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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
四話 サロメの接吻
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十二

 改札口を出てすぐに大型のショッピングモールが待ち構えていた。飲食店やブランドショップはもちろん、映画館もある複合施設は休日ともなれば大勢の賑わいを見せる。ぞろぞろと建物へと向かう人の流れにのって、尊はショッピングモールへと足を運んだ。

 真理亜に二度目の接触をはかるためだ。彼女は今日、友人と新作映画を見る約束をしているらしい。映画館で顔を合わすのは出来過ぎだが、広大なショッピングモール内で『遭遇』する分にはさほど違和感はない。

 真理亜の予定は望から聞き出した。なんでも向こうは設楽牧師からの依頼で、真理亜と三杉牧師をくっつけて野口と離れさせようとしているらしい。男と別れさせるには新たな男をあてがう。どこも考えることは一緒のようだ。

 一方の望は尊が関与しているなどとは夢にも思っていないようだ。冗談めかして「縁切りならば得意です。私が引き受けましょうか?」と提案すれば、真面目に考え込む始末。

 ちなみに望から依頼はされなかった。理由は二つ。料金が高過ぎて払えないのと、旦那を惚れさせたら本末転倒だから、という二点。

 前者はともかく後者については、見識の誤りだ。

 尊はたしかにタラント〈異能〉で男性を虜にする。しかし、だからといって女性に対しては無力というわけではないのだ。あくまでも異能が作用しないだけで、女性を夢中にさせる方法は他にいくらでもある。

 尊は愛を一時的な執着と認識している。映画や小説で描かれているような純愛は、この世に存在しない。ましてや神が定めたもうた神聖な愛や結婚など、人間が生み出した妄想以外の何物でもない。

 これまで尊は一度たりとも自分から求めて恋人を作ったことはなかった。性別問わず、他人同士が愛し合うということが、尊には理解できなかった。

 何の気なしに目を向けただけで、男はついさっきまで熱烈な抱擁を交わしていた恋人を捨てて、自分に愛を乞う。一目見ただけの自分相手に、だ。喜劇の一幕だと言ってくれた方がまだ救いようがある。だが、あいにく男の方は真剣なのだ。命を捨てても惜しくない、と言う。ただ一目見ただけの自分のために。

 性的欲望が沸いたのだと正直に行動する輩の方が尊には理解できる。組み伏される屈辱は如何ともしがたいが、自分の気が向けば応じてやらないこともない。性欲は人間に限らず動物の本能だ。それが自分の異能によって掻き立てられてしまったのなら仕方ない。

 だが、そこに愛だのよくわからない付加価値を勝手につけるのは断固として拒否する。本能のままに相手の身体を貪る行為が神聖なものであるものか。ただの生理的衝動に意味などあるはずがない。

