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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
四話 サロメの接吻
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十四

 設楽牧師に中華をご馳走になってから二週間が経過していた。

 その間、三杉は壊滅的に不足している女性経験からの教訓を胸に、全力で真理亜をお茶に誘った。負い目がある真理亜は無碍には出来ず、来週の土曜日に三杉と会う約束をしてくれた。

 本業がたてこんでいて望が動けたのは実質二日程度だった。が、優秀な引きこもりワトソンのおかげで野口茂の周辺情報は結構探れた――四年近くも二股を続けた野口茂は、たしかに設楽牧師に「ケダモノ」と言わしめるだけのことはあった。

 野口の現在の連れ合いである千尋はあまり外出をしないらしく、もっぱら川越の屋敷で家仕事をしていた。

 そんな千尋が一人で都内の高級料亭に行くという。接触するチャンスだと望は思った。尊ならばともかく、三杉に真理亜を惚れさせて野口と別れさせるなどという神業が成し遂げられるとは奇跡が起きない限り不可能だ。千尋と話をして、円満解決の道を探るというのが現実的な方法だと望は判断した。

 最低でも一人二万はする高級料亭での料理は最初からあきらめている。仕方なく望は希が作った鮭のおにぎりと、張り込み定番のアンパンと牛乳を片手に料亭周辺をうろうろすることになった。水曜日の晩ご飯。いつもならば招かれざる客が来るおかげで、希の気合の入った料理を食べているのに。落差に少し肩を落としたりもした。

 それはさておき、料亭から出てきたところで話しかけてみよう。店に入る千尋の姿を確認した時に望はそう決意した。が、その思惑は、ほどなくして吹っ飛んだ。

 不意に後ろから声がした。

「こんばんは、的場牧師」

 驚いて振り返ると、尊が猫のような目を見せて立っていた。

「なんであんたがここに」

「千尋さんにお呼ばれされました。とても美味しかったですよ。ああ、すみませんが、希さんに今日は伺えないと伝えていただけますか?」

 まるで天気の話をするかのように自然に尊は言う。料亭に来ていた。千尋と会っていた。揃った状況が示すことにまるで頓着しない。

「場所を変えましょうか」

 望に異論はない。小さく頷いたのを確認してから、尊は駅前の公園へと望を誘った。機械的に尊についていく間、望はここ数週間のことを思った。

 尊は毎週のように教会にやってきて、共に食事をした。希は喜んで歓迎し、自分もそれなりに受け入れていた。少しだけだが真理亜の件も話した。今までの言動を思い返して、望は自分をぶん殴りたくなった。

「仕事だった、ということか」

 自分は利用されたのだと、認めざるを得なかった。

 尊が真理亜側の人間とは思えなかった。それほど尊は安くない。となれば、千尋だ。ただで野口を奪われる気はないのだろう。えもいえぬ敗北感が胸を占めた。

「二か月ほど前に、千尋さんから依頼を受けました。旦那と『浮気相手』を別れさせてほしい、と。詳しくご事情を伺えば『浮気相手』は牧師の娘とのことだったので」

「危険を冒してまで周辺を嗅ぎまわるよりは、同じ牧師から聞いた方が手っ取り早い」

「ええ、その通りです。お聞かせいただいた設楽牧師のお人柄は大変興味深いものでした。世間体を重視する父親――正義と倫理を重んじる牧師ならばなおさらですね。千尋さんから設楽牧師に真理亜さんの状況をお伝えしたそうです」

 それで設楽牧師は三杉と望に娘の説得を頼んだ。

「で、あんたは真理亜さんを誘惑して、野口氏から引き離そうという魂胆か?」

「それが『縁切り屋』ですからね。あなた方にとっても願ったりかなったりでしょう」

 当たっているだけに腹が立った。

 尊が依頼を達成すれば真理亜は野口と別れる。設楽牧師の望み通りに。弄ばれた真理亜は傷つくだろうが、そこさえ目をつぶれば――できるわけがなかった。正義に反する。どう考えても卑劣な方法だ。

