五
海よりも深い理由により、三話は消えました。
永野尊は四兄弟の三男だ。上から長男の豊、次男の筐、三男の尊、そして末の徹。早くも覚えることをあきらめかけた望に「一文字の漢字でしりとりと覚えてください」と尊がコツを教えた。なるほど。
小粋な四兄弟の名前を考えたのは両親ではなく、父方の祖母の朋恵だと言う。現在は市内の高齢者養護施設で暮らしているらしい。
朋恵への挨拶は明日にまわして、永野家の本家へと向かった。札幌駅発のシャトルバスに揺られること二時間弱、旭川駅に降り立った尊はタクシーを呼んだ。
「昨日はどちらに行かれていたのですか?」
「札幌」
「……札幌のどのあたりでしょうか」
「ここらへん」
札幌市内の一枚地図の上でぐるっと指で円を描く。尊は青菜に塩を振ったような顔をしたが、望は何も意地悪で言っているのではない。
「羊ケ丘はどうしたのですか?」
「遠くて行けなかった」
「白い恋人パーク」
「バス乗り場がわからなかった」
「工房アルティスタは」
「着いた頃には営業時間が終わってた」
「札幌時計台」
「休館日だった」
むしろ根掘り葉掘り訊いてくる尊の無神経さに腹が立った。望は悔し紛れに「いいよ。姉ちゃんへの土産は買えたから」と吐き捨てた。つまるところ『徒然草』の「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」という一文を体現したような一日だったのだ。石清水八幡宮をお参りできなかった法師の気持ちがよくわかる。宗教違うけど。
何やら物言いたげな尊から顔をそらして、望は窓からの景色を眺めた。
「的場牧師」遠慮がちに尊が声を掛ける「すみませんが、これからのことでいくつかお願いがありまして」
さっきの雑談は本題に入るための前置きのつもりだったのか。いきなりお願いから入るのも気が引けたので、望に昨日観光を楽しめたことを思い出させて、快く「仕事」にあたってもらう魂胆だったのだろう。残念だったな。全く楽しめていない。
「帰りに札幌駅近辺を観光しましょう。さすがに羊ヶ丘や白い恋人パークは難しいでしょうけど、時計台くらいなら、」
「いいよ。今度、姉ちゃんと二人で行くから」
次は念入りな下準備をしてから行こうと望は固く心に誓った。
「で、私はなんて言えばいいんだ。この前みたいにあんたに抱きつけばいいのか」
「ハトバノゾム。職業は牧師。性別は男性。私とは半年前に知り合って現在交際中。日本の法律上結婚することはできませんが、生涯を誓い合っており、ゆくゆくは養子縁組をしようと考えています」
尊は立て板に水のごとく語り出した。
「――と、家族には伝えていますので、そのようにふるまってください」
「ちょっと待て」
「養子縁組の件でしたらご心配なく。君が私の養子に入る設定ですので細かい点を指摘されたら私が答えます」
「一番どうでもいいことの説明をするな!」
反射的にツッコミを入れてから、望は居住まいを正した。
「どういうこと?」