 進行方向を塞ぐようにして脇道から現れた男に、尊は足を止めた。平均的な、どこにでもいる中年のサラリーマンだった。

「永野尊さんですね」

 経験上、そう言って自分を呼び止める輩にろくな奴はいない。気が進まなかったが尊は「そうですが。あなたは?」と無難に応じた。

「ある方があなたにお会いしたいと」

「どなたでしょう」

「あなたと同じ人種だと、そう言えばわかるはずだとおっしゃっていました」

 つまり異能者だ。尊は考える素振りを見せた。実のところ、答えは既に出ていた。

「名前を伺っても?」

「的場信一様です」

 望の兄だ。わずかに残っていた逡巡も消えた。未だかつて見たことのない異能者への興味もあった。

 罠という可能性は考えなかった。

 特異な能力を持っているとはいえ、尊はただの心療内科医で『縁切り屋』だ。排除が目的ならば背中から刺すなり、車で轢き殺すなり簡単な方法がいくらでもある。

 案内された先は、黒塗りの外車だった。特殊加工されたガラスによって中の様子は見えないようになっている徹底ぶり。後部座席のドアを開いて、男は中へと尊を招き入れる。

 身を折って車に乗り込む。中には先客がいた。

 何の気なしに顔をあげて、尊は息を呑んだ。男でこれほどまでの美貌があるかと思うほどの人物が待ち構えていたからだ。

「はじめまして。的場信一です」

 ほどなくして車が動き出す。どこへ向かうのか。問いかける余裕すら尊は持てなかった。

「妹がいつもお世話になっているね」

「いいえ、こちらこそ」

 尊は目を伏せた。目を合わせたら最後、心ごと囚われそうな気がした。

「妹から僕のことは聞いていなかったのかな」

「あいにく聞いておりません。お兄様がいらっしゃるとは存じておりましたが」

 仮に説明されたとしても自分が信じたかどうかは怪しい。

 尊が男を惑わす魔性の悪魔ならば、この男は魔神だ。人を絶対的に従わせる、暴力的なまでのカリスマ性。同じ人間だということですら信じられなかった。

「妹は僕を嫌っているからね。望もそうだけど、希には困ったものだよ。僕ではなく望を選ぶなんて」

 信一は困ったように肩をすくめた。

「あいつは駄目だよ。いくら知ったかぶっていても、異能者というものを理解していない。まあ、彼女はタラントを持たずに生まれたから仕方のないことだけどね。僕たちの苦悩や本質をのうのうと生きている凡人に理解できるはずがないんだ」

 選民思想。その一言で片付けられる論理にしかし、尊は同意せざるを得なかった。

 望むと望まないにかかわらず、異能者とそうでない者の間には厳然たる隔たりがある。万人平等を叫ぼうと選民思想を否定しようが関係ない。それが事実だ。

「にもかかわらず、あいつは希を閉じ込めた。物質的にも精神的にもだ。明らかに違う存在を無理矢理世間という枠組みの中に収めようと押し込んだ」

 信一は侮蔑を露わに嗤った。

「それで、自分は蒸留水のような清らかな顔で共存だの秩序だの正義を掲げて他人を断罪する。一体何の冗談かと僕は思うね。輝かしい名探偵の経歴の裏で、まともに外にも出られない希は、僕の妹の一生は一体何なんだ。あいつが掲げているのは、この世の大多数の人間が定めた、凡人による凡人のための正義だ。一人で守るのは勝手だが、他人に押し付けるものじゃない」

 尊の異能は男性を惹き寄せる。男性ならば妻帯者だろうと、老人だろうと子供だろうと――たとえそれが、親兄弟であろうとも。

 尊は自身の左手首を強く握った。初めて異能が開花した瞬間は今でも覚えている。もっとも信頼していた、一分の隙もなく、無条件で自分を慈しんでくれていると確信していた者に尊は裏切られた――違う、と否定する母の声が聞こえた。

 あなたのせいよ。

 あなたが彼を裏切らせた。

 その言葉は呪いのようにまとわりついて離れない。

 想いを寄せられ迫られた尊が応じたら、罪と定められる。愛を冒涜する穢れた存在だと断じられる。自分にこの異能を授けた神が定めた法によって。

 こんな理不尽な話があるか。

 尊にはこの世界の倫理がひどく窮屈で、堪らなかった。息をするのも苦しい。

 ともすれば正義感気取りで罪を暴く望は――この世の、自分達にとって都合のいい法や倫理を強要する輩は、殺したくなるほど腹立たしい存在だ。

 望んではみ出しているわけではない。

 頼んで得た能力ではない。

 だが自分には異能があり、この世界では異端だった。

 それでも異能者をこの世の枠組みに無理矢理繋ぎ止めようとする望は、ひどく滑稽であると同時に愚かしい。

「……それで?」尊は内心をおくびにも出さずに訊ねた「私にどうしてほしいのですか」

「僕たちは同志だ。お互いに協力できるし、理解し合えるはずだ」

 信一の言わんとしていることを察した。能力者を集めて、世の中を動かす。有り体に言えばそういうことなのだろう。

「仲間になれ。そういうことですか」

「君にとって悪い話ではないと思うよ。異能のせいで、君は今も定職に就けない。周囲に配慮して生き続けなければならない。でも僕らの中では普通だ。長期的な目標だが、異能者が世間的に認められれば君はもう誰かに責められることも、陰に生きる必要もなくなる」

 なるほど。それはとても甘美なお誘いだった。

「差し当たっては、希を取り戻したい。虐げられている僕の妹で、貴重な異能者だ。そのためには望をどうにかしないといけない。あいつに異能者に正義を押し付ける愚かさを知ってもらわないと」

 どうだろう、と瞳が問いかける。思わず頷いてしまいたくなるほど、魅力的な提案だった。が、尊は首を横に振った。

「即答できることではありませんね」

「君以外はだいたい飛びついてくるんだけどね」

 とは言うものの、信一は気分を害した様子もなく、車を停めさせた。

「また会おう」

 断られるとは微塵も思っていない口調だった。尊は小さく頷いて、車を降りた。ショッピングモールの正面入り口前だった。周辺をぐるぐる回っていただけだったようだ。

 尊は自嘲気味に一つ笑って、モールへと入っていった。


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