六
尊は運転手をはばかるかのように声をひそめた。
「私の異能のことはご存知でしょう? 家族とて例外ではありません。むしろ近しい分、他人よりも強烈かつ厄介にこじらせています」
本人曰く「家を一歩出るのにも苦労するほど束縛された」尊は、中学二年の時に祖母の力でなんとか実家を離れて単身東京にやってきたらしい。
本来ならばそのまま絶縁したいところだが、下手に関係を断とうとすると実家は興信所を使って尊の所在を把握しようとする。一度、拉致されて危うく旭川まで連れ戻されそうになったことさえあるという。彼らが暴走しないよう適度な距離を保ちつつ、様子を窺うのが尊の防衛手段だったのだ。
今回帰省したのも、かれこれ最後の帰郷から二年経っているので実家の我慢が限界に達しようとしていたのと、永野家で唯一マトモな祖母の米寿のお祝いがあるからだ。
「私の異能の影響は時間の経過と共に薄れていきます。人にもよりますが二、三年も全く接触がなければ、私に惹かれていた心も元に戻ります。あくまでも一般的に、ですが」
ところが、尊の家族に関してだけはその定義が当てはまらないのだという。むしろ尊が離れることで余計に渇望感をかき立てている節さえある。
「父は再婚していません。私の兄弟は全員独身です。おそらく交際相手もいないのでしょう」
それの意味すること、すなわち「絶賛尊に片想い中」だ。父と兄弟合わせて四人の男が、だ。想定をはるかに上回る尊の異能に、望は薄ら寒いものを覚えた。
同時に、初めて尊と顔を合わせた時のことが思い起こされる。
自分に心を寄せて、婚約破棄までした男性のことを尊は冷酷なまでにあっさりと捨てた。異能で引き寄せたものに責任は持てないと明言した。
今ならわかる。責任を取りようがないのだ。本人ですら異能を制御することができないのだから。牧師としてあまり推奨できないが、尊が男性のパトロンを持つのも致し方ないような気がした。この異能がある限り尊はまともな仕事に就けない。尊がこれまで抱えてきた葛藤と苦悩が、異能を利用して生きる術を生み出したとも言える。
「事情はわかったけど、なんで男の振りをしないといけないのさ?」
特に髪型を変えたり、胸を潰したりする必要はないと言われたので、望は男装らしい男装は全くと言っていいほどしていない。が、訊ねられたらとにかく男だと主張しろと尊は念を押す。
「元男性ということでも構いません」
「いや、だからなんで?」
「女性では彼らが納得しないからです」
「ごめん。意味がわからん」
「微妙な同性愛者の恋心とご理解ください。まず彼らは私が同性愛者だと思い込んでいます。今さら私が結婚相手に女性を連れてきたところで彼らは『世間体のために女性と結婚するつもりで、本当は男性が好きなのに可哀想』と手前勝手な解釈をします。私が異性愛者で、自分達には塵ほどの見込みもないことは頑として受け入れません。逆に好きでもない女性と結婚する哀れな私を慰めるつもりで襲いかかってくるのです」
望は自分の頰がひきつるのがわかった。恋心とかそんな可愛いものではない。思い込みも甚だしい執着だ。ストーカーだ。
「その点、男性ならば妄想を抱かせることはありません。相手が男性だからという理由で反対すれば、それは取りも直さず自分にも見込みがないと認めるようなものですから、絶対にしないでしょう」
「他の理由で反対することは?」
「むしろ積極的にあら探しをするでしょうね。全力で私と引き離そうとしますので覚悟してください」
「なんで遠路はるばる北海道まで来て、あんたの兄弟にいびられなきゃならんのだ!」
「大丈夫です。あなたは私が守ります」
頼もしい言葉だ。その後で「だから私はあなたが守ってくださいね」という不穏過ぎる一言が付け足されなければ。望は早くも埼玉に帰りたくなった。
しかし逃げ出すよりも先に、車は高級住宅街にある屋敷の前に止まった。