はどういうご関係なのでしょう」

 蒔田だな。あの陰険野郎。早々に心当たりがついた望は舌打ちしたいのを堪えた。

「……二十歳も過ぎた女性に訊くことではないですね。失礼しました」

「いいえ、懸念されても仕方ないかと」

 恵子は苦笑した。望とて恵子の立場がわからないわけでもない。

 望は日本キリスト教会で最年少の牧師だ。通常ならば大学卒業後、神学校に四年間通ってから受ける教師試補試験を、望は高校卒業後に二年間だけ神学校に通って受けた。

 異例中の異例が認められたのは、昨今の深刻な牧師不足と、祖父である的場信二牧師の力があってのこと。

 前例のない若輩牧師なので、派遣先の教会を選ぶ際も気を遣われた。

 いざという時に他の牧師がフォローをできる程度の距離で、かつ若手の牧師を気長に育てられるだけの体力がある教会――つまるところ望が武蔵浦和教会に牧会することになったのは、この教会に丸屋恵子を筆頭に敬虔な信者と長老が揃っているからだ。

 武蔵浦和教会は無牧を避ける代わりに、的場望を一人前の牧師として育てる義務を負っているのだ。指導をすべき牧師が、プライベートとはいえ素性の知れない男性を牧師館に毎週招いているとなれば、黙って見過ごすわけにはいかない。

「望牧師がこの教会にいらして早三年。それでも保護者気分が抜けきらないのが私どもの実情です」

「信頼を得られるよう精進して参ります」

「まあ、そういう意味ではありませんよ」

 やんわりと恵子は否定した。

「先生が至らないせいではありません。三年経とうが十年経とうが、親にとって娘は娘のままなのです」

 そこで一度、恵子は口を閉ざした。言葉を探すように宙に視線を投げかける。

「今でも覚えています。先生がスーツケースを引きずってやってきた時のこと」

 望は目を逸らした。恵子の暖かい眼差しが直視できない。当時のことを思い出すと懐かしさよりも気恥ずかしさが圧倒的に勝る。

「藍田執事が寝癖を治すように諭したら『地毛です』って言い張りましたよね?」

「ええ、まあ……天パなので」

「聖餐式のワインでむせて、そのあとしばらくしゃっくりが止まらなくなったり」

「あれは変なところに入ってしまっただけで」

「礼拝後にマイクの電源を切り忘れて、お姉様との会話が教会中に響き渡ったこともありましたよね」

 もうやめて。望は額に手を当てた。頭を抱えて叫びたい衝動を堪える。思い出したくもない黒歴史だ。煩悶とする望に、恵子は軽やかに笑った。

「私達にとって、望牧師はいつまでも『手のかかる娘』なのです。どうかご理解ください」

 そう言われてしまえば、望として折れるしかない。

「先ほどの件ですが……蒔田長老にお話ししました通り、永野さんは姉の関係者です」

 望は少し考えてから付け足した。

「心療内科医というのも本当です。ただ……その、個人的にも親しくしています」

「つまり交際」

「違います。あくまでも友人です。それに親しいのは私ではなく、姉です」

「そうですか」恵子が残念そうに呟いた「先生と、ではないのですね」

 当たり前だ。尊が興味があるのは同じ異能者である希。希がどう考えているのかはわからないが、憎からず思っているのは間違いない。いや、むしろ気に入っている。でなければ、毎週晩ご飯をご馳走したりなどしない。

(あの二人が仮にいい感じになったら……)

 望は天井を仰いだ。

 自分はどうなるのだろう、と考えて、きっと変わらないと結論付ける。この教会でずっと牧師を続けるのだろう。半人前扱いに不満を抱きながらも、なんだかんだで受け入れて。

「そういえば、お姉様のお身体はいかがですか?」

「おかげさまでだいぶ良くなりました」

 半ば強引に医者に診せた甲斐はあった。ずいぶんと恨まれたりもしたが。

「では安心ですね。そうそう、蒔田長老も体調を崩されたそうですよ」

「風邪ですか?」

 恵子は小首を傾げた。

「どうでしょう? なんでも目眩や嘔吐感がするとかで寝込んでいるようなのですが」

「よほど酷い風邪なんでしょうね」

「気をつけなければいけませんね」

 女性二人はお互いに顔を見合わせて頷いた。


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