五
「セクハラよ!」
一部始終を深海魚の水槽の陰から目撃した希は唇を戦慄かせた。
「承諾もなしに、いきなり触るなんて! 同期だからってやっていいことと悪いことがあるわ。人前で、あ、あ、あんな、破廉恥なっ」
「手繋いだだけだろ」
三杉の指摘は華麗にスルーして、希は口元に手を当てる。信じられなかった。まだ嫁入り前だというのに。
「永野さんとだってそこまでしてないのに!」
「誰だよ」
「ああ、このことを永野さんが知ったら……」
希はよよよと崩れ落ちた。無関心を装っていたが、尊が望に対してひとかたならぬ想いを寄せているのは明白だ。牧師同士だからと理解を示した結果、デート、さらに手を繋いで仲睦まじく水族館をまわったと知ったらーー希は血の気が引いていくのを感じた。
まず間違いなく、尊は黙ってはいないだろう。洋平に何らかの報復措置を取るに違いない。
(だから忠告したのに!)
変に意地を張って理解がある振りを見せるから、洋平のような朴念仁に先を越されるのだ。
「だーかーら誰だよ、そのなぎゃあああっ!」
耳をつんざくような悲鳴。反射的に顔を上げた希の目の前で、羽交い締めにされた三杉が何者かに引きずられていた。
「……え?」
男に捕らえられて身動きの取れない三杉。喉元にきらりと光る刃物。十人中十人が犯罪現場と断ずる状況だ。久しぶりに遭遇する光景に希は言葉を失った。
呆然とした希を置き去りに、男は三杉を人質にして館内の中央にあるペンギンの水槽前に移動した。
突如として現れた人質と犯人に館内は騒然となる。誰かが押したのか警報音が鳴り響く。我先にと逃げ出す客達。入れ違いのように警備員達が大挙して押し寄せ、犯人(と三杉)を取り囲んだ。
「助けてえ! 的場ぁっ!」
「あいつは男と抱き合って何をしているんだ」
洋平は二階の通路ーーペンギン水槽の真上から二人を見下ろした。その隣にいる望も首を傾げている。
「デート?」
「ずいぶんと騒がしい逢引だな」
「そんなわけないでしょう!」
思わず水槽の陰から飛び出た希に牧師二人の視線が一斉に向けられる。
「なんで姉ちゃんがここに?」
「う……そ、それには深海魚よりも深い事情が」
「へーどんな事情? すっごく気になるわ」
猜疑心に満ちた眼差しを向ける望。助け舟を出したのは意外にも洋平だった。
「的場それはさすがに野暮と言うものだ」
洋平は深刻な面持ちで告げた。
「妹のお前にすら黙って三杉と水族館にいた。導き出される結論は一つしかない」
「変な誤解しないで! デートじゃないわ!」
「馬鹿を言うな。平日に妙齢の男女が二人きりで水族館でデート以外何をするというのだ。俺ですらその程度の機微なら読める」
珍しく正論だが、完全に的外れだ。色々な意味でとんでもなくややこしくなった状況に、希は頭を抱えた。