この世の重荷とわずらいの中で
「嫌よ」
的場希はすげなく背を向けた。予想通りの反応だ。
「ーーだってさ」
『困りましたね』
とは言うものの、電話先の信二はさほど困ってはいない様子だった。本当に困ったのは祖父と姉の間に挟まれた望だ。勝手に了承した祖父も祖父だが、子供のように駄々をこねる姉も姉だ。
『君にぜひ会いたいと強くご希望されています。彼の話だけでも聞いていただけませんか?』
「少しくらい会ってあげれば? 同じ異能者同士、積もる話とか」
「初対面の他人と何を話すのよ。絶対嫌!」
希は布団に潜り込み、丸くなってしまった。取りつく島もない。
「じいちゃんもなんでそんな安請け合いしたのさ。そりゃ特別講義はありがたいけど」
設楽牧師の難解かつ長々しい話に比べたら何でも少しはマシだ。しかし希をエサに大物を呼ぶ必要はない。案の定、余計にややこしいことになっている。
『君のためではなく彼のために神学校訪問を勧めたのですがねえ……どうも僕の言い方がよろしくなかったようで』
「完全に私達に教えてくださるつもりで来てるよ」
その上、早々に落第生と見切りをつけている。牧人がこれ以上神学校にいたとしても、彼の得になるようなことは何もないように思える。
「そもそも、なんでアメリカだかドイツだかの一流大学出の新進気鋭のエリート教授が、こんな埼玉のへんぴな神学校に来るのさ」
『天堂さんには友人がいないそうです』
「は?」
『僕が思うに、おそらく彼は勉学に没頭するあまり、人とのコミュニケーションを上手く取れなくなってしまったのかと。彼の、疑い深い性格や他人を学力で推しはかり見下す傾向もその一因でしょう。無論、彼が持つタラント〈異能〉の影響も多分にあるでしょうが』
祖父の推理に一通り耳を傾けてから、望は訊ねた。
「……で、その話のオチは?」
『近しい年代の心許せる友人が彼には必要だと、僕は判断しました』
さすがは日本で最も偉大と称される元牧師だ。発想が凡人の予想をはるかに上回る。
「三杉とか?」
『勉強熱心な工藤くんも』
「あと同じ異能者の姉ちゃんとか」
布団の中から「嫌! 絶対ヤダ!」と抗議の声があがるが無視。望は乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ、そういうことなら、まあ……頑張ってください」
早々に逃げの態勢に入ったが、たやすく見逃してくれる祖父ではない。穏やかだがしっかりと付け足された。
『もちろん望さんもですよ』
望は額に手を当てた。冗談ではない。見るからに嫌味なエリート教授になんぞ友達どころか関わるのも極力避けたい。
『むしろ君が一番適任だと僕は考えます』
「嫌だよ、あんな高慢ちき。高尚な話がしたけりゃ設楽牧師と工藤とでもやっていればいい」
『議論する相手なら大学に戻ればいくらでもいます。先ほど申し上げた通り、彼に必要なのは信頼できる同志です。彼が気兼ねなく話をすることができる友人になっていただけないでしょうか』
「聖書と友情育めば?」
婉曲に断る意思を伝えると、祖父は愉快そうに笑った。
『君は面白いことを言いますね。彼が書物と友達になれるはずがないでしょう。同族の人間に対してですら苦労しているのに』
「さらっと毒吐いたね」
『では、よろしくお願いいたします』
「やらないよ。無理に決まってるでしょう」
『意外に気が合うかもしれませんよ』
「あんなのと仲良くできたら世界はもっと平和になるわ!」
しかし無責任な祖父は一方的に通話を切った。勝手によろしくお願いされてしまった望は呆然とする他ない。
「僕も同じ意見です」
背後から声。反射的に振り向いた望は、目を大きく見開いた。いつの間に入室していたのか。部屋の扉に背を預けた状態で牧人が立っていた。
「あの的場牧師の孫で信一くんのご兄妹と伺っていましたが、期待外れもいいところです」
信じられなかった。ここは寮の個室だというのに。望は自身の手が震えていることに気づいた。見れば布団から顔だけ出していた希も凍りついていた。
「それにしても乱雑な部屋ですね」
牧人は値踏みをするかのようにぐるっと部屋を見回したーーそれが限界だった。
枕と交読文集、各々得物を手に取る。放ち様に、異口同音に的場姉妹は叫んだ。
「「勝手に入るな変態っ‼︎」」