「まあ、あなたが賛成しようが反対しようが、私がやることは変わりません。もう着手金もいただいておりますし」

「やめる気はないと」

「前金百五十万、成功報酬百万でお約束しています。情報提供の礼で少し負けても二百万が妥当ですかね。千尋さんの代わりに払えますか?」

 そんな金があったら教会の看板を作り直している。設楽牧師とて余裕はないだろう。望は最後の説得手段に出ることにした。

「野口茂さんの本当の妻が真理亜さんだとしても?」

 別れないこと。それが真理亜にできる夫とその愛人に対する精一杯の復讐だったのだ。

 ニ十歳以上の年齢差を気にして親にすら報告しなかった秘密の婚姻。そこに割って入ったのが千尋だった。千尋は巧妙に真理亜から野口を奪っていった。野口の実家に住み着き、妻のようにふるまった。それだけでは飽き足らず、頑として離婚しようとしない真理亜に業を煮やして、嫌がらせもしていた。まるで自分こそが本妻で、誘惑したのは真理亜であるかのように。しかし本当は、千尋が加害者で、真理亜こそが被害者なのだ。

「知っています」

「……知って、たのか?」

 全く悪びれることなく「ええ」と尊は肯定した。

「だからなんだと言うのです? ただ婚姻関係を結んでいただけではありませんか。現に今、千尋さんとは事実婚に近い状況になっています。野口氏と真理亜さんの結婚が間違っていたんですよ」

 望は尊の胸ぐらを掴んでねじり上げた。さしたる抵抗もせず、澄ました顔でこちらを見つめる尊に、頭に血が上った。

「真理亜さんを陥れる必要があるか⁉ 彼女は何もしていない」

「そうですね。彼女は何もしていません。野口氏の心が離れていくのをただ見ていただけです。繫ぎ止める努力もせずに、いいえ、そもそも向き合おうとさえしなかった。あの夫婦は破綻しているのです。もう、既に」

「で、真理亜さんにも不倫させてお互い円満離婚でもさせようってか」

「いけませんか?」

「いいわけあるか!」

「何故? 本当にご主人を愛しているなら、私がアプローチしたところで心変わりなんてしないはず」

 尊のタラント〈異能〉は男性を惹き寄せるもの。女性は関係ない。どんなに尊が美形で魅力的だとしても、人妻が惚れていい理由にはならないのだ。

「だいたい、あなた方がやろうとしていることと、私がやろうとしていることに一体どんな違いがあるのですか。あなた方だって、別の男性を当てがおうとしていたのでしょう?」

 尊の指摘は的を得ていた。父親の設楽牧師に頼まれたとはいえ、三杉と真理亜が接近するよう仕組んでいた。

「一緒にすんな」

「では彼女に対して誠実だったとでも? 内情を明かしもせずに言い寄る。あなたも大した縁切り屋だ」

 悪意に満ちた侮蔑にしかし、望は反論するすべを持たなかった。望の手から襟を外させて、尊は失笑した。

「何度も言ったではありませんか。あなたのように自分の正義を押し付ける輩に、私はどうしようもなく腹が立ちます。他人を責める前に自分を省みたらいかがです?」

 俯いた望の顔を覗き込む。尊は端整な顔に酷薄な笑みを張り付かせた。

「さあ的場牧師、どうしますか? 悪魔の誘惑に陥らないよう彼女に警告しますか?」

 それで解決すればいいですけどね。蠱惑的に嗤う様は悪魔そのものだった。

「お好きになさってください。ただし、私の仕事を邪魔した場合は相応の報復を覚悟してください。あいにく私は右の頬を打たれて左の頬を差し出すほど聖人ではありません。『目には目を』派です」

「つまり、こっちの事情もバラすってことか」

「差し当たっては、そうですね」

 尊は腕を組んだ。しばらく――望が反論するだけの十分な時間的余裕を与えてから「他に何か言いたいことはありますか?」と訊ねた。

 無力さを突き付けられた望は唇を引き結んで尊を睨みつけた。それしかできなかった。

「ほら、やっぱり」尊は嗤った「真実を暴くだけのあなたには誰も救えない」


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