十二
和室に布団一式が二人分。どういうわけか部屋の隅と隅に全力で引き離された場所にそれぞれ敷かれていた。交際どころか仲良くもしていない男女二人が一夜を過ごすのだからこれくらい極端に離れて寝るのもおかしくはない。
が、家族には婚約者とまで言っていることを考えると、非常に邪で悪意に満ちた意図が見え隠れした。
「離れて寝ろと?」
貴様なんぞに可愛い尊はやらぬ、という怨念じみたメッセージを感じ取った。
「まったく困った方々です」
尊は敷布団を引きずって部屋の中央に移動させた。
「こんな手で私が諦めると思っているのでしょうか。実に幼稚で短絡的な嫌がらせです」
断りもなく望の分の布団も中央に寄せる。ぴったりとくっつけられた布団。これはこれで問題がある。少し間を開けてから望は布団の中に潜り込む。明日が日曜日であることがありがたかった。朝食をいただいたら、すみやかに神楽教会に逃げよう。
部屋の電燈を弱めて、尊は隣の布団に入る。ようやく訪れた平穏なひととき。移動の疲れもあってか、望は早くも瞼が重たくなってきた。
「的場牧師」
「んあ?」
眠りに落ちる寸前に妨害。尊は小さく笑って「お疲れのところすみません」と前置きした。
「手を繋いでもいいですか?」
「手?」
「はい。手です」
「なんで」
「寝ている最中に何かあったらすぐ起きられるように」
その『何か』についてはもう訊くまい。部屋にたどり着く前に嫌というほど目の当たりにした、この家の色情狂いぶり。正直、尊を置いてとっとと浦和に帰りたい。しかし狼の巣に羊を放り込んで無視を決め込むこともできず、仕方なく望は左手を布団から差し出した。ひんやりとした感触がした。
「暖かいですね」
「あんたが冷た過ぎるんだよ」
細いが筋張った指が望のそれに絡められる。男の手だった。黙って組み伏せられるとは到底思えないくらい、しっかりした手だった。
望は祖父を思い出した。小柄な見かけに反して、祖父の手は自分を包み込むくらい大きかった。
「幼い頃を思い出します。さすがに手は繋ぎませんでしたが、よく兄弟四人で雑魚寝しました。もちろん、私の異能が発現する前のことですが」
意外にも庶民的な家庭だったらしい。
「的場牧師はいかがでしたか」
望は少し考えた。誰かと一緒に寝るのは久しぶりだ。いつ以来だろうと記憶を掘り起こしてみたが、思い出せなかった。もしかしたら、ほとんどなかったのかもしれない。
「物心ついた頃からずっと一人部屋だったからね」
希と信一も然りだ。というよりも、上の異能者二人がそれぞれ部屋を与えられていたため、自動的に望が一人部屋になったのだ。
特別な子には特別な教育環境を。それが母の主張だった。
母と手を繋いだ記憶が望にはなかった。頭を撫でられたこともなかった。信一と希で彼女の両手は塞がっていた。
外で遊んでいた自分を迎えに来るのはいつも祖父だった。手を繋いでくれたのも、頭を撫でてくれたのも、全てあの大きくて武骨な手だった。
「なんで二十三にもなっていい歳した男と手を繋いでんだろう」
「まるで本当の恋人みたいですね」
何やら楽しそうな尊に、望は手を振り払おうとしたが、しっかりと掴まれている手は離れそうになかった。
「あんた、浦和戻ったら覚えてろよ」
「もちろん。お忙しい的場牧師が私のために貴重なお時間を割いてくださったのです。この恩は忘れませんよ」
貞操の危機だというのにさすが慣れている方は違う。揶揄しようとした望だったが言葉が喉に詰まった。横寝をしてこちらに顔を向ける尊の目が、惚けるほど甘く穏やかな色を浮かべていたからだ。
「来てくださってありがとうございます」
何かを言わねば。このままでは呑まれてしまう。そう思うものの、強烈な睡魔には抗えなかった。
(姉ちゃんにメール)
してなかった。旭川市内のこと、ジンギスカンの感想、尊の家族、報告したいことがたくさんあるーーのに、望はうっかりぐっすり寝てしまった。