十
思いもよらない方向からの反論に、比奈子及び周囲の女子は言葉を失った。が、すぐさま我に返り、取り繕うようにいびつな笑みを浮かべる。
「……え、どういうこと?」
「犯人も手口も動機もわかってる。言ってないけど」
澄香は握りしめた手が汗ばむのを感じた。否が応でも思い起こされる過去の惨めな自分。三十数名ものクラスメイトの中で、見下され蔑まれた。
「マジで? 誰なの?」
「あいにく証拠がない。名誉棄損になりかねないから言わない」
「えー! そこまで言っておいて」
「ヒントだけ教えてよ」
「せめてどうやったのかだけでも」
さらなる質問責めにも、望は首を横に振った。強情な所も変わっていないようだ。
話題が逸れて面白くないのは比奈子だ。唇を尖らせて、話を戻そうとする。
「ねえ、ちょっと今はそんなことより――」
「お話し中、失礼いたします」
絶妙なタイミングで降った低い声。反射的に顔を上げた澄香は、そのままたっぷり五秒は固まった。澄香だけではない。その場にいた女性陣全員がその男性に釘付けになった。
一言でいえば、とびっきりの美形だった。二十代後半か三十代前半と思えるが、肌が驚くほど滑らかだ。目鼻立ちも「美しい」の一言。綺麗な弧を描く眉。引き締まった薄い唇のバランスも絶妙だ。細身だが引き締まった身体に、海外ブランドのスーツを着こなしている様は、下手なモデルなぞ霞んでしまいそうなほど魅力的だった。
「……ながの」苦虫を噛み潰したような顔で望が呟いた「なんであんたがここに?」
「希さんに、君を迎えに行くよう頼まれまして」
「はあ?」
「明日は主日礼拝ですから。二次会、三次会と参加されては明日に差し障ると思ったようです。一次会で帰るように、との伝言です」
「あいつは私の保護者か!」
「いいえ、君のお姉さんです」
望に「ながの」と呼ばれた男は爽やかな微笑を浮かべた。過剰な笑みではない。瞳で微笑む、どこか意味深で蠱惑的な笑みだった。
「……望の知り合い?」
恐る恐る弘美が尋ねる。その目はながの氏に向けられていて離れようとしない。
「申し遅れました、私は心療内科医の永野と申します」
ひとりずつ丁寧に名刺を差し出す。心療内科医。つまり医者だ。ハイスペックなイケメンの登場に弘美たちは色めき立つ。
「あ、あのよろしければご一緒に」
「せっかくのお申し出ですが、同窓会の場に無関係な者が立ち入るべきではないかと」
弘美のお誘いを如才なく断り、尊は望の腕を取った。
「さあ、そろそろお暇しましょう」
「やだよ。なんで私があんたと一緒に帰らないといけないんだ」
「おや、あちらで盛り上がっているのは君の同級生ですかね。一つご挨拶を」
別席で馬鹿騒ぎをしている男性陣の方へと顔を向けた永野の袖を望がはっしと掴んだ。素早い動作だった。しかし想定していたのか、永野は穏やかに目を細めた。
「わかった。帰るから」望は全面降伏した「お面でも何でもいいからとりあえず顔隠して」
「かしこまりました」
尊はどこからともなく取り出したマスクを装着した。
謎のやり取りに呆然とする澄香以下一同に「では、失礼いたします」と優雅に挨拶して、望を引きずって去っていった。