七
「ゆえに、大会では神学生支援基金を設けて年に一度全国の教会員から献金を募る。神学校の維持費も教材費も献金でまかなっている。神学校の掃除や草むしり、日々の食事は有志の信徒が無償で行なっている。そのおかげで、そこにいる救いようがない馬鹿も俺も的場も学ぶ環境を与えられ、牧師になることができた」
望は水栓をいじくっていた手を止めた。
入学金一万円。授業料は年三万円にも満たない。四年制の学校ではあるまじき破格の安さ。負担は全て現職の牧師と信徒が背負っているからだ。
「神学校で四年間学び卒業した後は基本的に牧師本人の好きな教会に行くことができるーーつまり、だ」
万人祭司を原則とするプロテスタントでは、牧師は特権階級職ではない。聖職者という言葉も当てはまらない。牧師は一般信徒と同じで、決して特別ではないからだ。
だが、牧師には一般信徒にはないものがある。捧げられた犠牲と奉仕、祈りとそれに伴う期待がある。
「自分の教会に来るかどうかもわからない、顔も見たことのない神学生のために、多くの信徒が祈り、奉仕し、献金し、四年間支えるということだ」
託された者としての責任がある。望は止めていた作業を再開した。希が持ってきたホースを接続する。
「たった一人の牧師を育て上げるために、どれだけの信徒がどれほどの労苦を重ねてきたのか、貴様に想像できるか」
できるわけがない。もし少しでも想像できたのなら、洋平の前でーー無牧教会出身の信徒の前で牧師を蔑ろにする行為ができるはずがなかった。
「はっきり言えば今のそいつには、ヒロミなるご婦人が危険をおしてまで救い出す価値もなければ、社会人としても牧師としてもまるで価値はない。いなくなって悲しむ交際相手もいないと聞いている。そこを泳いでいるサメの餌にでもした方がよっぽど有意義だ」
ついには人間扱いすらされなくなった。三杉の顔に絶望の二文字が浮かぶ。
「だが、そいつは牧師だ。牧師の招聘を望む日本全国のキリスト教徒の祈りと金と奉仕で支えられ、高度な教育を施されて神学校を卒業した。期待と恩に報いるのが道理だ。その男には何がなんでも立派な牧師になる義務がある」
武器一つ持たない丸腰の牧師を前にして、人質と殺傷道具を持つ男が慄いた。大変奇妙な光景だった。
「な、何が言いたいんだよ!」
「そいつの命はそいつだけのものではないと言っているんだ。全国のクリスチャンに、殊に無牧の憂き目にあっている教会員に恨まれる覚悟があるのなら、刺し殺すなり三枚におろすなり好きにすればいい」
判断を相手に委ねている割には、洋平の威圧感は半端なかった。傷一つつけようものなら殺されるーーそう思わせるだけの殺気に近い何かがあった。
「漫然とぬるい伝道をしている東京中会ならいざ知らず、北海道中会で同じことをやってみろ。まず間違いなく貴様は五体満足で会堂を出ることすらできまい。貴様は四年間支え続けた信徒の奉仕と祈りを、自分一人の都合で踏み躙ろうとしているのだからな」
それは警告だった。五体不満足になる覚悟を決めろという最終通告だ。
山中でクマに出くわしたかのように顔を引きつらせ、男は後ずさった。その背中に望はホースの口を向けた。距離、角度共に申し分ない。合図と同時に希が思いっきりノズルを捻った。
「「ぎゃわぁああああっ!」」
即席の水流放射が男(と三杉)を直撃。堪らず男は三杉を離した。すかさず洋平は間合いを詰め、男に華麗な飛び蹴りを見舞った。鈍い音とくぐもった声。一撃で男は昏倒した。
「紀元前からの人類の常識はどこにいったのよ」
希が眉根を寄せた。ごもっともなので望は黙っておいた。