七
手紙を送ってから一週間後、指定した喫茶店に望は足を運んだ。
駅前にある大手チェーンの喫茶店は、落ち着きのある内装とゆったりとした空間が売りの静かな場所だった。当然ながら料金もそれなりにかかるが、加藤からせしめるつもりの望には痛くもかゆくもない。せっかくだから看板メニューのチョコレートパフェでも注文してみようかと考えたが、ひとまずは紅茶だけを頼んだ。
待ち人が現れるまで手持無沙汰。珍しく説教の準備は終わっていた。急ぎでやらねばならないこともなかったので、望はKANNOのデビュー作『マーメイド・プリンセス』を読んだ。昨年文庫化したものが、新古書店では百円で売られていたのだ。
三十分程度で読み終えられる薄い内容だった。が、世間で言われているほど支離滅裂な小説でもなかった。活字に慣れ親しんでいない中学生向けのライトな小説だと思えば納得できる。難解な単語を並べ連ねて聖書をより難しく『解説』することに熱意を注いでいるインテリ牧師の説教に比べたら、何倍もマシだ。
しかし、これが賞金五百万円の新人文学賞の大賞作で、千三百円もの金を払った小説となれば話は別だ。文章は冗長で語彙は貧困、表現も稚拙だ。『王者』シリーズとは驚くほど差がある。
「お待たせしました」
「いいえ、こちらこそお忙しいところ恐れ入ります」
望は立ち上がって会釈した。
「的場神学生は変わらないですね。あ、今は牧師でしたっけ?」
無邪気に言う渡辺穂紗奈は県立高校の制服姿だった。漆を彷彿とさせるくらい真っ黒な髪をヘアピンで留めている。決して派手ではないが、清楚で真面目そうな女子高生だった。
「去年、なんとか試験に合格してね。無事に牧師になれました」
「いいなあ。私なんてこれからですよ」
「大学?」
「まさか」穂紗奈は手を横に振った「就職。施設の子は大半が就職ですよ」
今年で穂紗奈は十八歳になる。高校を卒業したら自立しなければならない歳だ。
決して口には出せないが、惜しいと望は思った。口数こそ少ない子だったが、時折鋭い質問をしては日曜学校教師を困らせていた。大学で専門的に文学や文化系の勉強をさせれば、もっと伸びる可能性のある子だ。
「それにしてもよく覚えてましたね、私がここのケーキ食べたいって言ってたの」
お小遣いじゃ足りなくて手が届かないと言っていた。中学生になったばかりのあの頃既に、穂紗奈は望んでも得られないものがあることに気づいていた。一つで千二百円もするパフェやケーキなんて食べられるはずがない。
「実は私も今日が初めてなんだ。せっかくだから一番高いものを頼むといい」
「本当に?」
瞳を輝かせた穂紗奈に望はメニューを差し出した。パトロンがいるので懐の心配は無用。穂紗奈は遠慮なく季節限定のスペシャルチョコレートパフェを注文した。
「手紙読みました。井藤先生は違う教会に行ったんですか」
「今は三杉という野郎が峰崎教会にいるよ。同期なんだ。馬鹿だけど悪い奴でもない。あと私もここの近くの武蔵浦和教会で牧会してる。良かったらおいで」
「この辺りにも教会があったんですね」
パフェをつつきながら穂紗奈は呟いた。知らなくても無理はない。電柱に教会の名前を張っておく程度の宣伝しかできていないのだから。偶然で見つけるのは至難の業だ。ネットで検索でもしない限り気づかれもしないだろう。もっともそれは武蔵浦和教会に限ったことではない。どこの教会も宣伝には頭を悩ませている。
武蔵浦和教会の案内パンフレットを穂紗奈に渡す。住所を見て「へえ、施設にも近いですね」と呟いて、お返しとばかりに穂紗奈は学校指定のカバンからノートを取り出し、望に差し出した。いわゆる自由帳だった。小学校の頃に使っていたノートが余っていたので、そこに書き出したのは始まりと見た。表紙には固まった修正液の上に、拙い字で「渡辺ほさな」と書かれていた。