八
二度目の呼び出しは都内のホテルの一室だった。
噂になって困るのは向こう。こちらは痛くも痒くもない。むしろ人目につかない場所の方が異能のことを考えると好都合だ。
打算の末に尊はすんなりと千尋の提案を受け入れた。が、内心は辟易していた。千尋と自分は依頼人と請負人。尊にその一線を越えるつもりは全くないからだ。
「調子はどう?」
通された部屋は当ホテルの平均的なグレードとあったが、広々としたリビングルームを持ついかにも高級な内装だった。この程度の贅沢は慣れているらしく、千尋はまるで自宅にいるかのようにリラックスしていた。
「真理亜さんにお会いしました」
尊は慎重に言葉を選んだ。
「芯の強い方のようですね。しかし牧師の娘なだけあって、義理堅く情に脆い一面もあります。時間を掛ければ親密度を増すことはたやすいかと存じます」
「そう」千尋は興味なさげに呟いた「依頼は受けていただけるのかしら?」
「当初の予定通り、ふた月で結果を出して御覧にいれましょう」
千尋はおもむろにバッグから無地の封筒を取り出した。着手金の百万円。手に持ったまま、焦らすかのようにひらひらと弄ぶ。
「男からすれば、ああいった女は魅力的なのかしら?」
「どうでしょう。世間一般的には美しい女性だと思いますが」
容姿だけで人は心奪われるものではないことを尊は知っている。無論、第一印象が大きな比重を占めるのは事実だが、ただ一人の人間に執着するのは容姿だけではありえない。
「あなたの目から見ても?」
「美しいとは思いますが好悪の対象にはなりません。ただのターゲットです。それに私は悪食なもので。趣味が悪いとよく言われます」
千尋は艶然と微笑んで見せた。
「上手くかわしたつもりかしら」
「はて、なんのことでしょう」
軽く受け流して尊は封筒に手を伸ばした。千尋はそっと尊の手に自分のそれを重ねる。武道でも嗜んでいるのか意外に筋のある手だった。指先が尊の手の甲を撫でる。意図を推し量るべく千尋の顔を見た。
「あなた、女を抱いたことがあって?」
もちろんある。女性も、男性も。抱いたことも抱かれたこともある。そうして自分は生きてきた。尊の沈黙をどう解釈したのか、千尋は取り繕うように付け足した。
「いえね、その顔ですから引く手数多とは思うけど、あなたが女性を抱いている姿が想像できないの。どうしてかしら」
赤い唇が艶めかしく動いた。明らかに性を感じさせる仕草だった。
「……杞憂ですよ」
尊は目を逸らした。着手金を懐に入れることで、千尋の手を振りほどく。
「念には念を入れておきたいの。いざという時に出来ないようでは困るわ」
「ご依頼の内容は野口氏とターゲットを別れさせることですから、抱く必要もありません」
「でも既成事実は必要だと思いません? 主人を裏切ったという決定的な証拠が」
千尋は食い下がる。浅ましい情欲を隠そうともしない。
「裏切り、ですか」尊はせせら嗤った「最初に裏切ったのはどちらでしょうか」
千尋の顔に朱がさした。屈辱に震える唇を見て、尊はほんの少しいい気味だと思った。
「定期報告と連絡はいただいたアドレスにお送りいたします」
事務的に告げて尊は部屋を後にした。