一
二人の門出を祝しているかは別として、よく晴れた日の土曜日。
都内のホテル敷地内に建設された小さなチャペルの礼拝堂で、的場望はプログラム通りに粛々と式を進めていた。牧師就任祝いに姉から貰った黒のスーツ。着慣れたはずなのに今日に限っては堅苦しかった。いや、スーツのせいではない。この居心地の悪さこそがいけないのだ。
望は讃美歌を歌いつつ、壇上から視線だけを周囲に巡らせた。
目の前に立つのは愛し合う男女。ヴェールに包まれた花嫁は緊張のせいか微かに指先が震えていた。花婿もどことなく表情が暗い。何か思い悩んでいるような気さえする。
結婚式とはこういうものなのだろうか。執り行うのは今回が初めてなので判断のしようがなかった。参列者は友人十数名のささやかな結婚式。讃美歌を奏でるのは本物のパイプオルガンだ。不慣れな一般の参列者に配慮して讃美歌を美しく歌う聖歌隊役の女性三人。白を基調とした内装は上品で、ともすれば本物よりも立派な礼拝堂の結婚式だった。
なんでもリーズナブルで簡易ながらも厳粛な(本物に近い)結婚式を執り行うのが売りで、若者に評判のブライダルコースらしい。しかし、その安さが仇になったのだ。
「結婚は神が天地を創造された時から、神のご栄光と私達人間の幸福のために神が定められた尊い制度です」
(なんでこうなった)
式辞を述べつつ望は毒づいた。
本来この式を執り行う予定だった牧師が交通事故に遭っただかなんだか知らないが、代役くらい用意しておけ。費用をケチるからこんな――新郎新婦に縁もゆかりもない新米牧師が、急遽司式を執り行うことになってしまうのだ。神聖さどころか情緒も何もあったものではない。
「従って、私たちは神を畏れ、謹んで結婚をしなければなりません。そこで出席の皆さんのうち、この結婚に正当な理由で異議のある方は、今ここで、それを申し出て下さい」
手元の台本にはここで五秒ほど時間を置くように指示が書かれていた。映画ではあるまいし異議申し立てる者がいるはずもないが、結婚式を神聖なものとするための演出である。たっぷり五を数えてから望は小道具の聖書を再び手に取った。
「次に、あなたがた二人に申し上げます」二人の顔を交互に見る「人の心を探り知られる神の御前に、静かに省み、この結婚が、神の律法にかなわないことを思い起こすなら、今ここでそれを言い表わして下さい」
やはり顔色が悪い。特に新郎が挙動不審だった。もの言いたげに隣に立つ新婦に視線を投げかけたり、目を瞬いたりと落ち着きがまるでなかった。
「神のみ言葉に背いた結婚は、神が合わせられるものではないからです」
弾かれたように新郎が顔を上げる。驚愕と興奮が入り混じった強い眼差しだった。思わず望は聖書を取り落としそうになった。
「木下直也」律する意味も込めて新郎の名を呼ぶ「あなたはこの女性と結婚し、夫婦となろうとしています」
だからその挙動不審な態度をやめろ。「はい。誓います」と言って指輪交換するだけなんだから。望の心の声が届いたのかどうかわからないが、新郎は口を固く閉ざしていた。
「あなたは健やかな時も、そうでない時も、この人を愛し、この人を敬い、この人を慰め、この人を助け、その命の限りかたく節操を守ることを誓いますか?」
いよいよ誓約の言葉を述べる、その瞬間だった。
「あの……っ!」切羽詰まった声が告げる「い、異議を申し立てます!」
まさかの申し出。
式の真っ最中に。そんなの台本には書いていない。
望は張りぼての聖書を持ったまま、呆然と立ちすくんだ。前代未聞の事態に、参列者達も一様に呆気に取られた顔をしている。一番驚いたのは隣にいた花嫁だ。濃いめに化粧した顔は、白を通り越して蒼白になっていた。
「はい?」
襟に装着した小型マイクが望の間の抜けた声を拾う。
「だから、異議を申し上げます」
「……あんた、何言ってるんだ?」
完全に素の口調。初仕事だとか謝礼金とか、教会の評判だとかは遠くの彼方に吹っ飛んでいた。神聖な式の、それも人前であることも忘れて、望はそいつに指を突きつけた。
「異議も何も、結婚するって言い出したのはあんただろうが!」
土壇場で異議申し立てをした者――新郎の木下直也は挑むようにこちらを見返していた。