九
怪訝そうな顔をする澄香に、比奈子は「澄香の机に落書きがされてた、アレよ」とさらに言葉をつづけた。途端、女子達の目が輝いた。
「あったあった!」
「あれだけ迷宮入りだったよね?」
盛り上がる周囲を余所に、澄香は比奈子を睨んだ。本人を目の前にして臆面もなくそんな話題を振れる無神経さに腹が立った。
的場迷惑探偵の数ある事件簿の中で一番記憶に残っているのは、高校生の目から見ても幼稚な事件だった。
修学旅行に行く直前の平日。当時、高校二年生だった澄香の教室机に落書きがされていたのだ。荒々しい字で「死ね」とただ一言。椅子にはチョークの粉が振りかけられていた。
思い当たる節がなかったわけではない。澄香は地味な女子高校生だった。スクールカーストの上位にいるような、いわゆる派手系な女子からは馬鹿にされていたし、のけ者にされていた。女子同士のそんな空気を感じ取ってか、澄香に話しかけるクラスメイトはほとんどいなかった時期もある。
しかしここまであからさまな嫌がらせは初めてだった。澄香は修学旅行を欠席。しばらく学校を休んだ。
落書き事件の奇妙な点はここからだった。
澄香が学校を休んでいる間に、クラスメイト全員の机に同じ落書きがされたのだ――いや、同じと言うには語弊がある。全員の机の上にマジックで「罪なき者まず石を打て」と書かれていたのだ。
最有力容疑者は的場望だった。落書きの文面が聖書の一文だったからだ。
しかし、クラスメイト全員分の机に落書きをする時間的余裕はなかった。セキュリティもしっかりしていたため深夜に忍び込んで落書きをするのも不可能だ。仮にできたとしても相当な時間がかかる。そこまでしてクラスメイト全員の机に落書きをする意味がまずもって不明だった。
証拠もなく、手口も動機も不明。容疑者の望自身も真犯人を捜し当てられなかった。かくして大量落書き事件は未解決のまま幕を閉じたのだった。
「子供っぽいことする奴がいるよねー。小学生じゃあるまいし!」
「でもさ、ウチらの代って、ほんと色々あったよね。修学旅行でも事件に巻き込まれたし」
意味ありげな視線を望に送る。が、当の本人は軟骨のから揚げをコリコリ噛んでいた。図太い神経だ。澄香は呆れを通り越して感心すら抱いた。そうでもなければ、のこのこ同窓会に顔を出せるはずもないか。
「望はどう思う?」
唐突に比奈子は望に話を振った。
「何が?」
「行く先々で事件が多発してさ。嫌になんないの?」
いつになくストレートな質問だった。卒業してから七年が経過し、なおかつ酒の力があってこそのぶしつけな問いかけ。
「二十年以上も続くとさすがに慣れるよ」
「そりゃ、あんたはいいかもしれないけどさ」比奈子は嗤った「巻き込まれた側は堪ったものじゃないでしょう――ねえ?」
周囲の子に視線を流して同意を求める。単なるバカ騒ぎの軽い雰囲気が不穏なものへと変わり始めていた。
「今だから言うけど、かなり迷惑してたんだよ? 一言謝ってくれてもいいんじゃないかな」
「ちょっと、比奈子……」
さすがに言葉が過ぎた。望が事件を引き起こした証拠はどこにもないというのに。止めようとした旧友を、比奈子は煩わしそうに手で払いのけた。
「希が引きこもりになったのも、あんたのせいなんじゃないの?」
私だったら鬱になるわー。いつも一緒にいる妹が行く先々で事件を引き起こすんだもん。顔も会わせたくないだろうね。姉妹の縁切るかも。
持論を繰り広げる比奈子に、望は顔を向けた。
「なーに? なんか文句ある?」
「訂正が一つだけ」望は箸を置いた「落書き事件は解決してるよ」