一
「来週と再来週は必ず来ますから」
「駄目です」
「明日提出しないといけないんです」
「それでも駄目です」
押し問答を繰り返したところで、結論は変わらない。
それでもあきらめ切れないらしく、梨花は唇を尖らせて恨みがましげな視線を送ってくる。
「教会レポートの出席があと二つ足りないんです!」
「知ってるよ。さっき聞いた。で、駄目だとも言った」
的場望は癖の多い髪をかきあげた。
「事情はわかるけど、礼拝に出席していない日に出席のサインをするわけにはいかない。嘘をつくことになる」
ますます眼差しが剣呑になる。が、中学二年生の女の子が険しい顔をしても大した迫力はない。
よくあることだった。
梨花が通う一麦女子学院高等学校に限らず、キリスト教主義のミッション系スクールでは通常の科目の他に聖書の科目がある。そこで宿題として生徒に課せられるのは、教会の礼拝に出席し、レポートを提出すること。
どうやら梨花は、一学期中に四回以上と出席回数が定められているにもかかわらず、今日を入れてまだ二回しか出席していないらしい。
そこで思いついたのが出席日の偽造だ。来週と再来週の礼拝に出席するのと引き換えに、先週と先々週の礼拝に出席したことにしてほしいと言い出した。
しかし望に言わせれば、そもそも来週と再来週に教会へ来れるなら、先週と先々週だって来れたはずだ。
「事情があって、今まで礼拝に行けなかったんです」
「じゃあその『事情』を学校の先生に言って、配慮してもらえばいい」
指摘すれば、梨花はわかりやすくほぞを噛んだ。おおかた部活動などで忘れていたのだろう。気持ちはわからなくもない。
「牧師のくせに困っている人を見捨てるんですか!?」
「神様だってお気に入りのヨブに災いを与えた。可愛い日曜学校の生徒のためならば、私もあえて鬼になろう。試練が君をさらに成長させるでしょう」
かなりいい加減なことを言っている自覚はあった。特に後半。まずは自らの非を認めなければ反省も改善も成長も見込めない。そして残念ながら梨花は、反省もしなければ改善もしない女子中学生だった。
「ケチ。信じられない」
悪態をついても無駄だ。望は教会の正面入り口のある受付台から教会の案内パンフレットを取り出した。
「その代わりと言ってはなんだが、一つ知恵を貸そう。ここからだと少し遠いけど、柏木教会では今日の夕方に夕礼拝を行なっている。当然礼拝だから説教か信仰の証しのどちらかはあるし、讃美歌も歌う」
途端、梨花の目が輝いた。
「ほんと!? どこにあるの?」
望は柏木教会のパンフレットを手渡した。住所も連絡先も記載されている。
「さらに言うと、ウチの教会でも日曜学校礼拝の他に十時半から始まる通常の礼拝に出席すれば二つの礼拝に出席したことになる」
日曜学校礼拝の説教と大人の礼拝の説教はそれぞれ聖書箇所も違うので重複することはない。
「これで二回分稼げるよ」
先ほどまでの不機嫌は何処へやら、梨花は素直に頷いた。
「さすがプロは違うね」
「馬鹿なことを言ってないで、礼拝前の準備をしなさい。出席したことにしないよ」
梨花はお礼の言葉を口にしてから、慌てて礼拝堂に入った。問題が解決した途端にころりと表情を変える様は単純ではあるが、微笑ましい。
念のため柏木教会に今日の夕礼拝について問い合わせをしておこうと望は考えた。これで万が一、夕礼拝がお休みだったら梨花が猛然と抗議してくるだろう。ついでに武蔵浦和教会の日曜学校生徒が一人出席するかもしれないと先方に伝えておけばいい。
その一部始終を見ていた教会員の丸屋恵子が、梨花を見送る望の肩に手を置いた。
「お疲れ様です、的場先生」
「いいえ、これしき」
無意識の内に望の背筋が伸びる。
武蔵浦和教会の役員を務める恵子は、普段は高校の教師をしているだけあって、どことなく威厳と威圧感があった。灰色のスーツを着こなす姿も様になっている――自分とは違って。
「ところで先生、先ほど若竹出版の方から電話がありましたよ」
望は目を瞬いた。本は好きだが出版社に電話されるほどの何かを書いた覚えはない。それに若竹出版といえば若者向けのライトノベルや文芸書、実用書やビジネス書などを発行している総合出版社だ。キリスト教系出版社でもない会社の人間が、たかが一介の新米牧師に連絡してくる理由が見当たらない。
困惑している気配が伝わってきたのか、続けて恵子は言った。
「加藤さんという男性の方でした。若い……二十代か三十代くらいの」
「用件、何か言ってました?」
「いいえ、午前中は礼拝があるとお伝えしたら、午後に改めるとのことでした」
「加藤さん……」望は首を傾げた「知らないですねえ」
「御祖父様のことでは?」
恵子の言う通り、一番可能性が高いのは祖父の的場信二がらみのことだ。日本を代表するクリスチャン。現在は一線を退いているものの、伝説の牧師として世間の認知度は今なお高い。
「またお電話いただいた時に訊きますよ」
深く考えずに望は『加藤』を頭の隅に追いやった。これから始まる日曜学校礼拝の方が重要だった。