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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
四話 サロメの接吻
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十三

 料亭の一室で千尋は尊を待っていた。

 完全個室の和食料亭は密談場所の定番。それだけ機密性を守るのに適しているということだ。

 昨日、千尋宛に定期報告のメールが送られてきた。真理亜とは友人以上にはなれたらしい。たった二週間で、だ。想定以上の有能さだ。メールの文面から察するに尊は一気呵成といきたいようだが、それに待ったをかけたのは千尋だった。簡単に事を済まされてはつまらない。

「本日も素敵なお召し物で」

 おしぼりを持ってきた女将が愛想笑いを浮かべた。

「派手過ぎるかしら?」

「千尋様は骨格がしっかりしていて、目鼻立ちがはっきりしていますので、濃い色がお似合いですよ」

 最近はつい明るい色の着物を作ってしまう。野口以外の男性と会うということが、ここまで自分を変えるとは思わなかった。

 相手がつれないのがまた千尋の心を燃え上がらせていた。何としてでもあの慇懃無礼な若者を跪かせたい。見透かしたような余裕顔を歪ませてみたかった。

「ご主人といらしたのが……半年前でしたか?」

「ずいぶんご無沙汰してしまいましたね」

 おしぼりを受け取って千尋は手を拭いた。

 今日、野口以外の男性と会うことを女将は知っている。知っていて、黙っている。気の利くこの女将がいるから千尋は逢引の場所をこの料亭に選んだのだ。

「お連れ様がお見えになりました」

 襖の外から声がかかる。ほどなくして尊が現れた。いつもと同じ、ノーネクタイのカジュアルスーツ。細身の身体にたいそう似合っているが、判を押したかのような変わらない姿に千尋は不満を覚えた。

「お呼び立てしてすみませんね」

「いいえ、お気になさらず」

 尊は作ったような白々しい笑みを端整な顔に張り付かせた。それでいて「素敵なお召し物ですね」と千尋の着物をそつなく褒める。

 お世辞だとわかっていても千尋の胸は高鳴った。手強い青年だった。人を手玉に取る方法はもちろん、自分の魅力を最大限に活用する手段を熟知している――そんな印象を受けた。

「それで、直接相談したい件とは一体何でしょう?」

「まずはあなたの苦労を労いたくて。ご迷惑だったかしら」

「ありがたいです。このような上品な料亭とは無縁な生活を送っているもので……一つ我儘を申し上げますと、水曜日でなければもっと嬉しかったのですがね」

「先約がございましたの?」

「ええ、まあ。毎週恒例のことですので、一度や二度キャンセルしても問題はありませんが」

「武蔵浦和教会の的場牧師」

 尊の手が止まった。

 ほんの一瞬。しかし致命的な隙だった。完璧に取り繕っている尊だから、なおさら。

「調べたのですか?」

「ええ。念のため」

 悪びれることなく千尋は認めた。責められるいわれなかった。

「意外だわ。あなたのような方が牧師と親しいなんて」

「情報提供者です」

「お相手はご存知なのかしら? あなたがこういうことをしていること」

 知っていたら、教会への出入りは許さないだろう。聖書では同性愛や不貞を罪に定めている。ましてや牧師が、罪を平気で重ねるこの青年を受け入れるはずがない。

「言わないでくださいね」尊は薄い唇の前に人差し指を立てた「バレたら私は神に罰せられてしまいます」

 冗談めかして言う。その余裕は大したものだ。

「メールではあと二週間もあれば交際関係になれるとのことでしたね」

 千尋は話題を変えた。

「事が済んだらすぐに報告を……その後、わたくしの所に来なさい」

 尊は言葉の意味を的確に読み取った。

「ずいぶんとストレートなお誘いですね」

「のらりくらりとかわされるのはもう結構。もちろん追加料金はお支払いいたします」

 これが、千尋の復讐だった。

 真理亜が心を寄せ身体を許した男を千尋が奪うのだ。若さと女を見せつける真理亜は、千尋にとってこの世でもっとも憎らしい女だった。自分の父親ほどの年齢の男性と関係し、頑として別れようとしない。何が愛だ。目的はお金に決まっている。野口の金に目が眩んだ卑しい女に、自分が負けるなどということがあってはならない。

「断ったら?」

「まさか。あなたは断らないでしょう。神に罰せられてしまいますもの」

 的場牧師と尊がどういう関係なのかは、千尋にはわからない。しかし尊は敬虔なクリスチャンにはとても見えない。むしろ神聖なものを穢すことに快感を覚える人種だ。

 そんな男が毎週欠かさず通っている――千尋の鼻が、密やかな匂いを嗅ぎ取った。

「交際関係になったら、ですね」

 これ以上弱みを握らせないためか。尊は素っ気なく「かしこまりました」と答えた。報酬も千尋の性癖の確認もしない。こういうことに慣れているのだ。



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