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清くも正しくも美しくもない  作者: 東方博
四話 サロメの接吻
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 いつもならば、問答無用で峰崎教会に押しかけ三杉の胸ぐらを掴んで問い質すのだが、ちょうど翌日に北関東中会があったので、望はそこで白状させることにした。

 北関東の教会に派遣されている牧師と中会の役員が一堂に会するだけあって、参加人数は百を超える。早めに会場となる教会にたどり着いた望は、礼拝堂の真ん中より少し後ろの席を陣取った。開始一時間前だと、まだ人はまばらだ。お茶菓子などをせわしなく用意する信徒の姿がちらほら見えるだけで、他には誰もいない。

「久しぶり」

 背後から声。たぐいまれなる美声に、望の背筋に震えが走った。

「元気にしてた? 近頃はとみに活躍しているそうで、兄としても鼻が高いよ」

 水のように澄んだ、魅惑的な声。言葉の一つ一つが芸術的な詩であるかのような響きを伴う。ともすれば振り返ってしまう自分を、望はなんとか押しとどめた。

 声を聞いただけでこのありさまだ。顔を見たら最後、何もかもを投げ出してでも、彼の望みを叶えてしまいたくなる。

「そろそろ希を返してほしいんだけど」

「本人に言ったら」

「この前も手紙を送った。でも一向に帰ってこない」

「一応、読んでたよ」

 そしてすぐさま燃やしていた。次からはせめて返事くらいは書くように言っておこうと心に決めた。後々の面倒を避けるために。

「『用があるなら直接言いに来い』ってだってさ」

「あまり出歩きたくないんだよねえ」

 信一が公共機関を利用しただけで交通は大混乱に陥るだろう。老若男女問わず圧倒的な魅力で他人の心を服従させる。それが、的場信一のタラント<異能>だった。

「で、私に何の用?」

「一つ訊きたいことがあって」

 望の眼前に名刺が差し出された。永野尊。嫌と言う程見覚えがある名前だった。ここ最近、猫のように気まぐれにやってきては希の手作り料理を堪能し、望を苛立たせている奴。

「先日、希へのお使いをお願いした人が持って帰ってきたんだけど、ずいぶんいい人だったらしいね。丁寧で親切で、とても褒めていたよ」

「機会があったら本人に伝えておくよ」

「ありえないんだよね。そんなこと」

 信一が断言する。幼子に諭すかのように慈愛すら込めて。

「彼は僕に心酔していた。にもかかわらず、他の人間にわずかとはいえ関心が移ることなんて、ありえない――それが普通の人間ならば」

 羊のお面では隠し切れなかった。つまりはそういうことだ。

「ぜひ、会ってみたいな」

 希望ではない。お願いですらない。これは、命令だった。

 望は瞼を強く閉じた。胸を衝く衝動を、全く関係のないこと――十戒やら主の祈りやらニケア信条やらを片っ端から頭の中で唱えることでやり過ごす。

「……どうぞ、ご自由に」

「頑張るね」楽しげに、子供のように無邪気に信一は笑った「それでこそ僕の妹だ」

 望の頬に血が上った。信一が、あの崇高な存在が喜んでくれたことが嬉しかった――相当毒されている。頭を振ることで雑念を追い払った。

「用が済んだのならさっさと出ていきな。ここは原則関係者以外立ち入り禁止だよ」

「あまねく人々に救いを説くべき牧師がなんてことを言うんだい」

「黙れ落第者」

「あれは私怨だよ。僕のタラント<異能>を一番恐れているのはお祖父様だからね」

 教師試補試験の成績、面接、全てにおいて完璧だったはずの信一は、祖父の鶴の一声で落第にされた。祖父の判断が間違っていたとは思わない。

 しかし、結果として信一は自らを筆頭にもっと危険な新興宗教を創設してしまった。基本は日本キリスト教会の教えと遜色ないが、まるで違う思想だ。タラント<異能>を持つ者を神に選ばれた民として集わせるという、選民思想。

「僕たちは異端なんだ。この世の中で生きていくためには、少なからず迎合しないといけない。だからこそ、管理する機関が必要だと思うけどね」

「勝手にやれ」

「つれないな。僕は君のお兄さんなのに」

「こっちは姉一人で手一杯なんだよ」

「世間との接触を断って、タラント<異能>を押しとどめる。周囲はそれでいいかもしれないけど、それが本当に希のためなのかな? 神から賜ったタラントを地面に埋めているようなものじゃないか」

「もらったものをどうしようと本人の勝手だ。文句があるなら最初からそんなものを与えなければいい」

 望と信一は大きくため息を吐いた。二人同時。変な所だけが似てしまった。

「君は異能を持たない凡人だ。そのことを自覚すべきだよ。名だたる預言者達の末路を知っているだろう。神の国の到来を叫んだヨハネは立派な信仰者だが、結局彼は忌むべき女の娘サロメに首を刎ねられた。彼の死によって成し遂げられたものは何もない。信仰や意志だけでは誰も救えないんだよ」

「ありがたいご忠告をどうも。おかえりはあちらです」

「相変わらず平行線だね。まあ、いいよ。いずれ君も思い知るだろう」

 背後で信一が立つ気配がした。呼び止めそうになるのを望は堪えた。兄の関心は異能者にしかない。血がつながっているだけの妹には、兄を引き留める力はないのだ。


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