十
「どうして私がそんなことを」
「穂紗奈の名前で『王者』を完結させるため」
特別なタラント〈異能〉はないが望には経験によって培われた推理力がある。幼い顔には不釣り合いな皮肉気な微笑。その裏に隠された真実を読むのも造作はない。
そして、加藤が何をしようとしているのかも、たやすく読めた。
加藤は造り物のような笑みを張り付かせた。
「彼女は本物の天才です」
そう、KANNOも渡辺穂紗奈も天才だ。しかし努力を続けることができるという点において、穂紗奈は特別優れていた。深い考察に基づく心理描写や風景描写、読書家も唸らせるストーリー展開は、聖書をはじめとする海外文学を読み漁っていた彼女ならではのこと。
「最初はネタを少し借りる程度だったのでしょう。KANNOは鳴り物入りでデビューしたにもかかわらず期待外れの出来に世間の目は厳しかった。デビュー二作目を書く、と本人は息巻いていましたが、とてもとても出せる状況ではなかった」
加藤の口調はまるで他人事のようだった。仮にもその新人作家を世に出した担当編集者とは思えない。
「でも『王者』は傑作だった」
「その通りです。最初の一行を読んだ時点で、別人が書いたことに気づきました。KANNOに問い詰めたら、恥ずかしげもなく白状しましたよ。アイディアだけ友達にもらったと。隠しおおせると思ったのでしょうか。それともこの程度ならば自分も書けると過信していたのかもしれません」
批評を通り越して加藤は辛辣だった。敵意さえ感じる。
「それで中学生の拙い嘘を咎めもせずに出版したのか」
「本人がそう言い張ったものですから、仕方ないでしょう。握りつぶすにはあまりにも惜しい作品だったので」
後半は同意するが、前半には白々しさしか覚えない。加藤は待っていたのだ。KANNOが罪を重ねるのを。『王者』が人気シリーズになり、世間がKANNOを賞賛するのを、ひたすらに――叩き潰す虚栄の塔が高く積みあがるまで。
「ですが、罪が裁かれる時が来たようです」
期待を込めた眼差しでこちらを見る加藤。自分の行いになんら迷いを持っていない。正しいと思っている目だ。
「雑誌や記事か何かでKANNOを訴え、同時に『王者』の新作を渡辺穂紗奈の名で発表する。最高の売り上げが期待できるだろうね」
熱の籠った加藤に対して、望の心は冷めていた。
ひいては若竹出版の利益になる。それこそが加藤の目的なのだ。四年前はKANNOという大船を守るために穂紗奈は沈められた。だが、難破船に用はない。沈む前に次の船へ。単純なことだ。沈める船が大きければ大きいほど話題にもなる。
「KANNOは彼女を踏み台にした。今度はKANNOが踏み台になる番です」
もしそんなことになったら、どうなるだろう。やけに鮮明に思い浮かべることができた。『大ヒット作の真実!』とでも銘打ってKANNOを糾弾。すぐに出版される本当の『王者』最新作。売れるだろう。シリーズ二百万部も夢ではない。穂紗奈は注目の的。それに相応しい実力と才能の持ち主だ。
望んでいた大学だって通えるだろう。加藤から連絡が来れば穂紗奈もきっと喜ぶ。『王者』シリーズも完結する。自分が、穂紗奈の連絡先を加藤に教えさえすれば。
別段、非道なことをしているわけではない。法にも抵触しない。不当に奪われたものを取り返す、ただそれだけのことだ。
だが――望は財布を取り出した。
「御協力は願えませんか」
「すみません」
望は加藤の名刺を差し戻した。侮蔑を込めて加藤の顔を見据えた。
「自分が他人に唆した悪事を糾弾する。三文芝居もいいところです」