二
こもるような咳。喉は渇きを通り越して痛みを訴えている。とにかく頭が重くて、身体が怠い。頭まで布団を被った状態で、的場希は低く呻いた。
「そんな馬鹿な」
ありえない。どう考えてもおかしい。
対策は万全だった。運動は欠かさず行なっていたし、毎日果物を摂取した。夜更かしもしていない。部屋の換気にも気をつけた。
そんな努力を嘲笑うかのようなこの仕打ち。あんまりだ。私が一体何をしたというのだろう。希は布団の中で涙ぐんだ。
「神は私を見捨てた……」
「風邪ひいた程度で神を恨むな」
泣き言を一刀両断に切り捨てた望は、サイドテーブルにスポーツ飲料水と切り分けた桃を置いた。
「ずっと部屋に引きこもっているからじゃないか。たまには外に出て免疫力高めなよ」
偏見だ。引きこもりだって運動はするし、日光にも定期的に当たっている。反論しようにも喉が痛くて喋るのも億劫だった。
希にできることといえば、抗議の意味を込めて睨み返すだけ。しかし望は全く堪えていないようだ。素知らぬ顔で桃を勧める。缶詰の白桃だろう。艶のある桃を眺めていると、望がその一つにフォークを刺して差し出してきた。
「ほれ。あーん」
希は素直に口を開けて、桃をいただいた。みずみずしい甘さ。乾いた喉にするりと通っていく。
「美味しい?」
「生の桃が食べたいわ。できれば福島産の」
「季節外れに無茶を言うな」
言っていることは素っ気ないが、コップにスポーツ飲料水を注ぎ入れたり、汗をかいた希の寝間着を交換させたりと、やっていることはずいぶんと甲斐甲斐しかった。牧師なだけあって、意外にマメなのだ。
「病院行って診てもらった方がいいね。白井病院に行こうか」
「集団感染が起きるから駄目」
「起きないよ」
「手術ミスで殺された患者の恋人が恨みを晴らすべく爆弾を仕掛けるに違いないわ」
「白井病院は町医者だってば。してもいない手術でどうやってミスが起きるのさ。いつになくネガティヴだな」
「とにかく駄目。世界平和とは引き換えにできないわ」
「世界は元々平和じゃないから大丈夫」
なんてしつこいのだろう。駄目だと言っているのに。希はなおも言い募ろうとして、咳き込んだ。
「ほら見ろ。やっぱり一度医者に診せよう」
希は布団を頭から被って丸くなった。こうなれば籠城だ。小学生ならばまだしも二十歳を過ぎた姉がやるには幼稚過ぎる。が、今の希にそんな客観的思考能力はなかった。
「じゃあこうしよう。明日の朝、熱を測って三十八度以下になっていたら病院には行かない。以上だったら行く。どう?」
希は布団から顔だけ出した。
「……本当に?」
「嘘言ってどうすんのさ」
先ほど熱を測った時は三十七度八分だった。おそらく明日は同じかもっと熱は下がっているはず。
「いいわよ。約束ね」
それで満足したらしい。立ち上がった望に、慌てて希は声を掛けた。
「明日は燃えるゴミの日だから、忘れないで。ゴミ出しする時は必ずビニール手袋をつけてね」
「はいはい」
「最近カラスが多いから、ちゃんと網をかけてね」
「ほーい」
少し不安が残るが、まあ問題はないだろう。備えは万全にしている。明日の検温に備えて、希は眠ることにした。