十四
終わった。
日曜学校の礼拝も、難敵レビ記の説教も、献金も祝祷も――例の婚約破棄騒動も。
尊が名乗り出たところで真実を綾乃に言えるはずもない。もはや望ができることは何もなかった。尊もそれを知っていて、姿を現したのだろう。人のよさそうな顔をして、したたかな奴だ。奥歯に物が挟まったような物言いも気に食わない。
一息がてらキャンディアイスを齧っていたら、携帯電話が鳴った。望の持つ携帯の番号は牧師と武蔵浦和教会の役員とごく一部の人しか知らない。緊急の用かと反射的に出る。
「的場ぁーっ!!」電話口に出るなり三杉が吼えた「てめえ、俺の名前で精神科医予約しただろ!」
「あれ? 今日の午後は集会じゃないのか?」
「嫌味か。集会やれるほど人も金もないわ!」
峰崎教会も人と資金面での苦労は絶えないようだ。今日は礼拝が終わって、少しお茶をしたらそそくさと解散したらしい。こちらと同じだ。
「結婚式とかイベントがあるならまだしも……って、問題はそこじゃねえ。お前、駅前のクリニックに俺の名前で予約入れただろう! よりにもよって小池牧師に知られて、大変だったんだぞ!」
「あらまあ」と望は呟いた。小池牧師は神学校校長を務めた経験もある、いわゆるベテラン牧師だ。神学生時代には三杉も望も、小池牧師からドイツ語や説教学を教わった。すでに御年七十を超えているが、他の牧師達からも敬意を払われている大御所。
「小池牧師が何故そんなことを。あの人はたしか古河教会にいるはずでしょう」
「たまたまクリニックの予約リストを見た教会員が、親交の深い小池牧師に相談しちまったんだよ。で、何か気に病んでいることでもあるのかとそれとなく訊きにきたんだ。あの、小池牧師が、だ」
それはさすがに気まずい。牧師は必ずしも年功序列というわけではないが、大先輩である小池牧師の御手を煩わせたとなれば他の牧師達もいい顔をしないだろう。相手が昨年教師試補試験に合格したばかりの新米牧師となればなおさらだ。
「いやあ、すまんね」
「悪いと思ってないだろ」
「うん。実はあんまり」
深々としたため息が聞こえた。
「二度と俺のフルネームを出すな」
しっかりと念押しして三杉は電話を切った。クリニックの予約うんぬんではなく、本名を出されたことが気に入らなかったとみえる。
三杉印真抜恵流。生まれた時から牧師になるべく宿命づけられていた子は、それに相応しい名前を親からもらっていた。インマヌエル。ヘブライ語で『神は我らと共におられる』という大変ありがたい御名前。
なんと素晴らしい。近代稀に見る模範的な信仰だ。日本中を探しても自分の息子に印真抜恵流などという奇抜極まりない名をつける親はいないだろう。
それはさておき、面談をキャンセルしなければ。
望は着信履歴から尊の電話番号を引き出した。通話ボタンに指を置いたところで、首を傾げる。この番号を、どこかで見たような気がした。
(どこだっけ?)