四
深海を彷彿とさせる青暗い館内。整然と並ぶ水槽の一つに人だかりができていた。何事かと足を運べば、チンアナゴの餌やりを行うという。一日に二度しかお目にかかれない貴重な時間。「へー」と気のない相槌を打つ望に対して、洋平はくわっと目を見開いた。
「アナゴの餌やり、だと……っ⁉︎」
一体どこに衝撃を受ける要素があるのか、望にはイマイチよくわからない。が、せっかくの観光なので洋平に付き合って、餌やりの様子を見学した。
飼育員の簡単なチンアナゴの生態説明の後に、小さな餌が水槽に撒かれる。一斉に穴から顔を出すチンアナゴ達。歓声をあげる子供達やカップル、そしてむっつり顔の牧師。
真剣な面持ちで水槽を見つめていた洋平は呟いた。
「随分と細身だがこのアナゴは一体どうやって捌くんだ」
「捌かないって」
「馬鹿な。アナゴだぞ」
アナゴは高級魚だ。しかし同じアナゴでもチンアナゴとは違う。
「食用じゃないと思うよ」
うにょうにょと首だか胴だかを伸ばして餌を食べるチンアナゴの群れ。なかなか微笑ましい光景ではあった。少なくとも刃物で開いて食べる気にはならない。
「観賞用か」
「水族館だからね」
「ではあそこでひたすら遊泳しているマグロも食わんのか」
「魚屋じゃないからね」
洋平は押し黙った。納得していないようだった。
「もしかして水族館、初めてなの?」
「中央市場ならば何度か」
正式名称は札幌市中央卸市場。北海道で最大の卸市場だ。水族館と引き合いにすること自体が間違っている。
「あんただって旭山動物園のエゾヒグマを食べようなんて考えないでしょ。それと同じ」
「当たり前だ。ヒグマは地上最強の生物だぞ。銃を装備した程度の人間ごときが敵う相手ではない」
何を勘違いしているのか洋平は眉を顰めた。
「悪いことは言わない。ジンギスカンとかぼたん鍋とかもみじ鍋とかうまいものは他にもたくさんある。クマだけはやめろ。危険に見合う味ではない」
食わねえよ。幼い子どもに諭すように言い聞かせる洋平に、望は頭に鈍痛を覚えた。
「あー……私、どっちか言うとホッケの方が好きなんだけど」
「たしかにホッケはいい。塩で焼いただけでもうまい。何よりホッケは人間を喰おうとしない」
よほどクマにいい思い出がないのか、洋平は「爪も牙もない、大変結構な生き物だ」と感慨深げにホッケを褒め称えた。
「いや、そこまでホッケが好きというわけでは」
「ホッケは冬に送ってやろう。その前にジャガイモとカボチャだ。だからとにかくクマはやめろ」
念を押すと洋平はいまだ釈然としない望の手を引いて、次の水槽に移動した。