十一
しばらく阿呆展開が続きます。
「先ほどはありがとうございました」
部屋に戻る途中で尊は言った。
「本心がどうであれ、否定なさらなかったのは正直嬉しかったです」
「あんた、勘違いしてないか? 私はもともと同性愛賛成派だよ」
若手の牧師を中心に教会も変わりつつある。同性愛者の牧師が生まれたのもその一つだ。
「ただ、あんたの異能は強制的に愛させるものだから歓迎できないのであって」
「わかっています。それでも嬉しいんです」
尊は上機嫌だった。実の兄弟からあからさまな重すぎる好意を向けられていることに頓着しない。そんなことよりも望が人前で自分を貶さなかったことが嬉しいのだと。
望はなんだか釈然としなかった。
「しかし本当に凄まじいというか、強烈というか……特に筐さん」
年齢が近いせいか、彼が一番尊に執着しているように見えた。右眉にある古傷も相まって並々ならぬ威圧感を覚える。
「あの傷って」
「返り討ちの跡です」
尊は無機質に言い放った。先ほどまでとは打って変わった不機嫌ぶりだ。
「猫にでも引っ掻かれた?」
「……まあ『猫』と言う方もいらっしゃいますが」
どうも歯切れが悪い。が、尊はそれ以上追及を許さず、望を浴室へと案内した。
険悪な夕食の後は風呂だ。一応客人である望は一番風呂をいただくことになった。尊と一緒に。
「外で見張ります。交代で入りましょう」
サバイバルさながらな警戒をする尊に望は掛ける言葉を失った。笑い飛ばすには先ほどの夕食時に感じた敵意は強烈過ぎた。あれは夜道に気をつけたくなるレベルのヤバさだ。
「ここから生きて出られるのかな」
「大丈夫です。私の貞操はともかくあなたの命までは取られないでしょう」
いっそ尊を差し出せば安全が約束されるような気がした。悪魔の囁きを望は振り払った。仮にも牧師がやっていいことではない。決して褒められたことではない。良くないことだ。あまりオススメできないことだ。が、いざとなったらそういう手もないことはないかもしれないと言い訳して保留しておいた。
「すみませんが、先に入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
一番風呂を尊に譲って、望は脱衣所の前で待った。
手持ち無沙汰だったので旭川ゆかりの作家である三浦綾子の小説を読むことにした。日本のクリスチャンでもっとも有名な作家だ。作品に込められた思想もさることながら、女性ならではの細やかな描写とドラマティックな展開でエンターテイメントとしても高く評価されている。作品の多くが旭川を舞台にしているので、また一味違う楽しみがあった。
「尊は風呂ですか?」
望は読みかけの文庫本から顔を上げた。
「お客様を差し置いて一番風呂に入るなんて、仕方のない奴だな」
比較的柔和な風貌。長男の豊だった。
「先ほどの弟の暴言といい、重ね重ねお詫び申し上げます」
「いえ、お気になさらず」
頭を下げた豊に慌てて望は言った。律儀な性格のようだ。食事の際もこの兄だけは望に突っかかってこなかった。長男なだけはあって常識人なのだろう。望は救われたような気がした。
「永野さんは兄弟仲がよろしいようで」
仲がよろし過ぎるのがこの家の問題点だ。
「お恥ずかしい限りです」
「お待たせしました、鳩羽牧師」
唐突に声を掛けられた。ふわりと鼻腔をくすぐる花の香り。艶やかな黒髪から水滴が滴る。風呂上がりの状態の尊が脱衣所から顔を出していた。
「やはりせっかくですから一緒に入りましょう」
「はあ⁉」
「あ、兄さん、お風呂お先にいただいております。お気遣いありがとうございます」
目を丸くする豊におざなりな礼を言って、尊は望を脱衣所に引っ張り込んだ。
「ちょ、あんた、なに……」
尊は望の唇に人差し指を押し当てた。黙っていろと言いたいらしい。尊はもう片方の手で扉を閉めた。しばらくして外の気配が遠ざかったのを確認してから指を離す。
「これ以上煽ってどうするのさ」
「盗撮されるよりはマシです」
尊が広げた手のひらには黒い箱のようなものがあった。タバコの箱の半分程度の大きさだ。一箇所だけ丸いレンズが埋め込まれていた。
「隠しカメラです。浴室に仕掛けられていました」
数秒、望はその意味を理解しかねた。
「……かめら?」
「そう、カメラです。音声も拾えるようですね。ずいぶんと高機能です。ある程度ならば水にも耐えらえるようです」
「なんでそんなもんが一般家庭に仕掛けられてんだ」
自分で言っている間に適当な理由が思いついた。
「あ、そうか。資産家だから敵対勢力がいるんだな」
「企業スパイなら会社か書斎かリビングに仕掛けます」
「お母様がとてつもなく美人だとか」
「母は十四年前に家を出ています」
「私が魅力的過ぎたのがいけないんだなそうだなあはは今度から気をつけるよ」
「的場牧師」尊は憐憫に満ちた眼差しを向けた「現実を見てください」
「誰かうそだと言って!」
望は頭を抱えた。いくら異能のせいとはいえここまで非常識な真似をするとは想定外だ。盗撮、盗聴なんてれっきとした犯罪である。
「誰が仕掛けたんだこんなもん」
「発見と同時にスイッチを切って外しました。犯人が受信中でしたら、何事かと思って様子を見に来るでしょうね」
しれっと言った尊の言葉に、今度こそ望は背筋が凍るような思いをした。全身の血が抜けていくような感覚。手の震えが止まらなかった。
「……え、じゃあ……」
外を指差す。尊は沈痛な面持ちで頷いた。
「…………………………………………………………かえる」
「交通手段はありませんよ」
「歩いてでも帰る!」
「落ち着いてください。彼らの目的は私です。私を傷つける可能性があることを彼らがするとは思えません。つまり私の側にいれば、あなたに危害が加えられることはありません」
「男の嫉妬で刺されるなんて嫌だよう」
「刺されませんし、襲われることもありませんよ、あなたは」
裏を返せば、尊は襲われる可能性大ということだ。
望は早くも悪魔の囁きに屈服しそうになった。