十一
「待って」
店を出ようとした背中に、澄香は声を掛けた。並んでいた二人が同時に振り返る。
「何か?」
「教えて」
澄香は望の腕を掴んだ。
「あの大量落書きの犯人は誰? 知っているんでしょう?」
望は周囲をはばかりつつ、小さな声で告げた。
「最初の一人は、君の知っての通りだよ」
やっぱり知っていた。澄香は愕然とした。
澄香の教室机と椅子に嫌がらせをした犯人は見つからず仕舞い。いくら校内の生徒を当たっても特定には至らなかった。
当たり前だ。犯人は調査が始まった時には校外にいたのだから。
「……どうして」
「君は休んでいたから知らなかっただろうけど、落書き事件は自作自演だったのではないかという説が浮上してね。それを快く思わなかったどこかの誰かさんが、一件目をカモフラージュするために盛大な落書き事件を起こしたってわけさ」
「誰がそんなことを」
望は澄香のポケットを指差した。反射的にポケットの中に突っ込んだ指先に紙の感触。先程望から渡された連絡先だ。
「君の状況に勝手に同情して勝手に心を痛めた、ありがた迷惑な奴。放っておけなかったようだよ。自分と重ねてしまったんだろうな」
最初は、掲示板に貼られた各部活動の新部長の一覧だった。
美術部の部長だった澄香の名前だけ黒く塗り潰されていた。次は体育の時、ペアを組んでくれる子がいなくなった。挨拶をしても返してくれることがなくなった。
気づいた時には、誰も澄香の机や椅子はもちろん、筆記用具など澄香のものには一切触らなくなった。まるで、ばい菌のように。
弘美の言う通りだ。机の上に落書きなんて一目でいじめとわかることなんて、高校生はしない。先生に問い詰められても言い逃れできるような、姑息で巧妙な手を使う。
一つ一つは大したことではなかった。気のせいだと流すこともできた。
でも、少しずつ積もった痛みは心を蝕んでいった。どうして自分なのか、いくら考えてもわからないことが余計に辛かった。
クラスメイトに問い詰めても「気のせいでしょ」「気づかなかっただけ」と笑われるのは目に見えていた。証拠は何もない。
だから――絶対に言い逃れできない、誰が見ても「いじめ」とわかる嫌がらせを自分の机と椅子に施した。親に訴えても信じてもらえない。修学旅行には行きたくなかった。澄香には他に方法はなかったのだ。
「その高価そうな鞄も素敵だけど、ウチの姉は君がノートに描く落書きが可愛くてとても好きだった。だから一目でわかったみたいだよ」
筆跡。まさか二文字でバレるとは思わなかった。
「気が向いたらメール送ってやってよ」
苦笑を滲ませてお願いする望は、妹と言うより、妹を慈しむ姉のようだった。